ファントム、就職する3

「良かったら、ここで働きませんか?」


「はい? え? 俺が? いや、無理ですよ。お客はマスターのコーヒーとこの雰囲気で通ってるんです。俺みたいなのがいたら──」


 客が寄り付かなくなるのではないか? そう言いそうになって、口を閉じた。そんな灰島を見て、マスターは「ふむ」と自分の顎髭を撫でる。


「やはり、すんなりとは行きませんか。それでは、これでいかがですか?」


 そう言ってマスターが引き出しから取り出し、カウンターに置いたのは数個の小さな機械。


「──っ」


 それは灰島があの家に仕掛けた盗聴器だった。一瞬で臨戦態勢に入る灰島に、「落ち着いて」とマスターは微笑む。


「うちの玲奈がね、気を利かせて警察が入る前に撤去したんですよ。喜んでもらえるかと思ったのですが……。」


 さらに驚くような事実に、灰島は左足を一歩引いた。同時にマスターの眉尻が困ったように下がる。


「捜索に入った警察官の数人、君の息のかかった人だったかな? ずっとこれを探してるようだったので、悪いことをしましたかね?」


「なぜ……?」


 自分が盗聴器を仕掛けたのを知っていたのか? しかも素人に簡単に見つかるような場所には隠してはいない。瀬尾にも詳しく場所を指示し、回収するように頼んでおいたくらいなのに。


「警察に見つかると困る、なんてことは君ならないかとは思ったのですが、けしかけたのは私でしたから。そうそう、盗聴器の隠し場所、玲奈が見つけにくかったと文句を言ってましたよ」


 あの紅林玲奈といい、セグレタのマスターこと音無惣一といい、一体何者なのだ!?


 警戒を解かない灰島に、マスターは少し困ったように笑う。


「うーん、ますます警戒されちゃいましたね。そんなつもりじゃなかったんですが……。うん、ここは正直に話しますね。実は、うち、代々忍者なんですよ」


 予想していた解答のかなり斜め上をさらりと言われ、灰島でも「……はい?」と聞き返すのが精いっぱいだった。


「だから、忍者です。証明しろと言われても免許はないですし、職業欄にもかけないから信じてもらうしかないんですけど、うちは先祖代々忍者でしてね? でも今も昔も上下関係が難しくて、かなり前のご先祖様、主君を捨てちゃったんですよね。言ってみれば、野良忍者? 無職忍者でしょうか? でも、忍者も日本文化だからということで、ずっと継承してるんです」


「……忍者」


 灰島は、オウム返しにそう呟いた。目の前の老紳士が何を言っているのか、彼の高性能な頭脳が処理を拒否している。


 忍者。フィクションの世界の存在。あるいは、観光地のショーでアクロバティックな動きを見せるエンターテイナー。


 それが、この穏やかな喫茶店のマスターの正体だというのか。


 灰島の表情から全ての思考を読み取ったかのように、マスターは穏やかに続けた。


「信じがたいのも無理はないです。ですが、玲奈が気配を完全に消して君の背後を取れるのも、君が巧妙に隠した盗聴器を見つけ出せるのも、そのための訓練を積んでいるからだとしたら、納得がいきませんか?」


 確かに、玲奈のあの気配の消し方は異常だった。


 灰島自身、完璧に近いステルス技術を持つが、彼女のそれはまた質の違う、まるで自然の風景に溶け込むような不可解さがあった。盗聴器の件も、瀬尾ですら見つけにくいように配慮したものを、あっさりと回収されている。


 目の前の事実は、マスターの突拍子もない告白に、奇妙な説得力を持たせていた。


「……なぜ、それを俺に?」


 灰島は、警戒レベルを一段階引き上げつつ、核心を問うた。


 自分たちの正体を明かす。それは、相手を完全に信用するか、あるいは、消すかの二択を迫る行為だから。


 マスターは、カップを手に取り、ゆっくりと一口コーヒーをすすった。その仕草はどこまでも優雅で、灰島の緊張とは対照的だった。


「そうですねぇ。怜奈がいい人だと言ったからでしょうか?」


「は?」


 想定外の言葉に間抜けな声がこぼれる。


「しかもここを紹介してきたってことは、きっと私が勧誘することも見越してでしょう」


「いや、だから──」


「別に、私はこの町を守りたいとか思ったことはないんです。ただ、この何もない平穏な毎日を老後を過ごせればそれでいいんです。そのためにあなたを雇いたい、ではダメですか?」


 壮大な正義感でも、ましてや世界の平和のためでもない。ただ、自分たちの「平穏な毎日」を守りたい。そのための戦力として、君が欲しい――。


 なんと魅力的な提案だろうか?


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