29話 攻囲

1950年 3月10日

陽本ようほん帝国 帝都 




 午前六時三十二分。

 近衛軍司令部に設けられた作戦指揮所では、本作戦の総指揮官である阿部少将が今か今かと皇城こうき警備にあたっている部隊からの報告を待っていた。


「──皇城より入電。西条軍務大臣の身柄を確保とのこと!」


 それを聞き終えるや否や阿部少将は勢いよく立ち上がり、通信兵に向けて指示を出した。


「全部隊に通達、作戦開始!」


「作戦指揮所より特戦団各隊。作戦開始。繰り返す、作戦開始」





 西条軍務大臣邸は六千坪の敷地を有し、母屋と離れにくわえて広大な陽本庭園などからなる豪壮な屋敷である。家人と使用人合わせて五十人あまりがここで暮らしている。


『──作戦開始。繰り返す、作戦開始』


 その通信から間もなく、塀で外部と隔てられた屋敷の周囲を特務作戦団の戦闘車両がすみやかに包囲した。


 時間帯も相まって、この地域で出歩いている者はそれほど多くなかったが、いくらかの民間人がただならぬ様子を察知して踵を返したり、付近の邸宅へ逃げ込んだりする様子がみられた。


 正門前には西条隊の強化人間を含めた二十一名が集結している。

 いずれも第一から第三強化人間中隊の面々だ。


 五式重戦闘強化人間十三名、七式軽戦闘強化人間六名、試製九式機動戦闘強化人間一名。

 そして、自然宿主一名。


 大戦力である。

 全員が近衛軍の最精鋭であり、先の大戦に従軍し多数の経験を積んだ歴戦の兵も多い。練度と性能ともに、間違いなく帝国の最高戦力がここに集まっていた。


「突入だ。『オオムカデ』が出現し次第、西条隊は陽動に移れ」


「了解」


 現場指揮官である第一中隊長が宣言した。

 すると二人の強化人間が正門に勢いよく体当たりをし、跡形もなく吹っ飛ばした。


 間髪入れずに強化人間たちが邸内へと踏み入っていく。もちろん、強化人間にかかれば対人用の塀などは一飛びで乗り越えることができるが、この場合は敵に──『オオムカデ』に──襲撃を気づかせるためでもあった。


 そしてそれは、どうやら徒労だったようだ。


 邸内に入ってまもなく、強化人間たちの足がぴたりと止まる。


「──御所巻でもやっとるつもりか、己ら」


 坂之上卿は、門の破片を浴びながらも平然としてそこに立っていた。

 以前と変わらぬ立ち姿だ。和装をまとい、そして長大な太刀を佩いている。


 その身体の大きさに反して異様な存在感を発しながら、坂之上卿はその場にいる全員を一人ずつ一瞥した。


 ほんの一瞬だったが、その視線を受けた誰もが、自分のすべてを見透かされたかのような不安に襲われていた。そして、おそらくそれが正しいということも直感的に理解していた。


「蟲つきが十……二十か。囲みにも同じだけおるな。本当に、十年かそこらでよう増やしたものよ」


 最後に視線が向けられたのは、やはり真言だった。

 師の双眸を見据える。坂之上卿が何を思い、何を考えているのか──それが真言には読み取れなかった。


 ──昔は、そんなことはなかったというのに。


 長い付き合いだ。人生の大半を彼女と共に過ごしてきた。

 将軍警護隊に入隊してからは顔を合わせることも少なくなったが、それでも師への敬意も思いも絶えることはなかった。


 わからない。なぜ自分が、坂之上沙羅双樹を理解できなくなったのかがわからない。

 強烈な自己矛盾にはまり込みかけていることを自覚した真言は、そこで思考を止めた。

 

「師匠。天姫さまはここにおわすのですね」


「……おるよ」


 真言がまず最初に天姫について言及したことが不満だったのだろう、坂之上卿は素っ気なく答えた。


「まあ、渡す気はないが」


 坂之上卿が太刀に左手を添えた。全員が瞬時に身構える。

 だが、抜刀の体勢に入っているにも関わらず、殺意も敵意も感じられない。真言が訝しんでいると、突然、坂之上卿は口笛を吹いた。


「何を──」


「真言や。もうっと精進せい。今の己では儂は殺せん」

 

 次の瞬間、屋根に立つ坂之上卿の足元に位置する壁が破壊され、二つの人影があらわれた。速度からいって、強化人間であることは明らかだった。


 二人の強化人間は、壁を突き破った勢いのまま一直線に真言へと躍りかかった。

 合計一トンにも達するだろう重量と、時速数十キロの速度が掛け合わされた運動量が真言の全身を後方へと吹っ飛ばす。


「ぐっ──!」

 

「大杉!」


 西条が叫んだ。

 真言が離れの建物に叩きつけられるのと同時に、坂之上卿は屋根から猛禽のごとく飛び降り、その瞬間において自分への警戒がもっとも少なかった強化人間を一刀のもとに切り伏せた。


 起き上がった真言の眼の前には、坂之上卿への行く手を塞ぐように立ちはだかる強化人間たちがいた。


 一方は重量型の無骨な鎧殻形状を、もう一方は軽量型の流麗な鎧殻形状をしている。どちらも、前方に伸びている触角が特徴的だ。


 この二週間、真言は暇さえあれば小早川から強化人間について教授を受けていた。苦痛も多かったが、その甲斐あって眼前に立つ敵が何であるかはすぐにわかった。


「十式特型……実用化されなかったのではないのか」


 十式特型戦闘強化人間。西条の試製九式と次世代強化人間の座を争い、結果として敗れた技術だ。きわめて画期的な特殊能力を備えていたのだが、そのが改善の余地なしと見なされて廃案となったと聞いている。


「どけ。お前たちの相手をしている暇はない」


「……いっし、ほう、こく」


 十特戦のひとりは、呂律のまわっていない様子で言った。

 一死報国。かろうじてそう聞き取れる言葉を。


 彼らの備える特殊能力と、その重大な欠点。

 それは──




『──十特戦のもっとも画期的なところはですね、その隠匿性にあります』


 五日前、小早川が語っていたことだ。


『これは戦場における隠密性ではなくてですね、いわゆる秘密作戦や潜入工作のための能力です。基本的に強化人間というのは、手術後三日から一週間で全身の組織と器官が新しくなります。骨格と融合した擬蟲が宿主の身体を強靭化するわけです。これに伴って体重が急激に増加し、最終的には三百から六百キロの範囲に落ち着きます。もちろん、人間の形は保ったままですから、どうしても違いはわかってしまいますよね? 足音や、足跡なんかも明確に変わりますから』


 そうして熱意をにじませて語る小早川に、真言は無言で頷いた。


 不意に大きな物音を立ててしまうことは、宿主となってから頻繁にあったからだ。木製の床を踏み抜いてしまうこともあった。どれだけ肉体の扱いに習熟しても、小早川が言うとおり生身の人間に紛れるのは不可能だと思われた。


『外国に強化人間を送って、何かその性能を活かした破壊工作をさせようというのは発想としては容易ですが、実現は困難です。一般人を装っても、体重五百キロじゃあ誰でも気づきますからね。十特戦は、擬蟲による全身の強靱化を任意のものとすることによって、強化人間であることを隠すという趣意のもと開発されました』


『任意、というのは?』


『手術に用いる擬蟲それ自体の重量はせいぜい三十キロていどです。仮に六十キロの人が強化手術を受けたなら、直後の体重は九十キロになります。その段階で一度止めるんです。それ以降の身体の変化は、特殊な薬剤によって任意の時点から開始することができます。つまり……』


『強化人間であることを隠して、たとえば税関を通過した後に身体の変化を起こせるわけか』


『そういうことになります。汎用性を高めるために、一度変化を起こした後に逆戻りさせる──つまり、普通の人間の身体と、強化人間の身体とを行き来可能にする──技術も考案されてはいたんですが、これは早々に無理だと判断されました』


『なぜだ?』


『そのためには擬蟲の生体反応をきわめて厳密に制御する必要があるんです。これがなかなか無理筋でして。秋吉大佐はいいところまで行っていたらしいんですが、戦争が終わって予算も縮小されてしまい、も改善の目処が立たなかったため、そのままお蔵入りということに……』

 

『で、その重大な欠点というのは、なんだったんだ』


『ああ、身体変化を起こすために使用する薬剤の副作用がですね、どうも脳に悪影響を及ぼしてしまうものだったようです。長期にわたって意識の混濁や情緒不安定が続き、最終的に死亡してしまうというのが続いたとか』


 小早川はなんでもないことのように言った。

 そこに被験者への同情やそれに類する想いはない。ただ、彼女の興味がそそられる技術が絶えてしまったことだけを少しだけ残念がっているだけだ。




 現在。


「──なるほど。国家情報局が気づかないわけだ。生身のふりをしてここに入ったのだな」


 真言の予想はおそらく正しかった。この二人は正規に配属された強化人間ではなく、秋吉がなんらかの手段で秘匿していた者たちだろう。正式配属されていない員数外であるから、書類を追ったところで存在が明るみに出ることはない。


 おそらく先月二十六日の反乱に前後して生身に近い状態で邸内に入り、その後に例の身体変化を始める薬剤を使用したのだ。様子が妙であるのは、小早川が言っていた副作用の影響か。


「じん、ちゅう、ほう、こく」


 二人は真言の発言を意に解することなく──そもそも、聞こえているのかも定かでない──迫ってきた。


 爆発。

 軽量型の方が爆炎に包まれながら吹っ飛んだ。鎧殻が砕けて飛び散る。

 十式擲弾砲による攻撃──西条だ。


 すばやく機動して接近してくる西条に気を取られた重量型の背後から、平野が一九ひときゅう式刺突砲を放つ。直前で回避されたため鎧殻を貫通することはできなかったが、その隙に西条隊の強化人間全員がこの場に集まった。


 他の部隊とは断絶されてしまったかたちだ。

 母屋の正面で坂之上卿と戦っている近衛軍の様子は、真言たちからは離れの建物の影に隠れてうかがうことができない。

 

 しかし鎧殻が砕け散る音と、発砲音が建物越しに響いてくる。坂之上卿と戦闘中なのだ。作戦計画はすでに崩壊している。


 ──早く師匠のもとへ向かわなければ。

 

「西条、すぐに片付けるぞ」


「わかっている。素早い方は私と大杉がやる。大きいのは平野と残りであたれ!」


「「了解!」」

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