28話 作戦開始

1950年 3月10日

陽本ようほん帝国 帝都 





 その日、帝都はすがすがしい快晴だった。


 前日の深夜から作戦行動のため、国家情報局の協力のもと秘密裏に展開を行った近衛軍部隊は、雲一つない夜空を眺めながら決行の時を待つこととなった。


 西条軍務大臣私邸には、午前六時に皇城こうきより直電がかかる。

 そこで可及的すみやかに参内することを命じられた西条大臣が、皇城近辺に待機している近衛軍に逮捕されたことを確認した時点で作戦開始となる手はずである。


 仮に大臣が参内を拒否、もしくは一時間以上にわたり私邸を出ることがなければ、作戦は逮捕を待たず実行に移される。生死は問わない、ということだ。




 近衛軍司令部で待機しているのは、阿部少将の指揮する特務作戦団の総勢五百名あまりだった。


 近衛軍の主力は、すでに国家情報部が把握している十数の叛乱軍施設を襲撃、殲滅するために深夜の内に展開を完了。あとは作戦開始の一報を待つのみという状況だ。


「六時です」


 懐中時計を握る小早川が言った。

 周囲の隊員たちがざわつく。いよいよか、と。


 西条を含めた強化人間五名は完全武装である。すでに着鎧し、一九年式三十五ミリ刺突砲と十式擲弾てきだん砲を装備している。真言にも一九式が一門貸与された。


 生身の歩兵たちは戦闘装甲車両による援護を担当することとなっており、坂之上卿への対抗手段として空軍機に用いられている三十粍機関砲を機関銃座に後付けするという無茶な改造が車両に施されている。


 その装備でも致命傷を与えられないことはわかっているが、せめて坂之上卿の集中力を削ぎ、誘導の成功に一役買うための案だった。

 

「すでに空軍の偵察機が二機、厚木を離陸して帝都上空を遊弋ゆうよく中だ。作戦開始の準備は整っている。あとは……」


 西条はあえてその先を言わなかった。


 真言がふと周囲を見回すと、特務作戦団の他部隊の様子が目に入った。

 この作戦に投入される強化人間は総勢四十五名。いずれも特務作戦団の最精鋭であり、西条隊を除く四十名は軍務大臣邸の包囲ならびに豊臣天姫の確保を担当する。


 邸内に坂之上卿以外の叛乱軍戦力が存在するかどうかはわかっていない。国家情報局は驚くべき速さで西条大臣と興人會とのつながりを暴いたが、流石にそこまでは深く入り込めなかったようだ。


 だが、残存する叛乱軍の主力は大半が帝都の郊外に隠れ潜んでいる。

 仮に戦力が隠匿されていたとしても大規模であることはありえない、というのが作戦司令部の考えだった。


「大杉」


 声をかけてきたのは遠野だった。


「なんだ」


「はっきり言うが、俺らじゃ『オオムカデ』には手も足も出ない。せいぜい囮になれるくらいだろう」


「そうだな」


 真言は意外に思っていた。

 西条と平野を除く三人のうち、積極的に自分と関わろうとしてきたのは遠野だけだった。それも友好的なものではなく、むしろ敵愾心の発露だったように思う。だが、今の彼にはそれが見られなかった。


 遠野は少しだけ声を抑えて言った。


「いいか、俺らは全員死なすつもりでやれよ。作戦成功が最優先だ」


「……いきなりどうした」


「そうしなきゃ成功しないと思ってるから言ってるんだ。前みたいに何もできないのはごめんだからな」


「わかった。そうしよう」


 感謝を込めて、真言は素直にそう伝えた。

 遠野はどこか不意を突かれたような声で──顔は鎧殻に隠されて見えない──言う。


「やっぱりよくわからんやつだな。なあ、お前がたいそう大事に思ってる姫さまってのは、どんな人だ?」


「急になんだ。緊張してるのか?」


「いいだろ、別に。顔は写真で見たけどよ、為人ひととなりってのは写真じゃわからんからな」


「我が君は──」

 

 ふと、主君の顔を想起した。

 

 一片の瑕疵もない、整った容貌。

 信じがたいほど白く清らかな肌。

 そして、すべてを見据える八つの瞳を──


「……おい、どうした」


 怪訝そうな遠野の声が、なぜか遠くに聞こえた。


 真言の精神の奥深く、本来意識して触れることのできない部分から、が伸びてくる。


 それは記憶と感情を強引にかき分けて、探るように真言の心を荒らしはじめた。

 この記憶は何か、あの感情は違う、といったふうに、ひとつひとつを見分しているかのようだ。


 やがて一つの、固く封じ込められている記憶に、そのが近づいていく。

 取り出すことのできないよう厳重に保護されたその記憶のまわりを這い回り、侵入のための隙間を探っている。


 ──やめろ。それは、駄目だ。


 そう考えたとき、真言の内にあるもう一つの精神──擬蟲の心──から、大量の情報が流れ込んできた。


 それらの大半は意味を持たず、ただいたずらに記憶と感情とを押し流す濁流だった。

 しかし、はその濁流の勢いに負けて、どこかへと消え去っていった。


「──い、おい!」


「……すまない。少し、考え事をな」

 

 遠野の声がはっきりと聞こえる。

 数十秒にも数分にも感じられたが、実際にはそれほどの時間は流れていなかった。十秒にも満たないていどだ。


「大丈夫か? お前が不調じゃどうしようもないぞ」


「問題ない。俺も緊張しているようだ」


「……ならいいけどよ」


 遠野は疑わしい目を向けている。


 ──今は、考えるべき時ではない。

 真言はそう結論づけて、何も考えないことにする。余計なことを考えて、今のような隙をさらしては本末転倒だ。

 

「──軍務大臣が私邸を出た」


 阿部少将がよく通る大声で言った。

 その場にいる全員の視線が集まる。


「自家用車で皇城こうきへと向かっている最中だそうだ。これより作戦準備段階に入る。総員、戦闘準備!」


「「はっ!」」


 特務作戦団の戦闘員たちが迅速に準備を整え始める。むろん真言も彼らに倣った。

 一分と経たずに、全ての用意がつつがなく完了した。

 





 西条高尚軍務大臣は、今年で五十八歳を迎える。

 西条家は維新戦争の前後で帝国建国に尽力した武士の一族で、いわゆる新政府閥の一員だったが、二世代にわたって芽が出ず、彼の代で初めて大臣を輩出した。


 士官学校を出、陸軍に入隊し、さまざまな苦難を経て陸軍長官にまでなり、いまや軍務大臣。それが彼の誇りであり、自我そのものだった。


 だが、軍務大臣以上を望む気はとうに挫けていた。

 豊臣家の地位を奪うことはできないし、西条家の家格では近衛府に近づくことも不可能。その事実が、彼に今ある地位と名誉への執着を持たせたのだ。


 何としてでも現状を維持するという強い意志を。


「──ご当主! ご当主!」


 西条軍務大臣は、早朝から大声で叫ぶ使用人によって起こされた。


「なんだ、朝っぱらから」


 不愉快さを隠そうともしない主人に対して、青ざめた使用人は息もできない様子で言った。


「せ、聖上陛下から、直接のお電話が……」


 士官学校時代を思い返すほどの瞬発力で寝床から起き上がった大臣は、身支度を整える暇もなく受話器をとった。


 寝起き間もない大臣の耳に入ったのは、どう聞き間違えようもない玉音であった。

 電話の主は、この国でたった一人しか用いることを許されない一人称を使っている。

 眠気ははるか彼方まで吹っ飛んでいった。


「西条でございます……はい、ええ……は、今なんと……? いえ、はい……は、かしこまりました。直ちに……」


 会話はすぐに終わった。大臣は受話器を置くと、深い息を吐いてから使用人に叫んだ。


「参内せねばならん。すぐに用意をしろ」


「は、はい! 只今!」


「──なんぞ、騒がしいの」


 大臣と使用人のどちらも、声がするまでその存在に気づいていなかった。

 はっとして振り向いた視線の先には、一人の女が立っていた。


 一度気づきさえすれば、その異様な存在感を全身で感じることができる。

 人間の形をした何か、恐ろしく、偉大なものがそこにいるのだと。

 なぜ先ほどまでの自分は、に気づけなかったのか、という思いを抱かざるを得ない。

 

 坂之上沙羅双樹は、呆気に取られている二人を気にする様子もなく、言った。

 

の御召喚か」


 棒立ちしていた大臣はそう言われて初めて、自分が火急の要件に追われていることを思い出した。


 ──とにかく今は急がなくては。


「ええ、ですから急がねばならんのです。ここは失礼を」


「おう。無礼のないようにの」


 そんなことはわかっている。と思ったが、口には出さなかった。


 坂之上卿が、およそ人間の領域をはるかに超越した存在であることは生身だろうと誰にでもわかる。彼女の敵意を好んで買いたがる者は、それこそ自殺志願者だろう。

 

 大臣は着替えるために早足でその場を去っていった。

 あとには、今の騒ぎを聞きつけてやってきた中年の使用人が、坂之上卿を前にしてどうすることもできずに突っ立っているだけだった。


「おい。そこの女中」


「は、はい。なんでしょう……?」


「あやつがここを出たら、家中の者と共に裏庭へ出ておけ」


「裏庭へ……? な、なぜでございましょう」


「死にとうないなら、であるがの」


 そう言われてしまえば、選択肢はない。


 軍務大臣家中の者は、自分たちの主人が叛乱軍に組していると噂される坂之上卿を匿い、さらには不審な品物や人物の行き来を隠蔽していることを知っていた。


 怪しいと思う者はいたが、深入りすればどうなるかわからない。

 恐怖と不安が義心に勝り、彼女通報や密告をすることなく、今日を迎えてしまったのだ。


「……わかっておろうが、地下には寄りつくなよ。死ぬより恐ろしいことになりかねん」


「も……もちろんでございます! ご忠告のとおりに……!」


 二週間ほどまえの早朝に、地下室へ何かが運び込まれたのをこの使用人は見ていた。


 叛乱が起こっているから、帝国軍の部隊が大臣の警備に来たのだとその時は説明されたが、その場にいた兵士たちはどう見ても護衛という雰囲気ではなかった。


 想像よりもずっと恐ろしいことが起こっていたのかもしれない。

 使用人がそう考えた時には、すでに事態は着々と進行していた。

 

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