02.異世界転生は映画館で

 任命されるや否や、もう現地(異世界)に赴いて仕事をするらしい。

 人手不足のラーメン屋のようなスピード感だ。過酷な労働の匂いがして胸に重いものが吹き溜まってくる。


 スタスタ歩く田中ミカゲの背に付いて長い廊下を渡り、一つの部屋に誘われた。

 どうやら更衣室のようだ。ズラリと並んだロッカーのなか、『原島テツオ』のナンバープレートがすでに収まっていた。


「まずは着替えましょう。異世界調査官エージェントとして相応しい格好に」


 ミカゲがテツオの格好を下から上へと眺める。

 鼠色の緩いスウェットだ。コンビニへ行くための格好だった。まさかトラックに轢き殺され、ついでに女子高生を殺してしまうことになるなんて思いもしなかった。


「死ぬと分かってたら、もっとオシャレしたかったな」


「ふふ、分かってたら何を着ていましたか?」


「うーん……つい口走ってみたものの、改めて考えると思いつきませんね」


 言いながら、ロッカーを開け放って見ると、黒スーツと白シャツがハンガーに吊るされていた。

 テツオはスーツに対しての審美眼はないが、滑らかなそのマットな生地は、袖を通した瞬間から心地良さをくれる。その質感だけでひどく上等なものであることだけはわかった。


「それとこちらを」


 着替え終えると、ミカゲから黒ネクタイと腕時計が差し出される。


「死後の世界でも時計が必要なんです?」


「ここ天界でも地球と同じ時間が流れていますから、待ち合わせをするときなんか必要になりますし、異世界によっては時間の進み方が違う場合もあるので」


 そうなんだ、とテツオは相槌を打ちながら右に左にタイを交差させて困惑する。完全にネクタイの閉め方を忘れてしまっている。

 試行錯誤を繰り返していると、ミカゲがタイを受け取り、滑らかな所作で首に巻いてくれた。


「ありがとうございます。随分と手慣れてますね」


「私のような調査官を補佐する〈記録官〉には〈解析スキル〉というものがありまして。あらゆる知識を蓄えられるんです。そのときその場で、必要な知識をご提供できますよ」


 いわく、異世界調査の仕事というのは二人体制ツーマンセルで行われるとか。

 一人は基本単独で異世界に潜入する──〈調査官〉。テツオがこれに該当する。

 もう一方は、天界から調査官をあらゆる面でサポートする──〈記録官〉。いわゆるオペレーター的な役割だ。

 これから記録官であるミカゲの豊富な知識と的確な指示を貰いながら仕事を進めてゆくことになるそう。


「今から行う仕事は、テツオさんの入所試験も兼ねます。なので二人で頑張って乗り越えましょうね」


「試験あるんだ……緊張する……」


「大丈夫です。私は人を見る目がありますから。テツオさんなら難なく合格できます」


 そのミカゲから送られる期待に、テツオは腕時計を巻きながら白目を剥く。

 空回りして尊い命を奪ってしまったばかりだ。自信など湧くわけもない。


「失敗したらごめんなさいね。そのときはカマキリ転生に送ってください」


「あらぁ……ごめんなさい、受付で追い詰めすぎましたね。どうか肩の力を抜いて下さい。きっと大丈夫ですから」


 何を根拠に。とテツオは喉から出かかるも、その卑屈さに急ブレーキをかけた。

 自分が今まで好きになった映画の登場人物たちは、根拠のある自信など持ち合わせてはいなかった。だから物語はドラマティックになる。過去に積み重ねてきた成功体験を根拠に活躍する人物なんて面白みがない。持たざる者が夢を追いかける姿が最も勇気をくれるのだ。


 まあ今の自分にはその夢もないが──

 愛と勇気くらいは死したこの身にも残されているだろう。


「頑張らせて頂きます。楽しく仕事するぞー、エイエイオー」


「おー、その意気ですッ。エイエイオー!」


 テツオは色のない掛け声を、ミカゲは張りのある活声を重ね、二人は更衣室を後にして引き続き転生所の白い廊下を並んで歩く。

 

 蛍光灯が均等に並び、どこまで行っても同じ景色が続いた。

 無機質な床に靴音だけが響くなか、ふと曲がり角が出現し、四基のエレベーターが並ぶ区画に辿り着く。


「こちらです」


 チンっと電子音が鳴り、銀色の扉が開かれる。中へ乗り込み、数秒の静寂。

 しばしの間を置いて扉が再び開いた、その瞬間──


「……嘘だろ」


 辿り着いたのは、広く洒落た映画館だった。

 しかもテツオが足しげく通っていた都内の映画館そのもの。

 ご丁寧にポップコーンや飲み物まで売っている一階エントランス。そこからエスカレーターに足をつけて二階に上がると、シアタールームが軒を連ねる廊下に出る。


 即座に目を引いたのは──

 部屋番号の代わりに備え付けられた【転生口】と書かれた電光掲示板。

 

「異世界転生って、映画館から始まるんですね」


「ここはテツオさんのために用意された空間──通称『魂の間』ですから。あなたの好みに合わせて作り変えることができるんです」


「おお……」


 初めて死んだことを自覚した気がした。

 間取りといい、匂いといい、テツオの愛した映画館が見事に再現されている。

 少し歩き回ってみると、記憶が朧げな場所は夏の陽炎のように淡く歪んでいた。


「天界ポイントを貯めれば、あなただけの完璧な映画館に増設できます」


「天界ポイント?」


「ここでのお金のようなものですね。たくさん働いて、天界で豪遊してください」


 田中が美しい顔立ちから花のような笑顔を放つも、テツオはうんざり天を仰ぐ。

 金が必要なのかよ。死んでも資産に囚われないといけないなんて。


「ちなみに、この映画館の組み立てにテツオさんの所持ポイントを使いました」


「え……勝手に?」


「はい。モチベーションに繋がると思いまして」


「そ、その天界ポイントはどれくらい残ってます?」


「マイナスですね。テツオさんが日本で積み上げてきた善行をポイントに変換して、この映画館の建築に当てちゃいました」


「……マジで?……勝手に何してくれてるんです?」


「なので借金を背負ってもらう形に。およそ──三億天界ポイントのマイナスです」


「どうぶつの森みたいなスタートだ……」


「嫌でした? 気にいると思ったのに」


 上目遣いで見つめた後、田中はわざとらしく肩を落として見せる。

 その所作が捨てられた子犬のようで、テツオはあっさり騙される。


 ──人殺しの贖罪だと思えば、順当かもしれない。

 テツオはそう考えるようにした。大沢アイカの若き命と、医者になりたいという崇高な夢を摘み取った重罪。その懲罰であるなら受け入れるほかない。

 

「ハハ……夢のようですね。人殺しには身に余る贅沢です」


「気に入ってくれてよかった」


 受付をしてるときの平坦な対応はどこへやら。愛嬌たっぷりに笑う田中ミカゲの相貌に、テツオは安堵を感じてしまう。

 生前、占い師に鑑定してもらったことがある。テツオは『女難の相』とやらが色濃く出ているらしい。どうやら、その因果は死後の世界でも引き継いでいるらしい。


「好きなところに座ってかまいません」


 言いながら、田中ミカゲはシアタールームの扉を開いてテツオを招き入れた。


「ああ……完璧だ……」


 扉を潜ると、視界に飛び込むのは幅約一九メートル、高さ約八メートルにも及ぶ巨大なスクリーン。壁に規則正しく配置されたスピーカーに、ズラリと並ぶ座席は肉厚なリクライニングシート。

 この空間がすべて自分の物であるなんて。懲罰なわけがない。莫大な借金なんてどうでも良くなってしまう。


「気に入って頂けました?」


「最高。本当にありがとう……」


 テツオは呆然とし、ズラリと並ぶ座席の中、【P−01】と書かれた左奥の最後方の席に吸い寄せられる。

 その最もスクリーンから遠い場所に腰掛ける姿を見て、ミカゲが首を傾げた。


「なぜそこなんですか? 贅沢に中央にお座りになっても……」


「ここが好きだったんです。映画に夢中になる人の様子が見れますし」


「……そうですか」


 テツオが染み入るように呟くと、ミカゲがなぜか鼻を啜り、ハンカチを目元に添えはじめた。


「田中さん? 泣いてる? なぜゆえ……」


「いえ……なんとなく、あなたを選んでよかったなと」


 適正者を探すのに苦労したのか、はたまた、テツオの人生を労ってくれているのか。

 深入りする気分になれず、テツオは白いスクリーンをただ見つめた。

 やはり、気分が高鳴る。上映が始まる前のこの空気はとても居心地が良い。 


「田中さん、やっぱ映画館って良いですね。どんなに気分が荒れてても、ここに座っている間は落ち着くんです」


「そうですね。わかる気がします……。あっ、私のことはミカゲと呼んでください。これからたくさん一緒に仕事をするんですから」


 言って、ミカゲはテツオの右隣に腰をかけてハンカチを胸元にしまう。

 その所作が折目正しく美しい。ミカゲは天使というより、昭和の日本映画を見ているような古風な気品を感じさせるのだ。


「その、ミカゲさんって天使なんですよね?」


「そうですね。これでもれっきとした天使です」


「顔立ちが日本人っぽいのは?」


「日本人だからですよ。私は、テツオさんが死亡する遥か前に命を落とした日本人です」


「なんと……じゃあ、亡くなった後にこの仕事に?」


「いえ、死亡後は異世界を七つ渡りました。三度ほど勇者として転生して人類を救ったり、二度ほど聖女に転生して貧しい人々の救済に回ってみたり」


「おおっ、めちゃくちゃ活躍したんですね」


「その後は気分転換に猫に転生したこともありましたし、BLな学園世界に転生して、オラオラ系の王子様として片っ端から受け男子を──」


「そ、そうですか……楽しそうで何より……。天使さんも転生できるんですね」


「はい。まさに映画を見るような手軽さで、色んな異世界を堪能できますよ。天界ポイントを使ってね」


「ああ……そこにもポイントが必要になるんだ……」


「はいっ、なので頑張って働きましょう!」


 ミカゲに可愛らしく微笑まれても、テツオの眉がハの字に寄る。

『働く』という響きは、夢心地だった気分を一気に現実へ引き戻してくれる。


「俺の借金……三億天界ポイントってどれくらい働けば……」


「すぐですよ。借金を返済し、コツコツとポイントを貯めれば、最初に望んだ条件で転生することもできます」


「すぐって、具体的には?」


「ちょっとゴチャゴチャした話になるので、今度にしましょうか」


 誤魔化された。ミカゲと目が合ってるのに何も通じていない。

 納得できず、食い下がろうか悩んでいると、


「チート能力を持ったニートかつ、エッチなメイドさんに囲まれたハーレム生活が良いでしたっけ?」


 先ほど受付で要求した、テツオの恥ずかしい願望を口に出される。


「は、はい……お恥ずかしながらそんな希望を言ったような、言わないような……」


「男性は戦って活躍するタイプの転生を好まれますが、そういう能力や仕事は好みではないんです?」


「そうですね。戦うのはちょっと……大変そうだなって。殺さないといけないし、死体を見なきゃいけないでしょ? 面倒臭い上に気分が悪くなるだろうなって」


「あら……確かに気分は悪くなるかもしれませんが……華々しい活躍に興味は?」


「そりゃ、称賛されたい気持ちもありますけど……」


 テツオが少し考えて浮かべたのは、今までの自分の人生だ。

 かつて、大して好きでもない分野に就職して、日々のノルマに追われた経験。

 それは本当に息苦しく、心を病んだこともある。


「そういう華やかな人生に憧れはあります……でもやっぱり、俺はのんびりとしたニート生活が良いかな。どんな仕事でも活躍すればするほど、苦しみが増すような気がして」


 あけすけにそんなことを言ってみると、ミカゲが口元を抑えて微笑する。


「ふふ……まあ確かに、そうですね」


「あれ? 呆れられると思ったんですが」


「私も三回、勇者という立場を味わってますからね。心休まる瞬間が少なかったな、と」


 ミカゲが疲れを滲ませるように肩をすくませると──

 次の瞬間、前方の真っ白なスクリーンが眩く点滅し、『60』から始まるカウントダウンが映し出される。


「はじまります。あなたの初仕事ですね」


 背筋を正し、しっとりとそう告げられ、テツオの緊張の糸が背中に張る。


「ど、どうすれば?」


「心を深く、水底に入ってゆくようなイメージを頭に描いて下さい」


 転生に必要な儀式かなんかだろう。指示に従い、テツオは目を瞑って水の中に入るイメージを脳内に描いた。

 冷たく、されど心地よい水中の中を深く、深く潜ってゆく。


 そこでテツオはつい想像してしまう。

 映画館に『水中』と言えば、やはり『サメ映画』だろう。

 数多の作品を見てきたが、サメは何度見ても素晴らしい。

 恐怖と獰猛の象徴でありながら、デザインが洗練されていて美しく、とても格好が良い。


「あッ、そういうのを想像するとまずいです!」


 慌てるようなミカゲの声音が隣で打ち上がった。

 テツオの頭の中がスクリーンに投影されているのだろうか。


(あ──ッ)


 だが、もう遅い。テツオの近くで巨大なサメが泳いでいる。

 巨大な肉体がぐるり旋回し、獰猛な牙が生え揃った大きな口を開けて迫ってくる。

 今からイルカに変えられないか、と必死に頭の中を切り替えようとするも。 


「あらぁ、想像の中でも命を落とす必要はないのに」


 呆れるようなミカゲの言葉と共に、テツオは頭ごと丸呑みにされていた。

 臭いサメの口臭が鼻に飛び込み、ひたすらに不快な気分だ。想像しているだけの映像が、ひどく現実味を帯びている。

 しかし、不思議と焦りはない。怖いからやめたいという気分にもならない。


「異世界転生(潜入)を開始します」


 ミカゲの合図とともに、ブザーの音が鼓膜を叩く。

 どうやら物語の幕が上がるらしい。


「テツオさん、よき旅を。私もあなたの目を通して世界を見ていますから──」


 安心してください。そんな優しい声音が、救急車のサイレンのように遠のいてゆく。

 最後に、テツオは後悔する。どこに転生(潜入)するか、聞いてなかった。

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