第一章 鹿ヶ谷緑の初恋はまだ終わっていない

第一章 ①

 すっかりと桜の花も散り、葉桜も残らない桜並木が窓の外に見えていた。


 毎年春には新入生を出迎えるように咲き誇るここ星崎高校の桜たちは、四月も半ばになる頃にはもうすっかりと自分の役目を終えたかのように、ただの青葉へとその表情を変えている。


 今は四月二十日。春と呼ばれる季節はもう直ぐ終わる頃だ。


「なのに君は、どうしてまだ友達の一人も作らないんですか?」


 渋い顔をして古びた回転椅子に座る担任教師の言葉に、鹿ヶ谷緑はそっと目を逸らす。

 既に入学式から二週間。だというのに未だ学校で誰とも喋る相手のいない惨状を見かねて、緑は職員室に呼び出されていた。


「きちんとこっちを向きなさい。鹿ヶ谷君だって友達がいらないわけじゃないんでしょう?」

「……友達だけが全てじゃないですし」

「それはきちんと友達を作ってから言う台詞です」


 緑の前に座るのは金髪にエメラルド色の碧眼をした女性教師だった。この日本ではかなり目立つ髪色だがこれは地毛であり、また顔立ちも北欧の血が色濃く混ざっていることを窺わせる日本人離れしたものだった。


 名前は手塚アストリッド。確かスウェーデンと日本のハーフだったと以前紹介されたことがあった。年齢は二十五歳だがその顔立ちは非常に幼く、見た目には十歳も年上にはとても見えない。制服を着ればそのまま教室に紛れてしまえそうだ。


「のんきにしている場合じゃありません。このままじゃ誰も友達ができないまま卒業することになるんですよ?」

「いやまだ三週間ですよ先生。まだこれから……」

「甘い!」


 幼い顔立ちに似合わない厳しい声でアストリッドは一喝した。


「そうやってまだ大丈夫だと問題を先送りにし続けていたらズルズルと時間だけが過ぎて、そうして卒業式の日に誰にも打ち上げに誘われず寄せ書きの欄が真っ白な卒業アルバムを手に泣いて帰る羽目になるんですよ!」


 やけに熱のこもったリアルな話だった。もしかするとかつてそんな生徒が本当にいたのだろうかと、緑は思わず息を呑む。


「それって……誰の話なんですか」

「私です!」


 お前かよ。


「先生はね、心配なんですよ。もう直ぐゴールデンウィークだっていうのにクラスに馴染めていない生徒が自分のクラスにいるだなんて」


 本当に心配しているような表情を見せるアストリッド。だが緑は「いやでも!」と言葉を返す。


「僕は別に一人でも気にしてませんよ! 友達なんて本当に気が合う奴らが何人かいれば充分じゃないですか!」

「最初の一人もいない君が何を言っているんですか」


 ど真ん中の正論が緑の胸に突き刺さる。


「それに四条さんに聞きましたよ。君は中学校の頃に嫌なことがあって、そこから自分を変えるためにそこまで痩せたそうじゃないですか」

「……アイツ」


 口の軽い幼馴染に思わず舌打ちする。

 緑の体格は中学生の頃から大きく変わっていた。遠目に見ても細身の体型にがっしりとした胸周り。猫背だった姿勢も背筋が伸びて体格そのものが非常に大きくなって見える。

 成長期も手伝って身長は大きく伸び一七〇センチに。体重に関しては十五キロも減らした。体格だけ見ればどう見てもバリバリの運動部だ。


「それだけ頑張れたのならあとは声をかけるだけじゃないですか。まあ学生時代にそれが出来ず図書室にこもりきりだった先生が言っても説得力がないかもしれませんが……」

「先生、僕はそこまでは聞いていないです」


 勝手に自分の傷を晒して勝手に暗くなるアストリッド。しかし今の緑も昼休みはよく図書室に引きこもっているので、思わぬ共通点に少しテンションが上がる。


「この高校の図書室っていいですよね。結構いろんな種類の本があって、特に青春ラブコメみたいなやつがめちゃくちゃ充実してて」

「ああ、その辺のやつは私が寄贈したやつなんですよ。面白いですか?」

「え? まあはい」

「そうですか。面白いですか」


 アストリッドの寄贈した作品はどれも等身大の中高生を主軸にした青春ラブコメみたいな作品だった。謎部活に入ったり好きな女の子に告白するために必死に努力したり、夢を叶えるためにクラスメイトと必死に努力したり、様々な青春模様が垣間見えてとても面白い。


「その作品たちは皆、私が大人になったら読めなくなった作品達なんですよ」

「読まなくなった? ああ、お仕事が忙しいからですか?」

「違います。読めなくなったんです」


 悲しい笑顔と共に先生は言った。


「いいですか? このままでは鹿ヶ谷君にも呪いがかかります。二度と学園青春ラブコメを読めなくなる呪いです」

「呪い?」

「あの作品達に出てくる物語は私の青春には一ページも出てこなかった。社会人になってしまった私にはあの輝きは二度と手に入らない。それに気づいた瞬間、ありとあらゆる青春模様をテーマにした創作が受け入れられなくなって、気がついた時にはもう異世界転生ものしか読めない体になってしまうんです」

「そんな鬱屈とした理由で異世界転生ものを読まないでください」

「ちなみにこれもソースは私です」

「でしょうね」


 普段はアストリッド先生はもっと明るくてとっつきやすく、生徒にも人気の先生だったはずだ。まさかここまで闇が深いとは思ってもみなかった。


「まあ、少し私の話に脱線しましたが……」

「少し?」

「とにかく、私は鹿ヶ谷さんに楽しく学校生活を送ってもらいたいんです。その為にできることがあれば相談させてください」

「……ありがとうございます」


 卑屈さの中に優しさが垣間見える。本当に緑のことを案じている様子のアストリッドの言葉に緑は頭を下げる。


 自分でもこのままではいけないことはわかってはいる。しかし元々自分を変える為に必死に痩せたというのに、それでもまだ足りないと言われてどうすればいいかわからないというのも事実だった。


「ごめんなさい。先生にツテがあれば美少女が所属している謎部活を斡旋して君の青春を応援したりできるんですが、あいにく私の知る限りそういう部活やサークルはこの学校にはなくて……」

「……それは別にいいです」


 多分そんなツテを持ってる教師はどこにもいない。


「それじゃあそろそろいいですか? 僕もまだお昼食べてないんですよ」

「え? ああ、そうですよね。配慮に欠けていてすいません」

「いや別に謝られる程じゃ……」

「いつも使っているお手洗いが埋まってしまったら、食事をする場所がなくなりますからね」

「やっぱり謝ってもらっていいですか?」


 何故この担任教師は生徒が便所飯をしていると決めつけているのだろうか。


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