第17話 遊園地通り
自転車を植え込みへ立てかける。
ふたりは、小さな葉っぱだらけだった。さいわい、植え込みがクッションのなったおかげで、怪我はなさそうだった。体中に葉っぱがつくのみですんだ。
マキノは「ひさびさです、自転車での自滅」と、こぼした。それからミズメに「いけますか」と、訊ねた。
「はい」ミズメは返事をして「あまり体験したことのないショック状態ですが、いけます」と、続けた。
そして、ふたりはぼろぼろ紳士を追い、広場の中へ入る。石の階段を三段ほど降りた。
そこは遊園地通りと呼ばれる一角だった、広い公園の中にある。位置的には同公園内に、さきほどの美術館もあるが、かなり距離が離れている。
足元は土だった、通りにはピンク、白を基調としたカラフルな屋台が立ち並んでいる。移動式遊園風のささやかな乗り物のアトラクションが左右に設置され、また、カラフルな色をほどこされた飲食物が販売されており、玩具が獲得可能なボール投げ、輪投げ、ピンボールのゲームもある。若い従業員が明るく働いている。なぜか射的屋の店員だけ、四十歳ほどの男性で痛んだ長髪に、右目には眼帯をし、玩具の銃を磨いている、いまさっき戦場から来たかのような風貌だった。他には企業の版権枠を越えた品ぞろえの玩具用品店などもあった。そして、通りの最後には大型の観覧車があった。
遊園地通りには、まばらに人がいた。ここは小さな子どもを喜ばすアトラクションばかりだった。大人だけはあまりいなかった。おもに未就学児童を対象とした楽園であり、しかし、それよりもやや上の年層の初デートとして、ピックアックされがちの場所だった。わたしは生前、マキノを連れて来たこともある。
そこへ、学生服のふたりが足を踏み入れる。はたから見れば、ソフトな逢瀬に見えなくもない。しかし、内実はちがう。
マキノは「どこいったんだ」と、あたりを見回す。
対してミズメは「バイクをそこに置いて行かれたので、そう遠くへは」と、小さな推理をした。
「あ、いる!」とたん、マキノが発見の声をあげた。「そこ!」
指さす。その先は、クレーンゲームが並べられた一角だった。ぼろぼろ紳士は、その一台の前へ立っている。
ゲームをする気なのか。
かと思うと、彼は腰から鍵の束を取り出し、クレーンゲームのガラス戸を開けた。そして、袋から、小型発信機を取り出す。それを、ぬいぐるみの中へ置いて、ガラス戸を閉めた。
どうも拾ったものを景品にしたとみえる。なるほど、特殊な精神の持ち主だ。
その一連を目したマキノは「どういうこと」と、いった。わたしだって、そう思う。
「あの方に事情をお話して、発信機を返していただきましょう」ミズメは冷静だった。「話せば、きっと」
と、話している間に、ぼろぼろ紳士は、上着のポケットから、サンドイッチを取り出した。上着のポケットに、包装紙はどなない、サンドイッチを直入れである。それを口に運び。
そして。
「うっ」
食べて、すぐにうめいて倒れた。
周囲の人々がぼろぼろ紳士のそばへ寄り「病院へ!」と、叫んで、彼は運ばれていった。
こうして事情を説明すべき相手は消え去った。マキノは「病院送り」と、いった。まあ、そうだな、病院送りだ。孫はさらに「天罰の一種なのかな」といった。
そして、小型発信機は、クレーンゲームの景品として、ケースの向こうでいまも点滅している状況だった。
わたしも長い探偵人生だったが、こんな状況は初だった。拾った小型発信機を、クレーンゲームの景品にする者も、人類としてはまた初の可能性はある。しかし、なぜ、そんなことをしたと問い詰める対象は、もはや、この場にいない。
とはいえ、そういう個性ある者も、この街の一部であって、否定されるべきではない。
とにかく、発信機の場所はわかっている。それはクレーンゲームのガラスの向こう。これは、ピンチなのか、チャンスなのかわからない。
ただ、ミズメがいった。
「わたし、あのゲーム、やったことないです」
告げられマキノが見返す。ミズメの目が、煌めいていた。自転車の追跡と、植え込みへの突撃で、髪はやや乱れ、顔も汚れて、学生服もほころび、それらがあっても、ミズメの可憐さは、失われていない。
言語化さていなくともわかった。彼女が、クレーンゲームをやってみたいのだと。
その好機が、いまここに用意された。瞳が煌めいている、血が沸騰して、頬が赤くなっている。
そんなミズメの外見的魅力の攻撃力は高く、マキノは本来の立場としては、あの、でもいまじゃないです、その願望を実現するのは、などと注意すべきにもかかわらず、ただ、ぼうぜんと彼女を見返し「はい………」と、骨抜きでうなずくだけだった。
だが、ミズメはつぎ、茫然として「あ、お金でもが」と発表した。
「あります」と、マキノが即答した。ポケットからお金入りのネコ缶を取り出す。「慌てて、けっきょく持って来てしまいました」
「では、あの方たちのビザ代は」
「そのことは忘れるしかないです」
と、マキノは断言した。
ミズメは「心が痛みます」と、返す。
すかさずマキノは「たぶん、心の痛みを感じながらゲームすれば、だいじょうぶだと思いますし。あの人たちもわかってくれるはずです」と言い切る、根拠は不明だった。
「この罪の意識を、わたしは一生忘れません」ミズメは大きなことを宣言した。
いや、忘れたまえ。
ふたりはネコ缶のお金を、クレーンゲームに投入できるように両替機で崩す。かなりの硬貨数になった。一気にすべて両替する必要はなかった。しかし、興奮状態のふたりは、それにも気づいていない。両替した硬貨と、もとより、硬貨として缶に入っていたもので、山にたったそれを手に、ふたりはクレーンゲームへ向かう。
さあ、ゲームを開始だ。
十分後。
硬貨は残り数枚となった。
ミズメは落ち込んで、痛んだナスみたいになっていた。うなだれている。
「わたしがすべてわるいのです………」
と、ミズメはいった。
「いえ、おれにも責任があります」マキノはフォローを入れる。
すると、ミズメは純粋に「それはどういう責任でしょうか」と、問い返す。
マキノは「え」と、言葉に詰まってやがて言い放つ。「少し、考えるじかんをください」
生産性のないやりとりだった。そして、どこかいたたまれない気持ちにさせる。
「ぜんぜんとれません……」ミズメが心を陥没させていた。「わたしの人生、このさき、ぜんぜんとれないのです……とれない生涯に終わるのです……」
「あ、いえ、でも、次こそとれるかもしれません、ほら、お金だってまだあります、最後まであきらたらいけないですよ、ミズメさん」
励ます、マキノ。
ミズメは落ち込んだ表情を向けた。まるで、気に入っていたハンカチを落としたみたいな顔だった。じっとマキノを見た後で「こういうとき、やさしくされると、つらいんですね……」と、直近で体験した人生の感想を述べた。
これは、めんどうなパターンに入ったぞ、
そして、マキノは彼女の心を復活させる手立ても思いつかず、おたおたするばかりだった。なんとか、起死回生策を生み出そうと、両手でじぶんの髪を揉むようにいじる。しかし、出てこない。
あげく「………そういう日もあります」そういった。
その言葉が何になるワケもなく、ミズメはうなだれ「はい……」と、返事しただけだった。あとは、倦怠期に突入した二人組のように、沈黙する。
だが、ふたりは倦怠期に入っているような贅沢な時間がないことを完全に失念している。
発信機を手に入れようとした理由。それを持っていれば、あのニセ警察官が向こうからやってくるからであり、おびき寄せる目的のためだった。そのニセ警察官をおびき寄せる理由は、逆に捕まえ、なぜ、ミズメを襲撃し、手錠をかけ、さらおうとしたのかを、聞きだす目的があった。
そのためにクレーンゲーム機内の発信機を取得する、ゲームをするのは、その目的を達成するための手段であり、その手段がいま目的化している。熱中している。
いやまあ、ふたりの長所は集中力があることかもしれない。
ゆえに、短所は集中し過ぎて、他が見えなくなっているといえる。
だから、ふたりは、もうすぐ後ろまで迫ってきていることに気づかない。
ニセ警官が歩みよって来ていた。とうぜんだった、発信機はクレーンゲームの中にあり、そのそばにふたりはいる。ということは、ふたりが発信機を所持しているも同じ状態で、ニセ警官が発信機の信号をたどり、ここへ来ることは、想像可能なことだった。
でも、ふたりは想像していなかった。ゲームに夢中になっている。他者から見れば、デートにすら見えるから、ちょっと、かなしい。
マキノよ、気づけ。
まあ、気づかない。
わたしがまだ若く、ぎらぎらと探偵としてやっていた頃だったら、察知できていた。しかし、ふたりはまったく敵の接近を察知しない、殺気も感じとれていない。まもなく、アウトだった。
ニセ警官は手にスマートフォンを持っていた。画面には地図が表示してあり、ぴこぴこ、無音のまま点滅している。その顔には、あいかわらず、ブーメランみたいな髭を口にたくわえ、クレーンゲームをしれているふたりへ近づいてゆく。男はスマートフォンをしまうと、新たな手錠を取り出した。
ついには、ミズメの肩へ手を伸ばす。
直後、ちゃき、と音がした。
「動くな」
そして、渋い声が放たれる。ニセ警官の背中には、銃口が突き付けられている。
射的屋、玩具の銃だった。
引き金に指をかけているのは、射的屋で店番をしていた、痛んだ長髪と、右目に眼帯をしたおよそ四十代の男性だった。
「動いたら撃つぜ」男性は渋く低い声で言う。そして、わざときかせるように、かちゃ、と銃の一部を鳴らした。
どう見ても玩具の銃だった。射的屋にも、同型の銃が台に置かれている。
男はその銃口をニセ警官の背中へ当てていた。
ニセ警官は、ミズメに手を伸ばしまま、動きをとめていた。その手をゆっくりと下ろす。振り返りはしなかった。見ていないので、玩具の銃の銃口を背中に当てられているとは思っていないのではないか。
すると、ニセ警官は抑揚のない声で「玩具だ」といった。
「本物だ」と、射的屋の眼帯男はいった。「改造してある」
「何者だ」
「そっちこそ」
この目にも楽しい遊園地通りで、物騒なやり取りを開始する。
そして、さすがにマキノとミズメも背後で行われている、異様なやり取りに気づく。びく、と身を震わせた。
ニセ警官と、射的屋の眼帯男がいる。しかも、異様な雰囲気で、緊張感もある。
射的屋の眼帯男は言う。「お前、この街で好き勝手やってるようだな」
これまでのニセ警官の動きが、すべてわかっているような口ぶりだった。
ああ、そうか、この射的屋の眼帯男はおそらく。
「俺は」と、男はクレーンゲーム台に前で硬直している、ふたりの気を引くように仕切りを入れていった。「君たちの、味方だ。安堵していい」
そうは言われても、眼帯をして、玩具の銃を構えているし、そこには異様な迫力も発生している。そうか、そうなんですね、と、すぐに受け入れるのは難易度が高い。
マキノは「そうか」と、いった。
「そうなんですね」と、ミズメが言う。
すごいぞ、諸君。
射的屋の眼帯男は「ああ、見方によっては、味方だ」といった。
そして、その戯言は、ふたりには聞こえていない。
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