37怖目 『三つ目の笑顔』

 母親を亡くしたばかりの、小さな女の子がいた。


 学校にも行けず、毎日すすり泣くだけ。家の中は、しんと静まり返っていた。


 そんなある日――部屋の隅に光が差し込み、そこから神様が現れた。


 「どんな願いでも、三つ叶えてあげよう」


 神様はそう言って、女の子に 一輪の花 と 小鳥の入った籠、そして 可愛らしいぬいぐるみ を手渡した。


 女の子は迷わず、一つ目の願いを口にした。


 『お母さんを、生き返らせてください』


 手の中の花は、ぐしゃりと音を立てて崩れ、花びらは黒ずみながら床に散った。


 次の瞬間、玄関の扉がドンドンと叩かれる。

 開けると、そこには優しく笑む母の姿があった。


 女の子は歓声を上げて飛びついた。


 一つ目の願いが叶った。


――


 母との暮らしは再び始まったが、どこかがおかしかった。


 母は一言も喋らず、いつも笑顔を貼りつけているだけ。家事も料理もせず、ただ娘をじっと見つめている。


 さらに、食卓に並べたご飯や野菜には一切手を付けず、肉だけを食べた。


 皿を両手で抱えるようにして顔を突っ込み、

 「クチャッ、グチャッ……ズルッ、ズチュ……!」と、犬のような音を立てて咀嚼する。


 脂で濡れた唇からは、赤黒い汁が垂れ落ち、あごを伝ってぽたぽたと畳に染みていった。


 歯の隙間からは細かい繊維や肉片がはみ出し、嚙み千切るたびに、飛び散ったしぶきがテーブルや娘の腕にまでかかった。


 それでも母は、にこにこと笑い続けていた。


――


 ある日、部屋の隅に置いて飼っていた小鳥の籠が、空になっていた。


 「……お母さん、小鳥知らない?」


 問いかけた瞬間、母の喉から異様な音が響いた。


 「オゲェッ、オゲェッ……!」


 次いで、大きく開いた口から、ずるりと濡れた羽がのぞく。


 粘液まみれの小鳥が、びしゃりと床に吐き出された。まだ生きてはいたが、弱々しく羽ばたくだけ。


 母は唇を拭いもせず、にこにこと娘を見つめ続けていた。


 ――怖い。


 震えた女の子は、二つ目の願いを叫んだ。


 『お母さんを……元に戻して!』


 その瞬間、小鳥は痙攣し、真っ赤な血を吐いて動かなくなった。


 同時に、母の顔がドロリと崩れ落ちる。


 皮膚は溶け、肉は崩れ、悪臭を放ちながら全身が黒い液体へと変わっていった。


 床に残ったのは、どろどろと広がる液体と、衣服だけ。


 二つ目の願いが叶った。


――


 女の子は泣き叫んだ。


 『お母さん……もう一度会いたいよぅ!』


 すると、部屋の隅のぬいぐるみが弾け飛び、白いワタが宙に舞った。


 床の液体がにゅるりと伸び、腕の形を作り、少女を鷲づかみにする。


 闇の中へと、ぐいっと引きずり込んだ。


――


 ――気がつくと、少女は真っ暗な世界にいた。


 そこには、にこにこと微笑む母が立っていた。


 少女は泣きながら抱きつき、もう離すまいとその胸に顔を埋める。


 母はやはり何も喋らなかったが、変わらぬ笑顔を浮かべ続けていた。


 にこにこと。口元から涎を垂らしながら。


 三つ目の願いが叶った。

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