第17話「最後の試練」


王都からの使者が到着したのは、薄曇りの朝だった。


マリアは廊下の影から、謁見の間へ向かう使者たちを見つめた。彼らの周りには、冷たい灰色の霧のようなものが漂っている。義務と権威の色。恋とは対極にある色だった。


「マリア」


振り返ると、ルディが心配そうな顔で立っていた。彼の若草色の恋色が、不安で揺れている。


「王家からの最後通牒だそうです。旦那様に、然るべき身分の女性との結婚を……」


マリアの胸が、きゅっと痛んだ。予想していたことではあったが、いざ現実となると――


謁見の間では、レオンが使者たちと向き合っていた。


「レオンハルト様、王家の意向は明確です。グレイヴ家の血統を守るため、適切な結婚を」


使者の一人が、書状を差し出した。そこには、候爵家や公爵家の令嬢たちの名前が連なっている。


レオンは書状を一瞥すると、静かに立ち上がった。彼の周りの虹色が、まるで嵐の前の海のように激しく渦巻いている。マリアには、その色の変化が手に取るようにわかった。


「私の答えは変わらない」


レオンの声は、いつもより低く、確固たる意志を秘めていた。


「私は、マリアと共に生きる」


使者たちがざわめいた。そのざわめきの中に、軽蔑と憤りの色が混じる。


「お考え直しください。一介の家政婦などと――」


「彼女は、私の選んだ人だ」


レオンが懐中時計を取り出した。いや、違う。その隣にある、虹色のお守りを。


「身分や血統で、人の価値は決まらない。私は彼女と生きる。それが私の意志だ」


その瞬間、扉が開いた。


「あら、熱い告白ね」


現れたのは、セシリア・アルメリア・ベルベットだった。公爵令嬢の装いも凛々しく、使者たちが驚きの表情を見せる。


マリアは息を呑んだ。セシリアの恋色が、以前とはまったく違っていたから。灰色の偽りは消え、清らかな銀色に変わっている。月光のような、神聖な輝き。


「セシリア様、あなたなら理解していただけるでしょう」使者の一人が言った。「このような身分違いの――」


「黙りなさい」


セシリアの一喝に、使者たちが口を閉じた。


「私も、つい最近まで同じような考えでした。恋は権力を得る道具だと」


セシリアはマリアを見つめた。その瞳に、かつての冷たさはない。


「でも、あの子に教えられたの。本当の恋を」


セシリアは懐から、真実の恋を映す手鏡を取り出した。マリアが以前、彼女に渡したものだ。


「この鏡に映ったのは、私の本当の気持ち。地位も名誉も関係ない、ただ一人の人を想う心」


セシリアの恋色が、より一層輝きを増した。その銀色の光は、まるで祝福のように部屋を満たす。


「だから、私は証人となります。レオンハルト様とマリアの恋が、真実であることを」


使者たちは顔を見合わせた。公爵令嬢の証言となれば、無視はできない。


その時、マリアは前に進み出た。


「失礼します」


全員の視線が、マリアに集まった。使者たちの侮蔑の色、レオンの心配と愛情の虹色、セシリアの応援の銀色。


「私からも、申し上げたいことがあります」


マリアは虹色のお守りを握りしめた。


「確かに、私は一介の家政婦です。レオン様とは、身分が違いすぎます」


使者たちが、当然だという顔をした。だが、マリアは続けた。


「でも、恋に身分は関係ありません。私は、レオン様の無色を虹色に変えることができました」


「何を言っている?」使者の一人が眉をひそめた。


マリアは微笑んだ。彼らには見えない。この部屋に満ちている、美しい恋の色たちが。


「レオン様は、感情を押し殺して生きてきました。でも今は違います。喜びも、悲しみも、そして愛も、素直に表現できるようになった」


レオンが、マリアに歩み寄った。


「それは、君のおかげだ」


二人の恋色が交わり、部屋中に虹のような光が広がった。もちろん、マリアにしか見えない光景だが。


使者たちは、なおも抵抗しようとした。だが――


「もういいでしょう」


扉のところに、老家政婦長のロザンナが立っていた。その後ろには、トーマスとエマ、ルディ、そして屋敷の使用人たち全員が。


「私たちは皆、証人です」ロザンナが言った。「この恋が、どれほど美しいものか」


トーマスとエマも頷いた。彼らの恋色が、朝日のように輝いている。


「旦那様は変わりました。マリアさんのおかげで、本当の意味で人間らしくなった」


使者たちは、完全に孤立した。これだけの証言を前に、もはや反論の余地はない。


「……王家に報告します」


使者たちが退出した後、静寂が訪れた。


セシリアが、マリアに近づいた。


「ありがとう。あなたのおかげで、私も本当の恋を見つけることができた」


「セシリア様の恋色、とても美しいです」


マリアの言葉に、セシリアは不思議そうな顔をした。


「恋色?」


「……いえ、なんでもありません」


セシリアは首を傾げたが、それ以上は追及しなかった。


「幸せになりなさい。それが、私たちへの最高の答えになるわ」


セシリアが去った後、レオンとマリアは二人きりになった。


「怖くないのか」レオンが問うた。「王家を敵に回すことになる」


マリアは首を横に振った。


「あなたと一緒なら、何も怖くありません」


レオンの虹色が、優しく脈動した。彼はマリアの手を取り、そっと唇づけをした。


「君は、私の全てを変えた」


窓の外では、雲が晴れ始めていた。太陽の光が差し込み、二人を祝福するように照らす。


試練は乗り越えた。あとは、二人で歩んでいくだけ。


マリアは、レオンの虹色を見つめながら思った。この色が見える限り、どんな困難も乗り越えられると。






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