ファントム、尋問される6

「その言葉、忘れないでよ?」


 瀬尾はにこりと笑うと、ゆっくりと灰島に近づいていく。焦点の合わない灰島の瞳が、一瞬、瀬尾を捉えたような気がした。瀬尾は、誰にも聞こえないほどの声で、ただ一言だけ、呟いた。


「悪いね、相棒……」


 そして、彼は灰島の首を左手で固定し、その首筋に躊躇なく注射針を突き立てた。 三度目の自白剤が、容赦なく灰島の体内に注入される。


「ぐっ……ぁ……!」


 今度こそ、抵抗は不可能だった。 強烈な薬物が、彼の脳神経を直接焼き切っていく。意識が、真っ白な光の中に溶けていく。身体の自由も、思考の自由も、全てが奪われていく。


 がくんと落ちる頭、椅子ごと倒れそうなところを、「おっと」と瀬尾が支えた。


「オーバードーズ、だね」


 完全に意識は無くなり、ピクリとも動かなくなってしまった。その状況に、セレスティーナは舌打ちする。


「仕方ないわ、なんとか元に戻してちょうだい。最悪、息さえしてればそれでいいわ」


 まるで暴君のような彼女だが、医療班は自分たちの使命を全うしようと彼の拘束を外そうとしたとき、瀬尾は「待った」と制止した。


「そいつが正気に戻ったとき、医療班で対応できるのか? まぁ、傍にエージェントを何人かつけとけば安心だけどさ」


 元の椅子に戻ってキーボードを叩き始める瀬尾に、セレスティーナは「そうね……」と少し考えて、紅い唇の口角を上げた。


「なら、ここで治療しましょう。クラブ、あなたが見張って」


「はあ!?」と嫌そうな顔で振り返る瀬尾の顔に手を添え、にこりと笑う。


「エージェントはみんな忙しいの。あなたならファントムを止められるでしょう?」


「いや、俺、殺されちゃう方だと思うけど?」


「そんな簡単には復活しないし、彼だって死に目くらいは知り合いに看取ってほしいはずよ?」


 彼女の発言は撤回されない。それが分かっているから瀬尾は両肩をすくめ「はいはい」と返し、タンっとエンターキーを押した。


「はい、見ーつけたっと」


 その声にモニターを見れば、日本地図の中で一か所、点滅する場所がある。


「日本、なのね」


「だろうとは思ってたよ。今、コクチョウは全員が監視下にある。動けばそいつがプロメサー、つまりは裏切者だって特定されちゃうからね。だから海外サーバーを経由しても、最後には必ず日本国内の、コクチョウの監視網の『外』にあるどこかからアクセスする必要がある」


 セレスティーナは、黙って彼の説明の続きを促す。


「プロメサーほどのハッカーが使うのは、普通の回線じゃない。奴が利用するのは、コクチョウのシステムに繋がってはいるが、今はもう使われていない『ゴースト・ネットワーク』だ。例えば、何十年も前に作られた、古い学術機関用のサーバーとか、今はもう廃止された施設の気象データサーバーとか……、いわば、デジタルな廃墟さ」


 瀬尾は、指でこめかみをトントンと叩きながら、まるで簡単なパズルでも解いたかのように続けた。


「ファントムが派手に暴れて、あんたたちの注意を引きつけてくれている間に、俺は『プロメサー』の今の居場所を追うのをやめた。代わりに、コクチョウの広大なサーバー群の中から、この『デジタルな廃墟』で、かつ微弱な、正体不明の信号を発している場所をスキャンしてたんだ。干し草の中から一本の針を探すような作業だったけどね」


 彼は、にっと笑って、点滅するモニターの点を指さした。


「で、ビンゴってわけさ。場所は、多摩地区にある、閉鎖された大学の旧天文台のサーバー。そこが、裏切り者の巣ってことだ。ま、俺みたいな天才にかかれば、こんなもんよ」


 その説明は、あまりにもロジカルで、説得力に満ちていた。セレスティーナは、モニターに映る点滅と、椅子にぐったりと拘束された灰島の姿を交互に見つめ、満足げに、そして残酷に微笑む。


「素晴らしいわ、クラブ。あなたは、本当に優秀な犬……、そうねルークくらいにはなれたかしら」


 彼女は、これで「プロメサーの居場所」と「ファントムの身柄」という、世界を動かす二つの最強のカードを手に入れたのだ。


「目を開けたぞ!」


 医療班の一人の声に、二人とも振り向く。薄く目を開けている灰島だが、その焦点は定まらず、半開きになった口からは「ははっ」と笑い声が零れる。


「なかなかしぶといわね。治療に必要ならベッドをここへ運びなさい。でも必ず拘束しておくのよ、油断したらその喉、掻っ切られるわよ?」


 くすくす笑いながら、セレスティーナは灰島を見下ろす。


「クラブ、プロメサーにお手紙を送って。我々はファントムを手に入れた。AEGISの鍵も直に手に入る。お話ししましょう、と。勿論、あの子にも伝わるように」


 あの子、とは当然ユキのことだ。


「了解、ま、どうせあの子の頼みの綱はファントムだ。こっちがわざわざ教えてあげなくても、探してると思うけどね」


 そう言いながら、瀬尾はまたキーボードを叩き始めた。

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