Section_1_4a「航と一緒に閉じ込められたって聞いたけど、本当?」

## 1


翌日の昼休み、私は図書室でカウンター当番をしていた。


昨日の「事件」のことを思い出して、時々顔が熱くなる。結局、夜警の田中さんに救出されたのは六時過ぎだった。航と二人きりで一時間以上も過ごすなんて、夢みたいな出来事だった。


でも、それ以上に印象的だったのは、あの時間の心地よさだった。


「おーい、奏っち」


木下くんの大きな声で現実に引き戻される。


「あ、お疲れさま」


「お疲れ! 昨日は大変だったんだって?」


昨日のことが、もう噂になっているらしい。田中さんが職員室で話したのかもしれない。


「うん、まあ……」


「航と一緒に閉じ込められたって聞いたけど、本当?」


木下くんの目がきらきらしている。この人は本当に好奇心旺盛だ。


「本当だけど、別に大したことじゃないよ」


「大したことって、そんなわけないでしょ! 二人きりで一時間以上だよ?」


一時間以上。


改めて言われると、確かにけっこうな時間だった。


「何話してたの?」


「仕事の話とか……」


「嘘だー。絶対そんだけじゃないでしょ」


木下くんが身を乗り出してくる。カウンター越しなのに、やけに距離が近い。


「ねえねえ、詳しく教えてよ」


「別に話すことないよ」


「えー、つまんない」


木下くんが大げさにがっかりした表情を作る。


「でも奏っち、なんか雰囲気変わったよね」


「雰囲気?」


「うん。なんていうか……前よりやわらかくなったっていうか」


やわらかく。


「そんなことないでしょ」


「あるある。絶対ある。今までの奏っちは、もっとこう……」


木下くんが手をくるくる回しながら説明しようとする。


「こう?」


「きりっとしてて、近寄りがたい感じだったけど、今は違う」


近寄りがたい。


そんなふうに見られていたなんて、思わなかった。


「どう違うの?」


「んー、なんて言えばいいかな……」


木下くんが真剣に考え始める。この人がこんなに真面目な顔をするのは珍しい。


「前は、奏っちを見てても『あー、委員長だなあ』って思ってたけど、今は『可愛いなあ』って思う」


可愛い。


またその言葉だ。


「木下くん、からかわないでよ」


「からかってないって! 本当にそう思うもん」


木下くんが慌てて手を振る。


「それに、表情も豊かになったし」


「表情?」


「うん。前はあんまり表情変えなかったけど、最近はよく笑ってるじゃん」


よく笑ってる。


確かに、最近は楽しいことが多い気がする。


「ねえ、もしかして——」


木下くんが何か言いかけたとき、カウンターの向こうに人影が現れた。


航だった。


## 2


「あ……」


私の声が小さくなる。


「おー、航! お疲れ」


木下くんは相変わらず元気よく挨拶する。


「お疲れさまです」


航がいつものように小さく頭を下げる。でも、私を見たとき、ほんの少し微笑んだような気がした。


「昨日はお疲れさまでした」


「こちらこそ……」


私たちが挨拶を交わしているのを、木下くんが興味深そうに見ている。


「航も貸し出し?」


「はい。これをお願いします」


航が本を差し出す。今度は小説だった。タイトルを見ると、『また、同じ夢を見ていた』。


昨日、書庫で話した本だ。


「あ、これ……」


思わず声に出してしまう。


「はい。綾瀬さんがおすすめしてくださったので」


おすすめ。


私がおすすめしたことになってる。確かに好きだと言ったけれど、そんなつもりで言ったわけじゃ——


「へえ、奏っちのおすすめなんだ」


木下くんが興味深そうに本を覗き込む。


「この本、どんな話?」


「えーっと……」


急に聞かれて、うまく説明できない。


「女の子が不思議な体験をする話です」


航が代わりに答えてくれる。


「興味深そうですね」


「はい。綾瀬さんの感想を聞いて、読んでみたくなりました」


私の感想を聞いて。


その言葉に、また心臓がドキドキする。


「ふーん……」


木下くんが私と航を交互に見る。その視線に、何か探るようなものを感じた。


「貸し出し手続き、お願いします」


「あ、はい」


慌ててバーコードをスキャンする。いつもの作業なのに、なぜか手が震えそうになる。


「返却予定日は二週間後です」


「ありがとうございます」


航が本を受け取って、立ち去ろうとする。


「あ、航」


木下くんが声をかけた。


「何か?」


「今度、俺たちも一緒に本について語り合わない?」


え?


「語り合う……ですか?」


航も困惑している。


「そうそう。図書委員同士だし、読書会みたいな感じで」


読書会。


「面白そうですね」


航が意外にも乗り気な返事をする。


「でしょ? 奏っちはどう思う?」


急に振られて、慌てる。


「え、あ……いいんじゃないかな」


「決まり! じゃあ今度の委員会の後にでも」


木下くんが勝手に話を進めている。


「それでは、失礼します」


航が軽く頭を下げて去っていく。その後ろ姿を見送りながら、私はまだ状況を整理できずにいた。


読書会。


航と、そして木下くんと。


なんだか複雑な気分だった。


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