第5話『名を背負う者』
「お父上がお戻りになられました」
クラリスの報せに、屋敷の空気が少しだけ張り詰めた。
神聖ラティウム帝国の貴族たちは基本的に忙しい。
ましてや父――アレクシス・ヴァルネスは、帝国軍の元帥であり、ヴァルネス公爵家の現当主。
任地と王都を行き来する日々を過ごし、俺の生誕の時にも屋敷にはいなかった。
……だから、俺は思っていた。
(前世の俺は、レオンの父親を“冷たい人”だと思っていた)
妻の死に目にも立ち会えず、息子の前にも滅多に姿を見せない。
そんなふうに、原作を読んでいた頃は思っていた。
けれど今は――ほんの少しだけ、違う。
⸻
扉が開く。
床を打つ、重みのある足音。
「……これが、レオンか」
姿を現したのは、銀灰の軍服に身を包んだ鋼鉄のような男。
その視線は鋭く、隙がない。
けれど、俺の顔を見たとき――わずかに、その瞳が揺れた気がした。
「魔力判定の結果は聞いた。闇と無属性、完全適合。……見事だ」
それだけを淡々と告げる。
感情を感じさせない、軍人らしい話し方。
けれど、その間に一瞬の“沈黙”が挟まる。
俺にはわかった。
あの沈黙の中に、言葉にできない“痛み”が潜んでいたことを。
(……本当は、ここにいたかったんだな)
母が命をかけて俺を産んだ日。
父は、帝国の外地で軍の指揮を執っていた。
貴族としての務めを果たしていた――その裏で、
最愛の人の最期に立ち会えなかった。
そして今も、俺にどう接していいのかわからずにいる。
⸻
「……妻は、お前を産んで逝った。
あれほど誇り高い女が、命をかけて望んだ子だ。
その代償に見合うだけの力を、お前が持っていたのなら……それで、いい」
その声は、静かで、それでも苦しげだった。
原作では描かれなかった、父の“後悔”。
そして今も――
どう息子に向き合えばいいのかわからない、不器用さ。
“命を代償に生まれた存在”。
それが、俺という息子。
父としては、簡単に愛を与えられるはずがない。
(そうだよな……こっちも、どう接してほしいのかわかんないし)
でも――
それでも、俺はこの人を嫌いにはなれなかった。
⸻
「力を得たなら、それに見合う責任を背負え。
お前はヴァルネスの嫡男だ。
家名を汚すことなく、誇り高くあれ」
言葉は厳しかった。
けれど、その奥に確かにあったのは、
“これしか言えない男なりの、父親としての願い”だった。
俺はまだ赤ん坊だ。何も答えられない。
でも――だからこそ、余計に心に響いた。
⸻
父は俺に背を向けて、最後に一言だけ残した。
「……生きろ」
そして、静かに部屋を去っていった。
その背中に、震えるような影を感じたのは、気のせいではない。
⸻
(父は、冷たい人なんかじゃなかった)
“何も言わなかった”んじゃない。
“言えなかった”だけだ。
妻を失い、息子を抱く資格があるのか迷い、
それでも立ち上がって“父であろうとした”男。
なら俺も――
ただ期待に応える“立派な跡取り”じゃなく、
この人と、向き合える“息子”になりたい。
⸻
「ヴァルネス……か」
俺はその名を、静かに噛みしめる。
背負うには重い名だ。
けれど、誇ることもできる名だ。
母が遺してくれた命と、
父がくれた覚悟。
その両方に、恥じないように。
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