11.ホテルにて

『そんなことしてて良いのか?』

『そんなことしてて良いの?』


 よく両親が言っていた言葉だ。

 

 映画、ゲーム、アニメ、漫画、小説。

 テツオが心からそれらに熱中していると、必ず両親は背後から声をかけてくる。

 そんなことしてて良いのか。勉強しなくて良いのかと。

 海外の大学に通う出来の良い兄と常に比べられ、ため息を吐かれていた。


 親の言動に縛られているのはビベンチョだけではない。

 テツオもまた、死してなおその呪縛に苦しんでいた。

 楽しんでいる姿を見られると、何処か罪悪感が湧き立つのだ。

 

 だから、興味のないフリをしてしまう。

 本当は没頭していたい癖に、斜に構えた態度を取ってしまうのだ。

 大沢アイカに対する罪の意識も合わさり、その癖が強化されているようだ。


 ミカゲにひどく気を遣わせてしまった。そのことがあまりに胸を重くする。

 今後、少しは肩の荷を下ろし、器用に立ち回りたいものだ。

 なんせもう死んでいるのだ。心の枷など、大事に持っておく必要はない。


         ◇


 泥の中に沈み込むような重たい微睡まどろみが、テツオの肉体をベッドに縫い付けていた。

 死後の世界でも、この身に『眠い』と感じる機能が残されているとは。


「おはようございます、テツオさん」


 鈴音のような声に意識をくすぐられ、寝返りを打つ。

 ぼんやり薄目を開けると、ミカゲが晴れやかな顔で椅子に腰掛けていた。

 

「おはよう……ござい……ます……?」


 見知らぬ天井に、淡いシーリングライトの光が灯っていた。

 視線だけを彷徨わせると、飾り気のないホテルの一室が目に飛び込んでくる。


「あの……ここ……何処です……?」


「天界でのあなたの寝所です。覚えていないんですか?」


 聞いて、ミカゲがしょうがないとばかりに呆れ顔を浮かべる。

 覚えていない。二人で映画館の中、ビールを飲み交わしているところまでは覚えているが、会話の内容も、その後どうしたかも覚えていない。


「すみません。全然、覚えてない……」


「テツオさんは仕事を終えた後、浴びるようにお酒を飲んですぐに寝ちゃいました」


 そうだった。天界で提供される酒の味があまりに美味しいものだから、加減を間違えて深酒をしてしまったのだった。


「ごめんなさい……なんか変な絡み方して迷惑かけたりしてませんか?」


「いいえ。酩酊状態ではありましたが、楽しく会話してましたよ。好きな映画の話が主な内容でしたね」


「ああ、よかった。気を大きくしてご迷惑かけていないのであれば、何よりです」


 安堵するように言ったものの、やはり不安になった。テツオが恥いらないよう、醜態を無かったことにしてくれているのか。優しいミカゲのことだからそれが濃厚な線だ。


「なにかご迷惑かけたらいつでも言ってください。反省はできる人間だと自負しています」


「ふふふ、大丈夫ですよ。本当に楽しくお話ししてただけですよ」


 含みのない笑みを浮かべて、ミカゲがペットボトルに入った水を差し出してくれる。


「ありがとうございます。頭が重いや……死んでても二日酔いがあるんですね」


「今のテツオさんは魂だけの存在ではありますが、転生したときの感覚と乖離しないように、生前と同じ感覚に調整されているんです」


 半身を起こして水を流し込み、テツオは苦悶に眉をしかめる。

 やはり夢がない。肉体から解き放たれたというのに、後先考えずに酒を嗜むこともできないのか。


「じゃあ、ご飯も食べないといけないし、トイレもしないといけない?」


「そうです。餓死したり膀胱炎になったりはしないので、生前よりは無理が効きますが、心の飢餓を招くので食べたいと思ったら食べてください。幸い、食べ過ぎても太ることはありません」


「天使であるミカゲさんも?」


「はい。私も生前と同じ生理現象があります。天使と言っても天界でのカテゴリーの一つなので、テツオさんと変わらないですよ。ただ、少し天使固有のスキルを持っているだけです」


 ふむ、とテツオはベッドから身を剥がして立ち上がり、ふと呆然とした頭で気になったことを口にする。

 

「俺のカテゴリーは? ただの死んでる男の人?」


「ふふふ、そんなカテゴリーはありません。テツオさんは〈第五等準天使〉という階級です」


 言いながら、ミカゲが一本指を掲げて言う。


「調査官としての仕事を繰り返す度に、魂の等級がレベルアップし、天使の座がグレードアップしてゆくシステムなんですが、現世のように身分に囚われる必要はありません。難易度の高い仕事を任せてもらえるかどうか、それくらいなので」


 では出世しない方が良さそうだと、テツオは密かに思ってしまう。

 あのオーク集落以上の仕事となると、考えるだけでも恐ろしい。


「ミカゲさんの等級は?」


「私は〈第三等天使〉です。テツオさんより七個上の階級ですね」


 いわく、準天使は第五から第一までの等級が存在し、そこから第五等天使に移行する。

 準天使から天使に移行する特典としては、天界ポイントを使用する際に割引が効く程度らしい。


「こう言っちゃなんだけど、特典がちょっとしょぼいね……」


「第五等天使から三割引きが効きますから、かなり大きいですよ? 第一級天使ともなるとすべてのポイントを半額で抑えられるので」


「お得だね……」


「微妙な顔ですね」


「なぜだろう、あまりモチベーションにならないのは……。天界ポイントというシステムにピンと来ていないからかなぁ」


 寝ぼけた眼を擦りながら言うと、ミカゲがテツオの肩をツンっと指で突いた。


「着替えましょうか」


 言われて、テツオは自身の姿を見下ろす。

 寝る直前にスーツから着替えたのか、死んだ直後のスウェット姿だ。

 そうか、私服もある程度揃えないといけないとなると、ポイントの使い道はいくらでもありそうだ。


「ちなみに自分の所持ポイントって、どうやって確認するんです?」


「こめかみに指を当てながら、口座番号4649と唱えてください」


4649よろしくね。覚えやすい」


 さっそく試して見ると、視界の真ん中に文字が滲んでくる。


【合計 : マイナス3億3000万ポイント】


「すごいっ、ちょっと胃が痛くなってきたッ死んでるのに!」


 映画館の建設のため、勝手に借金を背負わされたのだった。思い出し、胃に鉛を流し込まれるような重い感触に沈み込み、テツオの膝がガクっと曲がる。


「これから債務者生活が始まるのか」


「まあ、返済するペースは自分で決めれますし、取り立ては……まあ、私が何とか話をしておくんで」


「取り立てあるんだ……」


「あまりにも長く滞っていると、〈執行官〉という役職の天使がやってきますね。冷酷で無慈悲な言葉で責め立てられた挙句、最悪な場合──地獄に送られちゃうことも」


 改めて、何をしてくれてるんだとテツオは絶望する。

 自分の意思で背負ったわけではない債務で地獄に送られるなんて。


「俺が地獄とやらに送られたら、ミカゲさんの足を掴んで一緒に引きずり込みますからね」


「ふふふっ、良いですね。地獄でも仲良くしましょうね」


 ミカゲは望む所だと言うように、胸を張ってそう言い張る。

 余裕の返しだ。そんなに怖い所じゃないのか、地獄って。


「冗談です。地獄に突き落とされないように、頑張って一緒に働きましょうね。それに、いざとなったら私の口座から補填すれば良いですから」


「え、いいの? いくら持ってるの?」


「七千万ポイントの貯蓄があります」


「足らないじゃん……」


 差し引いてもマイナス二億八〇〇〇万ポイント。

 巨額だ。その数字はあまりにも大きく、山のように聳え立っている。


 しかし、返済が不可能なほどの額であれば、そもそも借入が出来るはずがない。


「俺の給料って、いかほど?」


「私の見立てだと一件仕事を終えるごとに、一千万から三千万は入る見込みです」


「わお、高級取りだ」


 かなり望みがある。一生懸命に働けば返せない額じゃない。

 そこから察するに、ミカゲの思惑が窺い知れてしまう。


「なるほど、さては引き留め戦略ですか? 俺を調査官の仕事に縫い止めようとしてますね?」


 名探偵よろしく、打ち込むように考察を突きつけると、


「察しが良いですね。その通りです。さっさと稼いで転生されてしまうと、あまりにも寂しいです」


 あけすけに企みを暴露し、ミカゲは頬に手を添えてニンマリ口元を歪める。


「信頼できるパートナーを確保するため、人事部の受付の仕事を請け負ってスカウトに励んでいました。テツオさんと出会うまでに一年間は苦戦していましたからね。ここで逃してはなるものかと、借金を背負って貰った形です」


 いっそ清々しい。そこまで強く求めてもらうと、むしろ照れるような嬉しいような気持ちになる。

 テツオのへきだ。あっけらかんと迷惑をかけてくれる、ルパン三世における不二子ちゃんのような女性に振り回されたい願望がある。

 それに、あれほど豪華な映画館も手に入った。責め立てる気持ちにもなれず──


「正直で良いですね。変に誤魔化さないところが好感を持てます」


「じゃあ、私たち相性ピッタリですね。これからよろしくお願いしますね」


 言いながら、ミカゲはクローゼット開け放ち、スーツをテツオに手渡す。


「順番が入れ違っちゃいましたが、まずは天界をご案内します。あなたにとって職場兼、自宅のようなものですから、一人で出歩けるようにしておかないとね」


      ◇

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