26話 作戦会議(2)
1950年 3月8日
大
絶句。西条の様子はそうとしか言えなかった。
彼女の内心に渦巻いている感情がどのようなものか、真言にはおよそ計り知れなかった。この場の誰にも知りえないことだろう。
凄惨な沈黙を、阿部少将はしばらくのあいだあるがままとした。五分とも十分とも感じられた、しかし実際には十秒程度の静寂は、西条にとっては生き地獄にも近かっただろう。
「軍務大臣邸の母屋には広い地下室が存在する。二十六日の深夜、その地下室に『トコヨノカミ』と推定される外見の人物が移送されたという旨の密告が家人からあった。それを受けて監視を強化した結果、七日に『オオムカデ』の出入りが確認された」
すでに勘当されたとはいえ、血縁上の父親が叛乱軍に与し、その関係者を匿っている。その事実のもたらす衝撃は凄まじいものがあるはずだ。
特に西条は、自分が正しいと考えるものについて並々ならぬこだわりがあるように思える。そうでなければ腹を切ろうなどとは思いもしないだろう。
「西条大臣に対しては、十日早朝に大元帥陛下からの直接召集がかけられる。
「軍務大臣が畏れ多くも参内を拒否した場合はどうするお考えでしょうか」
西条は明確な意図を込めてそう言った。
『父』でも『西条大臣』でもなく、単に役職名だけで。
本来、ここで西条に発言権はなかったが、阿部少将はあえてそれを責めようとはしなかった。
「その場合、先の叛乱において間接的に陛下の玉体を害し奉ることを試みたとして罪状を大逆罪に引き上げ、作戦上のあらゆる配慮から除外することが決定されている」
大逆罪。その言葉の重みに誰もが息を呑んだ。
この国で最も尊い存在を害そうとした者のみに科される最も重い罪だ。
その罪に対する刑罰は、唯一死刑のみと定められている。
「作戦開始後、軍務大臣邸を特務作戦団が包囲する。同時に各地に存在する叛乱軍の秘密施設への攻撃も開始。『オオムカデ』が迎撃もしくは逃走を目的として姿をあらわした場合、西条隊による誘導が開始される。誘導地点は……ここだ」
そこには、なにもない平坦な土地が広がっていた。
以前までとある華族が屋敷を構えていた場所だ。戦時中に売り払われ、今は取り壊しが終わりつつある。
「この地点に誘導が成功次第、空軍の偵察機が作戦司令部にそのことを通達する。確認が取れ次第、きわめて例外的かつ予測不可能な手段で『オオムカデ』を無力化する」
瞬間、誰もが思い浮かべたことを予測していたように、阿部少将が付け足した。
「『例外的かつ予測不可能な手段』については、事前に通知することはできない。これは作戦の成否に大きく関わる事項であり、現場で戦う者にさえ教えることはできないのだ」
そう言われても、というのがみなの素直な感想だった。
作戦遂行に不可欠であるはずの情報が開示されないことに不満を持っている者は少なくなかった。あの平野でさえ、明らかに納得していない顔をして聞いている。
「その西条隊による陽動と並行して、第一、第二中隊による『トコヨノカミ』の奪取が行われる。以上だ。何か質問は?」
真っ先に西条が前に出た。
緊張からか、首筋に汗が垂れている。
「家中の者については、どう対処するのでしょうか」
「叛乱軍に協力した罪禍は、何も軍務大臣だけのものではない。匿うことを決めたのが大臣だとしても、それを警察なり国家情報局なりに通報しなかった時点で、
国家の大事に際しては多少の被害は許容される、ということだ。
それは何も間違っていないが、ゆえに間違っている。だが、森羅万象すべてはもともと間違っているものだ。
西条は目礼して引き下がった。その表情は複雑をきわめ、容易には感情を読み取れない。
「よろしいでしょうか」
続いて真言が言った。
「ああ」
「残念ながら、自分の現状の戦闘能力では全力の坂之上卿──失礼、『オオムカデ』──と伍することは難しいかと考えます。仮に西条隊全員でかかったとしても、それほどの差は生じないでしょう」
二日前の件は、何重にも重なった手加減の上に成り立っていたのだ。
坂之上卿に真言に対する敵意がなく、割って入った近衛軍への反撃もなかった。
──師匠の全力など、とても想像がつかない。
それが真言の正直なところだった。
あの日見せた凄まじい連撃でさえ、氷山の一角に過ぎないのだろう。
たとえ今や同じ自然宿主であるとしても、互角に戦えるかというのはまったく別の問題だ。
「真正面から戦って勝て、と言っているわけではない。特定の位置まで誘引すること、それが西条隊の──いや、貴官の役割となるのだ」
「自分の役割、ですか」
「……大将閣下」
阿部少将は遠離院卿を見やった。
「麻呂から説明しよう。はっきり言えば、この無茶な作戦の成否は、そなたにかかっておると言っても過言ではおじゃらん」
「と、言われますと」
「『オオムカデ』にかかれば、単騎で特務作戦団を相手取ることも可能でおじゃろう。そして、二日前のような手加減があるかどうかは事前にはわからぬときた。そこでそなたでおじゃるよ。『オオムカデ』はそなたを殺さぬ。決してな」
「なぜです?」
「わからぬか?」
真言を見据える遠離院卿の瞳には真剣さがあった。
「二日前の戦闘で、師匠は一度だけ、全力の片鱗を見せられました。擬蟲が反応していなければ、自分はあれで殺されていたかもしれないのです」
「正確に言えば、『殺そうとは思っておらぬ』でおじゃるよ。そうやって不意に殺しかけることはありえても、はじめからそなたを殺そうとは絶対に考えぬ。今はな」
「……そう、でしょうか」
「そうでおじゃるとも!」
珍しく声を上げた遠離院卿の口調には、呆けかけの老人に喝を入れるかのような雰囲気があった。阿部少将は意外なものを見たかのように目を見開いている。
「ありえぬ。絶対にな。ありえぬのよ」
どこか自分自身に言い聞かすような。そして、どこか相手を説得するような言い方だった。
「わかりました。天姫さまをお救いするために必要であるのなら、身命を賭してその役目を果たします」
「……今は、それでよい」
わずかな沈黙の後、遠離院卿はそう答えた。視線を受けた阿部少将が一同を見回す。
「他に、何かあるか? ……平野将曹、何かね」
「は。興人會の首魁である秋吉亮二の居場所は、知れているのでしょうか」
秋吉亮二。
諸悪の根源。二月二十六日から続く一連の事件を引き起こした張本人でありながら、その思想も目的も未だ知れない、不可解な人物だ。
「所在は今なお不明だが、『トコヨノカミ』を伴って大陸へ脱出を図っていることは間違いない。すでに逃走経路と手段には目星がついている。これを見ろ」
阿部少将が見せたのは、拡大された一枚の写真だった。港に停泊した状態の艦艇が映されていて、関東軍と思しき陽本兵たちがその上に軍旗を掲げている。写真の上部には『皇紀二六〇九年六月十五日 金角湾ニテ』とある。つまり約八ヶ月前のものだ。
「元軍から鹵獲した潜水艦、でありますか」
「そうだ。金角湾をはじめとする北満州の扱いはビザンティオン講和会議でも揉めに揉めたが、ここで鹵獲された一部の艦艇が終戦前後の混乱に紛れて行方不明となった。その中には無傷の潜水艦一隻が含まれており、秋吉はこれを利用した逃亡を企てているとみられる」
黙ってそれを聞いている西条の面持ちは、これ以上暗くなりようのないほどだった。
いくら戦後の混乱に乗じたといえ、潜水艦丸ごと一隻を隠蔽するというのは尋常ではない。この件にも、間違いなく西条軍務大臣が関わっているのだろう。実の父親に対する彼女の思いがどのような形をとっているのか、もはや想像するだに恐ろしかった。
「昨年十一月には台湾で目撃情報があり、先月下旬には相模湾で漁船と不審な潜水艇との接触事故が報告されている。よって同艦は現在も周辺海域に潜伏している可能性が高い。すでに海軍の対潜水雷戦隊が専従で哨戒にあたっており、地上でも警察と国家情報局による捜査が継続されている。さらに、作戦開始前後には各地の漁協に要請を出し、軍民合同で監視体制を敷く予定だ」
「万が一、作戦開始前に敵方が動いた場合は?」
「その兆候を察知し次第、作戦開始時刻を無条件に繰り上げ。この場合は巻き込み被害も必要な犠牲として扱う。なお、その予備作戦については詳細を明かすことはできない」
市街地での戦闘になる。作戦の性格上、避難指示など出せるはずもない。
さらに言えば、軍務大臣私邸にいる大臣の家族や使用人などの非戦闘員を巻き込むことはほとんど不可避と言っていい。
好き好んで非武装の人間を戦場に巻き込みたがる兵などいない。この場にいる誰もが、できるだけそうならないことを願っていた。
「他にはないか? よろしい。作戦書は西条隊長および平野副長に渡しておく。仔細は中隊の作戦説明で理解してもらいたい。では本日は以上で解散とするが……遠離院卿、なにかございますか」
西条隊の全員が姿勢を正した。
遠離院卿は会議室を一望して全員の顔を見据えたあと、普段の公家言葉を使うことなく言った。
「皇国の興廃は、正しくこの作戦の成否にかかっている。各員、皇軍の精兵、聖上直隷にして
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