第19話「色のない結婚式」


朝靄の中、マリアは鏡の前に立っていた。


自分の恋色が、少しずつ薄れているのは一週間前から気づいていた。鮮やかだった桃色が、今では朝霧のようにぼんやりとしか見えない。


「どうして……」


不安が胸をよぎる。レオンへの愛が薄れているわけではない。むしろ、日に日に深まっている。なのに、なぜ――


「マリア」


扉の向こうから、ロザンナの声がした。


「ウェディングドレスの最終確認の時間よ」


そう、三日後に結婚式を控えていた。王家の反対を押し切っての結婚。レオンは爵位を返上することも辞さないと言っている。


仕立て部屋で、純白のドレスに袖を通す。使用人仲間たちが、感嘆の声を上げた。


「まあ、マリアさん、天使みたい」エマが目を輝かせた。


でも、マリアには見えていた。エマの恋色も、以前より薄くなっている。いや、エマだけではない。皆の恋色が、霧がかかったように曖昧になっていく。


能力が、失われつつあるのだ。


午後、マリアは最後の力を振り絞って「虹の蔵」を訪れた。


「ああ、そういうことね」老婆は、マリアを見て頷いた。「あなたの役目が、終わりに近づいているのよ」


「役目?」


「恋の色を見る力は、必要な時に与えられるもの。あなたはもう、その力を必要としなくなった」


マリアは戸惑った。


「でも、まだレオンの虹色を見ていたい……」


老婆は優しく微笑んだ。


「見えなくても、感じられるでしょう? それが本当の恋よ」


マリアは、震える手で一つの依頼をした。


「最後に、お願いがあります。私とレオンの恋色を込めた指輪を作ってください」


老婆は頷き、奥から特別な素材を取り出した。虹色に輝く不思議な金属。


「これに、あなたたちの恋を込めましょう。きっと、永遠に輝き続けるわ」


マリアは残された力を全て使い、自分とレオンの恋色を指輪に込めた。桃色と虹色が混ざり合い、この世のものとは思えない美しい輝きを放つ。


「ありがとう」マリアは涙を拭った。「これで、安心です」


夕方、レオンの書斎。


「顔色が悪いな」レオンが心配そうにマリアを見つめた。


「少し、疲れているだけです」


嘘ではない。恋色を見る力を使い果たし、体中が重い。でも、レオンには言えなかった。心配をかけたくない。


「無理をするな」レオンは立ち上がり、マリアの額に手を当てた。「結婚式まで、ゆっくり休むといい」


その優しさに、マリアの心が震えた。恋色は見えなくても、レオンの愛情は十分に伝わってくる。


「レオン、一つ聞いてもいいですか?」


「何だ?」


「もし私が、特別な力を失っても……愛してくれますか?」


レオンは一瞬、驚いたような顔をした。それから、マリアを優しく抱きしめた。


「愚かな質問だ」彼の声が、耳元で響く。「君は君だ。特別な力など関係ない」


マリアは、レオンの胸に顔を埋めた。もう彼の虹色は見えない。でも、この温もりは本物だ。


結婚式前日。


マリアは、ほとんど恋色が見えなくなっていた。人々の周りに、かろうじて薄い靄のようなものが見える程度。それも、じっと集中しなければ判別できない。


「マリアさん、明日はいよいよですね」


トーマスが、特製のウェディングケーキを見せてくれた。白い生地に、食用花で虹のような装飾が施されている。


「まあ、素敵……」


マリアは微笑んだ。もうトーマスの恋色は見えないけれど、彼の幸せそうな表情で十分だった。


「エマと一緒に、心を込めて作りました」


そうか、と思った。恋色が見えなくても、二人の愛情はケーキに込められている。形を変えて、確かにそこに存在している。


その夜、マリアは一人で月光の降り注ぐ庭園を歩いた。


初めてこの屋敷に来た日のことを思い出す。人々の恋色に驚き、戸惑い、そして魅了された。レオンの無色に首を傾げ、やがてそれが特別な虹色だと知った時の感動。


「全部、夢みたいだった」


でも、夢ではない。レオンとの愛は、恋色が見えなくなっても変わらない。むしろ、より確かなものとして心に根付いている。


「まだ起きていたのか」


振り返ると、レオンが立っていた。月光に照らされた彼の姿は、恋色など見えなくても十分に美しい。


「少し、感傷的になってしまって」


レオンが隣に並んだ。二人で月を見上げる。


「後悔はないか?」レオンが問うた。「私と結婚すれば、普通の暮らしは望めない」


マリアは首を横に振った。


「普通なんて、最初から求めていません。あなたと一緒にいられれば、それで十分です」


レオンが、マリアの手を取った。その手の温もりが、何よりも雄弁に愛を語っている。


「君は、不思議な女性だ」


「どうして?」


「最初に会った時から、何か特別なものを感じていた。まるで、私の心の中を見透かしているような」


マリアは苦笑した。実際、恋色という形で見ていたのだから。


「でも」レオンは続けた。「今は違う。君が特別なのは、不思議な力のせいじゃない。君自身が、特別なんだ」


その言葉に、マリアの目から涙がこぼれた。


「ありがとう……」


恋色が見えなくなっても、愛は変わらない。いや、むしろ見えないからこそ、心でより深く感じ取れるのかもしれない。


「明日の準備があるだろう」レオンが言った。「もう休みなさい」


「はい」


部屋に戻る前、マリアは振り返った。


「レオン、愛しています」


月明かりの中で、レオンが微笑んだ。その笑顔に、かつて見た虹色以上の輝きを感じた。


自室に戻ったマリアは、「虹の蔵」で作ってもらった指輪を見つめた。


虹色に輝くその指輪には、確かに二人の恋が込められている。明日、レオンと交換するこの指輪が、永遠の愛の証となる。


「もう、恋色は見えない」


マリアは呟いた。でも、不安はなかった。レオンの愛は、言葉で、仕草で、まなざしで、十分に伝わってくるから。


窓の外では、星が瞬いていた。明日は、きっと晴れるだろう。


恋色の見えない結婚式。でも、それは同時に、最も美しい愛の式典となるはずだった。









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