1話 生体化学技術研究所

1950年 2月26日

陽本ようほん帝国 帝都 陸軍生体化学技術研究所 




 東の空が薄明はくめいに至るころ、帝都の中枢における叛乱軍の活動は急速に弱まりつつあった。


 およそ六時間前。

 征夷大将軍官邸、将軍府庁舎、軍務省をはじめとした多数の官公庁と社会基盤施設インフラストラクチャーが電撃的奇襲を受け、帝都の混乱は最高潮に達していた。


 官邸にて襲撃を受けた征夷大将軍豊臣秀清とよとみひできよ公の消息が知れず、また叛乱軍勢力の詳細も不明であるという状況にあって、押っ取り刀で動員された帝国軍部隊は十分な装備もないまま敵方の強化人間に圧倒され、大損害をこうむるありさまであった。


 断続的な停電と通信障害により、事態の正確な把握さえ困難な状況であったが、間もなく将軍府からの報告を受けた侍従長により事の次第が奏上され、戒厳令の発布と近衛軍の出動に関する聖断が下された。


 すでに禁闕きんけつ守護のため皇城こうき近辺に動員されていた近衛軍の強化人間部隊が、勅命を拝した遠離院おんりいん近衛大将の指揮のもと各地へ出動すると、数で劣る叛乱軍はその勢いを失っていったのである。




「──こちら西条さいじょう隊。六時十五分、生体化学技術研究所に現着。戦闘の痕跡を認むるも周辺に生存者なし。これより施設内部に進入する」


 停車した複数の輸送車両から、数十名の部下を引き連れて降りてきたのは、西条あかね将監しょうげんであった。将監とは近衛軍独自の階級であり、帝国軍における佐官にあたる。


 近衛軍の制式戦闘服をまとった西条は端正な顔立ちをした長身の女で、服装をのぞけば、一見して軍隊に関わりがあるとは思えない華麗な外見をしている。


 一見して、ではあるが。


 雪の積もった芝生に西条が一歩を踏み込むと、通常の体重ではありえないほど深くまで軍靴ぐんかが沈み込んだ。他の兵士たちがつけた足跡と比較しても三倍は深い。


「周囲に敵影なし。備え付けの通信機器はすべて破壊され、電話線は切断されています」


「東門前に装輪装甲車両のものと思しきわだちが、少なくとも五両分。それに加えて強化人間のものと思われる深い足跡を確認、相当な数です」


 偵察に向かわせた部下たちから上がってくる報告はいずれも、研究所への攻撃が周到に練られた計画の一環であることを示していた。


「──葛城隊はここに残って周囲を警戒しろ。突入は私が指揮する」


「「はっ」」


 西条は迅速に突入組と待機組とを分けると、自身を含めて五名の強化人間と戦闘員十名あまりを率いて研究所内部へと向かった。




 非常電源の明かりが照らす研究所内のそこかしこには、研究員や警備員とおぼしき死体が転がっており、そのいずれも尋常ではない膂力りょりょくで引き裂かれるか吹き飛ばされるかしたようであった。


 紙の資料が集中的に散乱している場所もあり、おそらく叛乱軍が重要な情報を持ち去ったものであると思われた。軍事機密の中の軍事機密を、である。


 後始末を考えるだけで頭が痛い、と西条は思った。

 陸軍だけでも相当な数の首が飛ぶことになるだろう。中には、物理的に。


「通信妨害があったとはいえ、これほどの重要施設からの救援要請を拾えないとは」


 西条の副官である平野ひらの源一郎将曹がくやしげに言った。


「生化研は帝国の強化人間技術の総本山ともいえる場所です。もう少し警備を厳重にしていれば……」


「いいや、ここは強化手術に用いる『擬蟲まがいむし』の保管施設でもある。それらが脱走した時の対処に十分な数が配備されていたはずだ……実数がどれほどかはわからないが」


「本来近衛軍の管轄外とはいえ、陸軍がほとんど情報を明かしませんでしたからな」


 西条は、いまいましげに顔をゆがめて首肯しゅこうした。


「ああ、愚かなことだ」


 近衛軍と帝国軍は完全に別個の組織である。


 統帥権を備える大元帥の指揮下にあるという点では同一だが、対外戦争を主たる存在意義とする帝国軍と、禁闕守護を至上命題とする近衛軍ではその性質が全く異なる。


 西条のような女性兵士の有無も、大きな違いの一つである。

 帝国軍には女性兵士は存在しないが、近衛軍は任務の都合上、護衛対象が女性となる場合もあるため、わずかではあるが女性を戦闘要員に採用しているのだ。


 組織としての性質が異なるということは、その間には必然として軋轢あつれきが生じるということでもある。

 管轄の縄張り争いであるとか、対抗意識にもとづく妨害工作であるとか、そういった愚かな対立はいつでも発生するものだ。


 現に、叛乱の鎮圧という緊急時においても、帝国軍と近衛軍の動きは理想的な連携とはほど遠い。


「しかし、西条隊長の推察が正しいとすると……」


「相当な戦力がここに投入された、ということになるな。すでに撤収した後という可能性も高いが、気を抜くなよ」


「わかっております、隊長」


 研究所は広大な敷地の上に建てられているが、地上にあるのは研究員たちの生活区画など重要でない部分ばかりであり、その本質は地下に存在する。


 地下空間に入ると、警備員と交戦して命を落としたらしい叛乱軍兵士の死体がちらほらとみられるようになった。

 いずれも生身の兵士であり、死因は銃弾を受けたことで間違いなさそうだった。


 彼らはみな、『興人會こうじんかい』と読める徽章きしょうを身に着けていた。

 この叛乱を主導したとみられる、反政府組織の名である。


「ここまで降りても何の反応もありませんな。やはり、叛乱軍はすでに目的を果たし、逃げ去ったあとということでしょうか」


「そうみるのが自然だが……賊軍の目的は、いったいなんだ?」


「帝都の中枢で混乱を引き起こし、それに乗じてこの研究所にある機密情報を持ち出す、というのは一つの計画としては理にかなっているように感じますが、その先が見えませんな」


 西条は頷いた。


「ああ、それに時期も不自然だ。インドと満州から横須賀へ大規模な復員があったばかりだぞ。どうしてわざわざ本土に……それも帝都近郊に戦力が集まったあとにを起こした?」


「……どうにも、解せぬところが多いですな」


 西条と平野の会話は、地下四階を先行偵察していた部下の声によって中断された。


「──隊長。こちらへ来てください」


 その声はきわめて緊迫しており、それを聞いた全員が警戒度を上げた。


「どうした」


 階段を下った先に、二つの死体が転がっていた。

 ここに来るまでに見た原形をとどめていない死体とはちがい、遠目でも人間の形状を保っているのがわかる。


 全身に赤黒い矩形くけいの装甲板のような『生体鎧殻がいかく』を幾重にもまとったその姿は、その場にいる全員にとってよく見慣れたものだった。


 粉砕された鎧殻のかけらが死体の周りに散らばり、強化人間の特徴である細長い触角は力なくしおれている。


「これは……零戦れいせんか」


 零戦──零式戦闘強化人間。

 先の大戦において、初めて陽本が実戦投入した強化人間である。


 昨年八月の終戦に至るまでに数百体が生産され、各地の戦線に投入された。

 国力で陽本をはるかに優るローマとげんの二大超大国に対して、インド・満州の両戦線を四年にわたって維持することができたのは、ほかならぬ強化人間技術の賜物だった。


「散乱している装備からみて、叛乱軍の強化人間でしょう。全身の鎧殻に鋭利な何かでつけられた傷があります。そして……心臓がまるごと穿うがたれてますね。戦車砲でも喰らわなきゃ、こうはなりませんよ」


 検死していた部下が言った。その表情には驚きと恐れが同じだけ混じっている。


「ただでさえ零戦は近接防御性に特化しているというに……この殺し方は尋常ではないぞ」


 西条はこの場にいる誰よりも最新の強化手術を受けているが、この死体と同じ殺し方をすることは不可能に近い。


「隊長、どうやら次が最下層のようです。それと……階段下に同じような死体がまた。叛乱軍の零戦が三体です」


「三体!? とてつもないな」


「陸軍の新兵器でも逃げ出したんじゃないだろうな?」


「だとしたら、敵味方の識別が機能していることを祈るしかなさそうだが……」


 その報告を受けて、部下たちは明らかに浮足立っていた。

 西条はしばらく黙り込み、部下たちの視線が集中するのを待ってから口を開いた。


「私が先導する。二名、ここで待機し、万一のことがあれば地上まで向かえ……残りはついてこい」

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