第13話 鎖
五分後。
鎖は切れていなかった。五分間、ずっと、切断を試みたが、切れなかった。
おそらくはそう、シンプルにマキノの腕力不足だった。いくらチカラと想いを込めて手錠の鎖を断ち切ろうとしても、わずかに傷がつくだけで、切れる気配がしない。頑丈だった。当然だった、脆弱な鎖だと、犯人が逃げてしまう。決して、にがさんぞ、という気概のある鎖ではければならないし、手錠をつけられた側に、これは千切れないぞ、と思わせるものであるべきだった。
鎖は切れない。しかし、我が孫はまだ、あきらめていない。ありったけの力を込める。日ごろ、なにひとつ鍛えていないその両腕で。
ミズメもマキノの健闘に応じように、表情をつくっていた。そして、彼女の意志とは無関係に、その表情が、おそろしく見栄えがいい。
そんな彼女の顔立ちによる効果だろう、なるほど、これは手錠を切ろうとするショウとかんちがいしたのか、あるいは、ショウを見るという理由で合法的に可憐なミズメの顔を凝視することが出来ると計算したのか、ふたりの周囲にはそれなりに人だかりが完成されていた。ネコがさっき完食して、空になったばかりのネコ缶には、無数のコインと、さらに札まで入っている。
この街は深い街である。この街に生きる人々もまた。懐が深い。
ここが美術館の広場というのも作用しているのか、前衛アートと思われているのかもしれない。若人が、身体をつかい、全力でなにか表現しようとしている、それは若さゆえの苦悩か、あるいは、鎖を断ち切ることで支配者から逃れようというメタファーなのではないのか。
独自解釈を好む人々もまた、この街には多い。
手錠の鎖をワイヤーカッターで切る。さほど面白い光景ではない。とはいえ、人はその生涯で、ワイヤーカッターにての鎖をライヴで見るなどまずないし。希少な体験を得ようと、人々の無意識が引き寄せられている。
かもしれない。
長い膠着状態の末だった。
「ちょきちょきぃ!」
人だかりの向こうから、独特な掛け声とともに、その人だかりを押しのけて、男が近づいて来た。
巨躯の男だった。三十代後半あたりか、真ん中にワケた長髪で、口回りには髭を生やしている、そして、タンクトップであり、その太い右腕にはサイケデリックな曲が入ったアルバムのジャケットのような、歪んだマーブル柄の入れ墨が入っている。
それら、すべての要素が、集結したとき、果たして、その外貌は何を主張しているのかが、いまいちつかめない感じになっていた。ロックンローラーでもないし、ヒッピーでもないし。
そう、あえて、あてはめるなら。
いや、やめておこう。
「ちょきちょき、おい!」
その肩にサイケ風タトゥーの男は、手にトランプを持っていた。
「ちょき!」
人だかりをどんどん押しのける。相手の浮かべた邪険な顔も気にしない。いよいよ、すべての人を押しのけ、ふたりへ接近する。
それはそうと、さっきから、この男が口にしている、ちょき、とは何だろうか。
「ちょき、おまえら!」
ああ、ちょき、とは、ちょい、みたいなニュアンスで使っているのか。独自な言語体系を背負った男のようだった。
いっぽうで、この男を見た野次馬の中から「やべぇ」と、誰かがいった。さらに「ミッシーだ」と、男の呼び名のようなものをいった。
とりあえず、わたしも男をミッシーと呼ぼう。そのミッシーだが、手錠の鎖切りショウをする二人へ距離を縮め、トランプを持っていない方の手で指し「お前ら、ちょき待て! やめろ、ちょき!」と、怒鳴る。
だが、接近する際、ネコ缶を蹴ってしまう。缶は跳ねて中身が地面へ散る。ミッシーはあわてて中に入っていたコインを拾い、入れて缶を立て直し、それからまたふたりへ指差す。
「おまえらぁ、なに勝手にこんなところで商売してんだよ」
どうやら縄張りについての苦情をぶつけに来たようだった。
この美術館は私設ではない。この広場も当然、私有地でもない。みんなの空間とはいえる。しかし、ここで商売をするとなると、暗黙の縄張りはある。そういうものだ。いや、ここで大道芸することも、無許可で勝手にやっているだけではある。あまり目立つ稼ぎ方をすれば、警察に追い出されたりする。
ミッシーに怒鳴られ、ふたりは彼を見た。高校生にとっては厳つく見える大人である。ふたりは、驚き、言葉を失った。ミッシーの腕にはサイケなイメージの入れ墨が彫ってある。しかも、マキノの足ほどの太さがある腕だった。
腕力まんさいと思しき腕だった。
そして、いま、マキノの方は腕力がないがゆえ、鎖が切れずにいる。
ふたりが、あまりにじっと腕を見てくるので、怒っていたミッシーだったが、ふと「な、なんだよ」と、怯んだ。
マキノはミッシーの腕を見ながら「救いの使いだ」と、つぶやいた。それから「CGみたいだ」と、またそれを言う。好きだな、こいつ、その表現。
しょうがない、短期間で、語彙力が急成長するはずもない。
ミズメの方は「マキノさん」と、孫の名を呼んだ。
「ミズメさん」
「戦士の方が出現を」
と、ミズメがいった。
戦士と呼ばれたミッシーは戸惑っていた。可憐な女学生から、戦士呼ばわりされる経験に、免疫がある人間など、滅多にいないし、心の中での処理方法が見いだせないのもしかたがない。彼は「え、ちょ、ちょき」と、落ち着きを失って、そわそわしだした。
たやすい、にんげんなのかもしれない。
となれば、付け入る隙はありそうだった。ここだ、ここで、決めるんだ、ふたりよ。
マキノは「切れないんです」と、いきなり、説明も、無策になく放り投げるようにいった。
ただ、その後で、可憐なミズメが「そうなんです」と、目を見て言ったことで、ミッシーは、そわそわを増加させた。そのえ「戦士さん」と、呼ばれ動揺のミッシーである。
縄張りの件で、勇んでやってきたミッシーだが、その勢いは、羨望の眼差しによって、いまここに、みごと削がれた。いよいよ、ただ照れてはじめる。挙動不審になり、頭をかき、目を合わしては外し、合わしては外す。
「わー、ええっと」ミッシーはあさっての方向へ視線を投げながら、極端に声色を変えて「どー………したんだい、キミたちよ」と、求めらてたい願望を、ぞんぶんに満載した様子で問いかけて来た。
うーむ。
こうなれば、こっちのものだ。
ミズメが純真さを感じさせる眸で、彼へ告げる。
「ミッシーさん、とおっしゃるんですね」
「ちょき、おじょうさん、なぜ、俺の名を」
「みなさんが、あなたの名前を」
ミッシーは、もう一度、ミズメに名前を呼んでほしそうな顔をしていた。しかし、欲張れば、嫌われるのではないか。そういう防衛本能が働いたのか、もう一度、名前を呼んでほしそうな顔のまま、固まっていた。
その間に周囲の人々から「ミッシーがかたまった」だとか「ミッシー、金返せ」だとか、観察によるコメントと、請求などもささやかれた。
で、ミッシーはミズメの両手にはめられた手錠を見て、マキノの持っている大型のワイヤーカッターを見て、ミズメを見て、大型のワイヤーカッターを見る。そして、マキノからワイヤーカッターを奪う。
サイケなタトゥーの入った大男が、ワイヤーカッターを手にし、手錠をつけた少女へぐんぐんと近づく。その様子は、ホラー映画の図だった。白昼の広場でなければ、ある意味、終わり光景だった。
ミッシーはワイヤーカッターで、ミズメの鎖を挟んだ。ミッシーが一瞥すると、ミズメは「心は決まっています」と返した。
それを聞かされ、ミッシーは「うっ」と、みぞおちにいいパンチでもくらったみたいになって「幸せになろうずぇええ!」と、ワケのわからないことを叫び、剛力によってワイヤーカッターの刃を閉めた。
鎖は、すん、と切れた。あっけなく。
観客は、切れるのか、切れないのか、どっちだ、息詰まるシーンもなく、ことを達成さて、見どころをスカされたようだった。うち、ひとりが、少しして、ようやく我に返り、拍手をした。すると、他の観客も拍手をし、拍手は、拍手を呼び、拍手は拍手を感染させ、大きな拍手に包まれた。ネコ缶には、次々にコインが入れられ、スマートフォンで撮影もされる。
そこまで盛り上がって、やっと、ミズメは「やった」といってかすかに笑った。
自由になった両手を見下ろす。鎖は切れたので、左右に腕も広げられた。ただし、手錠のワッカの部分は、つけっぱなしだった。それでも、取り戻した自由の比重は大きく、ミズメは白い歯を見せて笑い、その表情をマキノへ向けた。
マキノは一緒に拍手していた。
で、その拍手の中で、彼女は腕を掴まれる。
掴んだのはミッシーだった。ぐい、っとひっぱられる。そして、吸い込まれるようの野次馬の中へミッシーごと消えた。
新規トラブル発生だった。しかし、マキノの脳は、まだ、新たな緊急事態をキャッチできず「あれ」とか「え、おえ?」とか、役立ずな短い音を口から漏らすだけだった。
そして、ミッシーにミズメが連れてゆかれて、十秒後ぐらいになってやっと。
「新規トラブルなのか!」と、叫んだ。
慌てて前へ出るも、密集した観客たちにぶつかって、つまずいた。それで倒れ、背中を踏まれた。踏んだ者は、とっさに足を引いたので、致命傷には至らなかった。ただ、学生服の背中に思いっきり足形がつく。それでもマキノは立ち上がるが、まだ観客群の中に埋もれていて、すぐに追いかけられない。
その、もどかしさからマキノは「ミズメ!」と、大きく叫んだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます