天界帰還

10.映画館にて

 テツオの意識が徐々に覚醒し、肉体の感覚が起き上がってくる。

 背中に当たる柔らかいシートの感触。手を預けた肘掛けの心地良い手触り。

 シアタールームの澄んだ空気に包まれ、安堵で全身が弛緩した。


「おかえりなさい」


 ミカゲの美しい声音と共に、テツオがゆっくりと瞼を開くと。

 今度は眼前に広がる光景に、口を半開きにする羽目となった。


「お疲れ様ぁっ」「おもろかったでぇ」「ミカゲは良いの捕まえたなぁ」

「生前は舞台役者でした?」「テツオくん、イイ演技してたわぁ〜!」

「マジで草生えた」「俺の調査も手伝ってくれーい」


 人の頭がずらりと並び、映画館のシートがびっしりと埋まっていた。

 観客だ。いつの間にか満席に観客が入っている。しかも、次から次へとこちらに向かって話しかけては、割れんばかりの拍手喝采を浴びせてくる。


「なにこれ……」


 声援の嵐のなか、テツオは縋るように隣に座るミカゲを仰ぐ。

 

「……どういうことです?」


「解析作業を手伝ってくれていた数人の面々と、後は野次馬です」


「野次馬?」


「天界にも一定数、娯楽に飢えた暇な天使がうろうろしてるので、面白そうな空気を察知して集まって来てしまいました」


 ため息混じりにミカゲが言うと「ああ」とテツオは納得をこぼす。

 ビベンチョの寝室に突入する際。妙にミカゲの態度が冷たい気がしたのだが、観客から冷やかされていたのかもしれない。


「次からは、この暇な方たちにチケットを売りましょう。無料で見せてると思うとなんだか腹が立ってきます」


 やはり何か煩わしい思いをさせられていたのか、ミカゲが眼鏡の奥からじとりと、拍手をする天使たちに呆れるような視線を配る。

 

「みなさーんっ、次からは入場料を取りますからね! 一人につき十万ポイントは用意して来てください!」


 ミカゲが観客に呼びかけると、ドッとそこらで笑いが打ち上がった。

 そんな温かい空気に包まれる最中、シアタールームのドアが遠慮がちに開き、一筋の光がテツオの視界に差し込む。

 

「あ……」

 

 ドアを引いて隙間を作った人物、その後ろ姿にテツオは瞠目する。


 大沢アイカ──自分が突き飛ばし、殺してしまった女子高生。

 どうやら見てくれていたようだ。テツオの仕事ぶりを。

 自分を殺した人間が苦しむ姿を見たかったのか、それとも別の思惑で。


(──謝らなくちゃ)


 反射的に立ち上がり、すぐさま走り出そうとした。

 しかし、そのテツオの腕に抱きつき、ミカゲが強引に制止させた。


「……時間を、置きましょう。彼女にも心の整理が必要です」


「あ、ああ、そうか」


 そうだ。配慮が足らなかった。テツオは崩れるように座席にもたれる。

 自分が許されたいがため、先走りそうになった。


 彼女は医者を目指していた途上で、人生の幕を下ろした。その悔恨の念を抱えている状態の最中、加害者のテツオが接近すれば、心をひどくかき乱してしまうだろう。


「ありがとう……ミカゲさん……ダメだね、俺は」


 テツオが顔を拭って呟くと、ミカゲの優しい瞳が眼鏡の奥で憂いを帯びる。


「自分を責めないでください。あなたは自分の命を投げ打ってまで、彼女を助けようとしたんです。アイカさんも時間を置けばわかってくれますから」


 沈痛な面持ちの二人を見て、周囲の天使たちは空気を読んで映画館から退散してゆく。

 去り際、次から次へとテツオの肩をポンっと叩いてくれるのだ。


「そう落ち込まんと、元気だしやぁ」


 最後に、関西弁の男性がそんな労わりを残してシアタールームの扉を閉じた。

 優しい人たちだ。羽は生えていないが、まさに天使のように柔和な者が多いのだろう。


「…………」


 全ての観客が立ち去った後、耳に痛い沈黙が流れる。

 気まずさで呆然とした意識が起き、テツオは肩を脱力させてミカゲに視線をやる。


「とりあえず、ビールでも飲みましょうか」


「そうですね。打ち上げをしましょう」


 二人して立ち上がりかけると、ふとテツオが平手を打つ。


「あっ、その前に──」


 言いさして、ミカゲに向かって手を合わせた。

 どうしても伝えたいことがあったのだ。


「悪いんだけど、報告書に追記できる?」


「できますよ。さきほど見せたのは下書きのようなものなので……何を追記したいんですか?」


「これからあの集落に転生する人に注意事項を」


 テツオが言うと、ミカゲが眼鏡の位置を直し、こめかみに指を当てた。

 

「どうぞ、そのまま私と会話してくれれば、報告書形式のテキストに記載できます」


「じゃあ、俺が提案した闘技大会の副作用について──今より差別意識が強まる可能性がある」


 テツオが危惧していたのは、武力のある者こそが『優れている』とする価値観が一層強化されてしまう危険性だ。


「今後、闘技大会の盛り上がり方次第で、戦える者の地位が向上しすぎて、鍛冶師以外の下層階級ダーナンに対して、差別意識が強まる可能性がある」


「確かに、武力と関係ない働き手の肩身が狭くなるのは避けたいですね」


 現代日本でも起こっていることだ。資本を持つ者こそ〝強者〟とする風潮が長く続き、社会に疲弊をもたらしていた。

 誰もが〝力〟を追い求められる立場にあるわけでも、モチベーションがあるわけでもない。


「それに紐付いて、敗者になった戦士階級ウォーリダンの暴発リスクがある。闘技大会で敗北した奴らが結束して、勝者に対して集団リンチを行う危険があるかも」


「なるほど……確かに無視できないリスクですね」


「もしくは、集落から出ていって、外で野盗化することもあるかも」


「劣等感を重ね過ぎた場合、そうなりますよね……」


「だから、転生者の手で再チャレンジ枠を用意してほしい」


 社会から弾き出されたと感じた者は、どうしてもコミュニティへの復讐に傾いてしまうだろう。それらを未然に防ぐ対策、地位の回復を図れる手段がなければ。

 

「一度の敗北で社会離脱を招く社会が形成されれば、あのオーク集落はそう遠くない未来に滅んでしまう」


「そうですね……離脱者より出生数が上回れば、ある程度延命は可能ですが」


 現実的じゃない。あの枯れた土地で『産めよ、増やせよ』と政策を打ち出しても限界がある。敗者となっても立場を脅かされない、懐の広い政策が必要だ。


「後は……闘技大会によって、少しづつオークの武力が向上するよね?」


「でしょうね。戦えるオークはより多くの経験値や学習を積めますし、武器の形もどんどん進化してゆくかも」


 テツオが思い起こすのは、オークの武器の形だ。

 基本的に、あの集落で使われていた武器は狩猟や他種族の撃退に向けたものだった。

 あの原始的な棍棒が、更に殺傷力のある武器に置き換わる未来は確定している。


「武器も戦士の実力も、大会を通じて向上していくとさ、他で通じるか試したくなるよね?」


「侵略行為ですね」


「そう。他種族か、あるいは別の土地に住むオークたちに対して、必ず侵略をするようになると思う」


「確かに、避けられるものではないですね」


「それと連動して、他種族を奴隷にしたり、家畜化する未来が必ず起こる。首輪付けられて飼われるのが人間だった場合……かなり後味悪い」


 現在の女王であるビベンチョは、父親の影に縛られてきた悲しきモンスターであるが、決して良心的な心を持った存在ではない。むしろ、嗜虐を楽しむ傾向にある。

 これに対する施策は、やはり転生者の采配だろう。


「了解です。そこは転生人事部に期待しましょう。転生者さんの良心的な采配によって、良い形の未来が築けるはずです」


「できれば、ビベンチョの子供として転生してほしい。時間はかかるかもしれないけど、発言権のある立場に座れる可能性が一番高いから」


「承りました。それも要望として上げておきます」


 ひと通り伝え、「以上かな」とテツオが一息吐くと、ミカゲから「ご苦労様です」と微笑みが送られる。


「テツオさん、ありがとうございます。そんな懸念事項にまで配慮していただいて」


「他に思いついたことがあったらまた言うよ。一応、やったことへの責任は最低限でも取っておきたいから」


「異世界調査官の仕事は〝転生者に託せる環境〟を作ることですから、アフターケアをする別枠の案件もありますので、そんなに背負わなくても大丈夫ですよ?」


「そうなんだ。じゃあ、出過ぎた真似をしちゃったかな?」


 バツが悪そうに頭を掻くと、ミカゲが首を横に振るう。


「むしろありがたいです。我々の仕事は信頼関係の上に築かれていますから、テツオさんの心配りは素直に嬉しいです。それに今回は入所試験も兼ねていますので、高得点が狙えますよ」


 言いながら、ミカゲは座席に背を預けて、安堵したように口元を緩めた。


「いきなり過酷な人外転生に放り込んだのに、不満一つ言わないんですね。しかも見事な活躍っぷりで」


「いや……言いたいよ? もっとソフトランディングしてほしかった……」


「ふふっ、ごめんなさい。でも、楽しかったでしょう?」


 聞かれて、テツオの背筋が強張った。

 楽しかったか? 楽しんで良い立場ではない。若い女の子を殺めてしまったのだから。


「……贖罪になると思って、必死だっただけですよ」


 そして、色のない冷たい返答をしてしまう。

 こんな言い方をするつもりじゃなかったのに、つい自然と口から漏れてしまった。


「テツオさん……」


 ミカゲが調子を落とし、悲しげな瞳を浮かべている。

 まずい。ひどく気を遣わせてしまった。


「……飲みましょうか。死んでるくせに喉がカラカラだ」


 仕切り直すように、テツオは座席から勢いよく立つ。


「そうですね。そうしましょう」


 ミカゲも静かに言って、先を案内してくれる。

 

 親に縛られてるのは、ビベンチョだけじゃない。

 自分もまた、心にしこりを残しているのだ。


       ◇

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