第7話
影が蠢く。
祭壇に捧げられていたのは棺だった。
その棺の錠が乱暴に外されている。
メリクは僅かに開いた間から中を見た。
口を開いた頭蓋骨が見えた。
肉は無くても苦しんで死んだことが分かる形相だ。それがそのまま残されている。
……人の手により荒らされたこの神殿内部を思えば、
宝物狙いの盗賊が棺にまで手を伸ばしたという所か。
顔色を変えずにメリクは振り返った。
周囲を見回す。
積み上げられた人間の無惨な死体。
…………それでも心は震えない。
メリクはこれより無惨な人の死にすでに触れたことがあった。
自らの手で作った人の死体よりも無惨で残虐なものはこの世には無い。
もう汚れた手で扉を開けば、その先にある光景がどんなにひどいものだろうと他の人間が作ったものだと思えてしまう。
それだけでメリクの心は恐怖ではないものに凍って行く。
怯え恐れた方がよほど人としては正しい。
それは分かっていたが、もうどうしようもないのだ。
炎は燻っていたが赤い火種が残っている。
ここは元々は神聖な場所だが汚された神殿だった。
聖なるものを汚すには莫大な魔力が必要とされる。
ここに異質なほどの悪しき力が集った理由だ。
(大地がすでに地の奥まで穢れている)
メリクは地面を見下ろした。
これではこれ以上の浄化は無理だろう。
ギギ……と扉の軋む音がした。振り返る。
聖堂の入り口の扉が開く。
そこから現われたのは
悪しき領域の門番だ。
明確にメリクを敵と見なして命を奪わんと近づいて来る。
浮遊霊などとは訳が違う。
彼らは知恵があり、殺意があり、使命が与えられている。
闇を
彼らの瞳には魔力が宿っているので、力の弱い人間が見ると、それだけで体の自由を奪われたり、呪いを掛けられたりする。
高位の不死者モンスターは目を合わせると相手の身体を石化させるほどの力を持つ者もいるという。
しかしメリクの翡翠の瞳は霊性に輝いたまま、しっかりとその、死の双眸を見遣る。
二つの虚空を見ても彼は何とも思わなかった。
そこにあるのは生きているものが疎ましいという、ただ死霊の
本当に恐ろしいのは見通せぬ闇。
……いつか微笑むのではないかと幻想を抱かせるような金色の双眸こそ恐ろしい。
揺るぎない、鮮やかな光に射られながら少年時代を過ごした彼にとって、死霊のくすんだ両の目は、そこに立てられただけの石像の目と同じだった。
何の恐怖も覚えない。
こうやって
『サダルメリク』
翡翠の瞳を伏せる。
……その名を呼ばれるだけで心が凍り付き怯えさせるものを、
彼はもうすでに知っていたから。
三年の時を経てもなお、霞んでくれないその姿が鮮やかに脳裏に浮かび上がる。
こっちを冷たく睥睨する、あの姿が。
…………心の底から、憎まれたことを。
(あの人に比べたら、こんなモノ、泥で作られた人形のようなものだ)
メリクは腕を宙に差し出した。
魔力の風が開いた扉から吹き込んで来る。
緑の術衣が大きく翻る。
頭衣が落ちそこに隠れていた栗色の髪が露になった。
メリクの周囲に光が瞬く。
――
それは卑しくも知識の探求者である魔術師が、ただ一つ神に与えられた祝福の証。
思えばそれを同じくしたことすら、運命のように結びつけて喜んだこともある。
メリクの翡翠の瞳が
【
不死者の刃が、生者への憤怒や嫉妬で生まれるのなら、
自分の刃も自分に闇の宿業を負わせた神への憤怒と、
生まれながらに優しい温かな光の守りの中に落とされた、
命への嫉妬で作り上げられた。
なんだこの魂の無い骸と同じだな、と。
辿り着いたその答えにメリクの口許が微笑むように歪んだ。
……忘れられぬ、苦悩。
どれだけ時を経てもそれに囚われている自分への苛立ち。
怒りという至純な感情のままにメリクは魔力を放っていた。
「滅せよ‼」
骸を一閃した白雷が弾ける。
その弾けた先から続け様に火柱が凄まじい勢いで吹き出した。
呪文も無く魔法を操るのは成錬した魔術師の証とも言われる。
だがメリクの魔術の師は、その遣り方を何よりも疎んじていた。
怒りのままに魔法を行使する魔術師は、知恵に溺れた愚者なのだと、そう言って。
続け様に放たれた炎の魔法が一面の死霊を飲み込んで殲滅する。
炎が消えた時、……辺りは突然静かになった。
そして闇に包まれた。
(いつもそうだ)
メリクが魔術を行使した後に訪れるのは必ず深い闇なのだった。
死霊を自分が恐れない訳は、もう分かっている。
結果として一人は助けた。
……それでもあの人は死霊を恐れないようになった自分を、
やはり強く忌み嫌うのだろうと思った。
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