第一章 春 曲名 三人

西暦2010年4月22日午前6時30分

 窓より朝の緩やかな陽光が差し込む中で、室内の主の部屋では主の就寝を覚まさせるべく、目覚まし時計がけたたましく鳴り響いていた。


「うーん……うーん」


 部屋の主である彼女は、敷かれた布団の中でのっそりとした寝返りを打ちながら口をむにゃむにゃと動かし、そして幸せそうに微睡んでいる。しかしそんな主の平和な就寝など機械である目覚まし時計には関係の無いことだ。


「うーん……うーん」


 しかしそんな平和そうに微睡む彼女の元に、もう一人のこの部屋の主である女の子がそんな彼女の元に歩んでくる。立っている女の子の様相は、肩までのショートヘアーに童顔とも言える顔といえ、大きなくりっとした目に、深いブラウンの瞳を宿しており、少し高い鼻梁と、その小さな顔から見える少し膨らんだ小さなリスの様な頬がなおの事女の子を可愛く見せた。


 ただ女の子は少し怒っているのか、本当にリスを彷彿させるかの様に頬を膨らましている。女の子の身長は女性では余り高くないほうである。女の子はピンク色の上下のパジャマを揺らしながら、同室の主である彼女の肩をぽんぽんと叩く。


 その時に僅かな衣擦れの音が聞こえるが、そんな事に構わずに、彼女はやはりむにゃむにゃといいながら寝返りを打とうとするが、女の子は少し強めに寝ている彼女の肩を叩く。少し強めに叩かれた事で彼女は目を少し開けると目を半開きにする。


「優羽(ゆう)、優羽、朝だよ。起きないと学校遅刻しちゃうよ」


 肩を叩かれ、熟睡していた方が一歳年下の妹の優羽。そして起こしている方が姉の美優(みゆ)。優羽と美優は同室に住んでいるが、ただ美優は優羽とは違い朝に非常に強く、年寄りもびっくりという程の早い時間に起き上がり、妹の優羽を起こさない様に優羽の隣にしかれた布団を静かに上げ、その後は手早く洗顔と歯磨きを済ませる。これが美優の日課である。


 そして妹の優羽はそんな姉の美優の気遣いに気づかずに寝ている訳だ。美優は少し屈みながら優羽の肩を真剣に叩きながらそう言葉を掛けるが、当の本人はまだ夢眼であり、こうむにゃむにゃと言いながら言葉をその口から漏らす。


「もう5分……」

「5分って言う人に限って起きないの! 起きなさい優羽」


 美優は優羽の肩をガクガクと揺すり始める。そうすると優羽と美優との非対称的なロングの髪が布団の上で扇状に広がる。布団の中でもじもじしながら優羽は美優に言葉を告げるが、その目はまだ微睡んだままである。


「……後5分で起きるのに……」


 そう言いながら優羽はむくりと体を起こし、右手で目をごしごしと擦りながら起き上がる。そんな優羽を見ながら美優は少し大きく息をつくと盛大とも言える溜息を付いた。


「優羽がそう言ってこの前30分もオーバーしたよね」

「したっけ?」

「したよ」

「へへっ」


 優羽は少し舌を出し、水色のパジャマをゆらゆらと揺らしながらはにかむ。優羽は美優より少し大人っぽい顔立ちをしている。美優よりも整った目にその瞳は深いブラウン色をしており、高い鼻梁と小さな口、そしてシャープな顎からなるその顔は可愛いと言うより整った顔立ちと言える。まあ、それでも童顔の部類には入るが。身長は女子で言えば高くもなく低くもない位である。目をごしごしと擦る優羽に、美優は室内の襖を指さしながら促した。


「顔洗ってきなさい優羽、あんちゃん待ってるから」


「判った」


 美優の言葉を聞いて、優羽はもっそりとした動作で布団から起き上がり、そして室外へ出て行こうとする。でもそんな優羽を追いかけるようにして美優が動き、そして背後から美優の声が木霊する。


「優羽、タオル忘れてる」


 優羽の背中に追いつくと美優は優羽の手にタオルを差し出すと、優羽ははにかみながらそのタオルを受け取った。

 そしてそれから暫し時間が流れ、美優は優羽が洗顔と歯磨きをし終わるのを待ち、各自、学校の制服に着替えた頃には7時の5分前になっていた。


 美優と優羽の制服は茶色に統一されたブレザー。胸元からは白いシャツとやはり茶色のタイが見える。ただ1年と二年が見分けが付くようにタイには少し工夫がしてあり、タイに白い模様が入っている方が一年、赤い模様が入っているのは二年、なにも入っていないのは三年である。修一と美優は公立吹鳴高校の3年生であり、優羽は一年生である。


 制服姿になった二人はキッチンの方に歩いていく。築30年のアパートと言う年期の入ったアパートであり、元は白かった壁も今では少し黒ずんでしまっている。


 床はフローロングではなく畳である。そしてこの家には3人が住んでいる。まず兄であり美優と一卵性双生児である、御堂修一(みどうしゆういち)。その数秒後に生まれた妹の美優。そして2歳下の妹の優羽。彼女達には両親、親族等は存在しない。父と母は優羽が生まれた直後に離婚し、母は今から3年前に白血病で他界した。過労からなる病死だった。


 その母自体に親族は存在しない。母は児童擁護施設で育った人だった。また父の消息自体、母と離婚した直後から分からない。という事実を修一達は母から聞いている。

 なので父方の親族の顔さえ、修一達は見たことはなかった。


 また本来、彼らは児童擁護施設に送られている筈だが、母の知り合いだという水乃咲家が後見人として彼らのバックアップをした。

 結果、彼らは児童養護施設に送られなくてすんだ訳だ。ただどういう経緯で母と水乃咲家と接点があるのかは未だに修一達には分からないが。


 そして水乃咲家は、ぎりぎり三人が生活出来る分だけの生活費を振り込んでくれた。また母と住んでいたこのアパートも水乃咲家のおかげで死守できている。

 このアパートは3室あり、以前は母が一部屋使い、そして一部屋は修一、もう一部屋は優羽と美優が共同で使用していたが、現在は修一が一部屋を使い、優羽と美優は一部屋に同室している。そして空いた一部屋は母の部屋であるが。別に修一は母の部屋を永遠に形にして残そうとしている訳ではなく、単に優羽と美優が同室がいいそうなので、現在はその部屋は空き部屋となっている。


 亡くなった母は優しく大変出来た人だった。子供三人を育てる事に対して一度も弱音を言わず、それどころか育てている事に大変な喜びを感じ、子供に向けるその顔からは決して笑みを絶やさないそんな人柄と言えた。だからこそ、修一達はそんな母には深い尊敬の念を抱いている。


キッチンから目玉焼きの香りと味噌汁の香りが仄かに漂う。キッチンで料理をしているのは修一である。


「おはよう優羽」


 味噌汁をかき混ぜながら、修一は首だけを優羽と美優の方に振り向けにこやかに微笑む。以前に優羽と美優が自分達も料理を作ると言ったのだが、兄の修一は頑なにこう言った。


「朝はしっかり寝ろ。そして学生らしく過ごせよ。家の事は俺に任せろ」


 苦しい三人分の生活費を計算しているのも修一である。修一はこの家の大黒柱的な存在と言えた。また水乃咲のぎりぎりの生活費で、この家を守る事は、修一に課された大きな義務となった。


 ただ修一は余りに家計が苦しいから、週4日のバイトをしている。それでも学校が終わり、未成年がバイト出来るまでの時間は短く、バイトをしてもたいした金額にはならない。またバイト先が週5日はいらないという理由で週4日である。


 修一がバイトをして、やっとの事でこの御堂家は苦しいから少しは楽になったまでにはなったが、ただ自分たちの後見人になり、生活費をくれる水乃咲家に対して修一は文句をいうつもりはない。


 ただ実際の所、本当に水乃咲家が、三人分の生活費を計算しているのかは疑うところでもあると修一は考えている。


 ただ正直1日でも計算が狂えば、御堂家の経済は破綻する危険な状況とも言えた。また母が健全にいる頃から家は非常に貧しかった為に、ろくに貯金もなかった。


 ただ何故か母が死んだ折に、水乃咲家が母の墓を建てたという事もあり、修一にとっては水乃咲家がなにを考えているかよく分からない家とは思っている。


 またお盆になると明らかに誰かが墓に参っていった形跡があるが、それをしているのは誰なのかは未だに分からない。


 そんな修一に、美優と優羽は自分達もバイトをすると言ったが、修一はやはり頑なにこう述べた。


「大人になったら嫌でも働かなきゃならんから、今の内にしっかりと遊んでおけ。お前達のバイトは禁止。そんな暇があるなら勉強してろ、なんてな」


 全てのやっかいごとは全て修一が背負うという、明らかな意思表示であった。実は水乃咲家は3人のバイトを禁止している。その事を美優も優羽も知っている。だが現実問題、生活は火の車の状態であった。例え修一が規約違反に属する事をしても、美優と優羽はなんとしても守らなければならないと言う、修一の深い思慮と揺るがない堅い考えがあった。


 そしてその意味のする所は何事かあったら、やっかいごとは全て修一個人で背負うという意味である。


 修一にとっての全ての人生は美優と優羽を守る事だ。それ以外の思いを持つ事もなければ、それ以上の欲もない。修一は高校生にして、青春及び全ての人生を捨てている人物とも言える。何故ならば全ての自分の人生は妹達の為にあると思っているからだ。


 そして修一は美優と優羽に必ずこう釘を刺すように言う。それはあんちゃんがバイトをしているとばれても、お前達がしていなけば、お前達だけでも逃げられる。それが修一の口癖だった。


 何回美優と優羽がバイトをすると言っても、修一は頑なにそれに対して反対した。

 ただ、昔から修一の言ったことは正論の域を超える程に正しい事が多かった。なので優羽と美優は意地でも私達もバイトをするという事を言えずにいる。なぜならそれは自分達を守ろうとしている修一の考えに反している考えだからだ。そんな兄の言うことを素直に聞かない程できていない妹達ではない。


 また現在の17歳の時点で施設に送られる事はないが、それでも水乃咲家の後見人の話を断るのは死活問題とも言えた。

 不況な現代で、17歳三人で生活を維持できるかと質問されれば、著しくノーと答えざるを得ないし、更にそちらを選ぶと、美優と優羽の学歴が確実に中卒になってしまう。


 そんな事はできうる限り修一は避けたい出来事の一つと言えた。そして美優と優羽には大学に行って貰いたいが、修一の深く深く思慮する根深い考えでもあった。

 キッチンに備え付けられているテーブルに優羽と美優は近づき、備え付けられている椅子を引きながら、美優と優羽は修一に向かって無邪気な表情ではにかみながら修一の背中に声を掛ける。


「おはようあんちゃん、二度目の挨拶だね」


 まずは美優が修一に柔和にはにかみながらそう言った。


「おはようあんちゃん」


 次は優羽が修一に向かって朝の挨拶をすると、修一はにこやかに笑いながら優羽と美優の方に振り向くと朝の挨拶をする。修一はそこでガステーブルの火を消すと、腰に右手をやり美優に向かって聞く。


「ああ、おはよう。それにしてもまた五分攻撃が続いたのか美優」


 修一は少しその顔に苦笑いを浮かべるが、美優はそんな修一に一度目線を向けると、今度は優羽の瞳を眺めながら苦笑いを浮かべながら答えた。


「五分じゃなくて、50分攻撃だよ」

「50分も寝ないってば美優」


 他愛のない姉妹二人の会話を見て、修一は腰から右手を下ろすとキッチンに一度向き直った。二人は会話をしながら椅子へ腰掛けた。その間に修一は素早く焼き上がった三人分の目玉焼きを皿に乗せる。修一が味噌汁の煮込み具合を見ると、丁度味噌汁の具も丁度煮えていた事に満足する。


「先にコーヒーでも飲むか?」


 修一はガスコンロの網焼き機に入っているししゃもの焼き加減を見ながら優羽に尋ねる。美優は修一と似た時刻に起き上がっているので、この言葉は明らかに優羽に向けられていることを美優は分かっていた。


「うん、あんちゃん」


 優羽の言葉を聞くと、修一はガスコンロから少し離れると棚に歩んでいき、コーヒーカップとインスタントコーヒーとスプーンを取り、インスタントコーヒーをカップの中に入れる。そして砂糖2杯とクリープ。修一は一連の作業を終えると、ポットに入っているお湯を注ぎ、スプーンでかき混ぜる。修一はカップを片手に持ち、出来上がったコーヒーを優羽の元に持って行き優羽の前に置くと、再度ししゃもの焼き加減を見に行った。


 優羽は修一が入れてくれたコーヒーを啜る。それはとても自分の好みにあった甘さに調節してあり、優羽はさすがあんちゃんと心の中でガッツポーズを取った。そんな満足そうな表情を浮かべる優羽のにこにこ顔を見ながら、美優は優羽に向かって大きな溜息を一つ付く。


「はあー至福の時」


 テーブルにカップを置きながらうっとりとする優羽の顔を見ながら、美優はテーブルに肘を載せると頬杖を付きながら言った。


「もっと朝早く起きれば至福の時は長いよ」

「うーん難しい注文だ」

「難しくないよ。目覚ましをもっと早くセットしていればいいじゃない。私の目覚ましの音を聞いても優羽は全く起きないし。ある種凄い才能だよ」

「そうかな?」


 優羽はそこで座ったまま、大きく背筋を伸ばし、伸びをした後に美優の瞳を見ながら微笑を浮かべる。それを見て美優は再度大きな溜息を付いてしまう。


 そんな美優の溜息に気づかずに優羽はカップを片手に持ち、ふうふうと息を吹きかけながら冷ますようにして少しずつコーヒーを啜っていく。

 そしてキッチンでは黙々と作業をする修一の姿がある。修一はキッチンで先に出来上がった目玉焼きを皿に載せた後にお盆に載せると、それをテーブルに持ってくる。優羽は少しずつコーヒーを飲み、そして5分後には飲み終わっていた。


 それを見て修一は焼き上がったししゃもの載った皿、そして再度熱を通した味噌汁のお椀、柴漬けのパックや各種取り皿などをお盆に載せる。そして一連の作業を終えた修一の行動を見た美優は椅子から立ち上がり、食器棚からご飯茶碗を3つ取ると、それを持って炊飯ジャーの所に行く。美優はジャーの蓋を開け、しゃもじで三人分のご飯を茶碗に盛る。それを見て修一は食材をテーブルに載せた後に空になったお盆を持って、美優の所に歩んでいく。


「サンキュー」

「いえいえ、あんちゃん」


 修一は美優から三人分のご飯を受け取ると、お盆に載せ、テーブルに運んでいく。美優は修一の後を追うようにテーブルに行き、そして再度自分の椅子に腰掛けた。全ての作業を終わらせた修一もようやく椅子を引き座る。そして修一は、美優と優羽の顔を一度見た後にこう告げるように言った。


「さて食うか」


 修一は両手をぱんと重ねるとお辞儀をする。そして口からは頂きますと自然に漏れている。それに習って美優と優羽も両手を合わせ頂きますと言った後に食事を取り始める。最初に柴漬けを口に入れて咀嚼しはじめた美優が、修一に向かって満足そうな笑みを浮かべてこう言った。


「98円の柴漬けとは思えないね」


 美優の満足そうな表情と言葉に修一は笑いながらししゃもに手を伸ばす。そして美優の言葉を聞いた優羽が、柴漬けを口に放りこんだ後に咀嚼し嚥下した後にこう言った。


「柴漬けってみんな同じじゃない」


 優羽の言葉に、修一はししゃもに手を伸ばしながら大きくその首を傾げながら言葉をこぼす。


「いや美優、恐らく高い柴漬けはどこか違うと思うぞ」


 そんな未知の食材に対して、少し疑問顔になっている修一に向かって、優羽はやはり柔和な笑みを称えながら胸を張りこう自慢げにその口から言葉を出した。


「あんちゃんの料理には絶対に勝てないよ」

「うんうん優羽、それは良い言葉だよ。あんちゃんが作る物に不満足なものがあるはずがないよ」


 美優の言葉を聞いて修一はくすりと笑う。


「オーバーだな、そもそも柴漬けは俺が作った訳じゃないよ。俺は切っただけだ」

「でも十分」


 修一の言葉に優羽は親指をピシリと立てながら言い切った。

 食事を取りながら、修一は優羽と美優に聞いた。


「で携帯はいらないのか?」


 修一の言葉に美優と優羽は小首をふるふると横に振る。明らかにいらないという意思表示に見える。


「遠慮はいらないぞ。近頃毎月返済で買える携帯があるからな」


 修一の言葉に美優が難しい顔をする。


「あんちゃん、毎月の支払いがあるんだよ」

「俺に任せておけ」

「そんなこと言ってバイト増やす気じゃないよね。私達もバイトしてもいいって言ってるじゃん」

「お前達のバイトは駄目だ。お前達のバイトがばれたら水乃咲に説明のしようがなくなる。それと俺がバイトを増やさなくても払えるさ」


 修一の言葉に、美優は顔の前で手の平を振りながら告げる。


「あんちゃん、この話はなし」

「そうか」


 美優の言葉に修一は残念な顔をする。それを見て、優羽はやはりにこにこと笑いながら述べる。


「別にいらないじゃん」

「でもな、お前達にも付き合いって物があるだろう?」

「それでも別に必要ない」


 優羽からも笑顔の拒否をされて、修一は頭を掻いた。


「ゲーム機なら毎月の支払いがないから買えるぞ」


 修一の言葉に美優と優羽はまた首を横にふるふると振る。いらないと言う返事に他ならなかった。そんな二人に修一は言葉を付け足す。


「なんか学校で流行っているゲームがあるんだろう?」


 修一の言葉に美優と優羽はあっさりと言い切った。


『あんちゃん!』

「済まない」


 二人の駄目押しの言葉に修一は頭を下げた。優羽と美優も年頃の女の子だ。それぞれの欲しい物はある。でも我を押し通す我が儘は単なる修一を苦しめる足枷になる。


 彼女たちは修一の足枷になることが、この世の中で一番に嫌なことであった。

 彼女達は若者の中では極端に物は持っていない。必要最低限の化粧や鏡や櫛ぐらいである。ゲーム機や携帯などはこの三兄妹は持ってはいない。

 優羽と美優はMDコンポ等の家電を持っているが、兄の修一は未だにCDカセットシステムである。キッチンには10年程前の20型のブラウン管のテレビが一台ある。各自の部屋にテレビはない。


 でも三兄妹はそれでも今の生活に満足している。兄妹仲良くいる事が、彼と彼女にとって一番に幸せな事だった。

 何故なら母にはその兄妹すらいなかったのだから。


「あんちゃんは私達に気を遣いすぎだよ。私も美優もそんなことより私達が仲良くいる事が大切なんだよ」

「そうか」


 優羽の言葉に修一は少し笑う。そして修一はししゃもを箸で掴むと口に持って行く。


「ところであんちゃん」

「なんだ」


 美優の言葉に修一はししゃもを飲み込んだ後に口を開く。


「あんちゃんこそ、奨学金確実って言われてるじゃん。で大学はどうするの」


 修一は学校で一番頭が良かった。不得手な科目はなにもない。別に勉強などしなくても、授業を聞けば全て頭の中に入る、一種の秀才の類に入る人物と言えた。


「まあそうだな、どうするかな大学」


 美優の問いかけに曖昧な返事を出す修一。


「あんちゃんは大学行きたくないの?」


 畳みかけるように優羽は修一に聞くが、修一はそこで優羽に対して優しい笑みを浮かべる。


「まあ正直、俺はお前達を食べさせられればそれでいいんだが」


 修一のそんな言葉を聞き、美優は怪訝な顔をする。

「あんちゃん、まさか私達の為に大学行かないとか」

「いや、そうじゃないぞ」

「じゃあ、あんちゃん大学行くよね」


 そこで修一は美優と優羽の方を見て優しく微笑む。修一は次の言葉を出さない。


 修一の本音は彼女達の人生に、自分の人生の全てを注ぎ込もうとしていた。

 修一は自分の人生などどうでもよい。


 彼は彼女達の梯子。それだけの存在でいいと思っている。出来れば彼女達を自由に羽ばたかせる翼になればいいと思っている。大学費や寮費の借り受けの保証人は水乃咲がなると規約書に書いてあった。生活費の諸々も全てである。


 問題はそこの生活費の云々である。現在でも死活問題に発生しそうになるほど生活費が低いのに、水乃咲はその時の生活費をどうするつもりなのか。そこが修一には不安でならない。


 なので自分が一生懸命に働き仕送りをすれば、美優と優羽を安心して大学に行かせてやることが出来ると考えている。

 ただこの考えを修一は美優と優羽には話してはいない。きっと自分を心配して怒るであろうと考えるからだ。また自分の事を全く考えないと、そう言われるだろう。


「さてここで話は切り上げるぞ。早く飯食って学校に行くぞ。俺は茶碗も洗わなきゃならん。さお客さん達食った、食った」

「あんちゃん……」 


 修一のそんな言葉に美優は悲しい顔をする。修一の先程の言葉は強制的に話を打ち切りにさせる修一の逃げの台詞である。そんな事は優羽も美優も分かっている。だから悲しいのである。


 でもこれ以上兄の修一を困らすわけにも行かないので、静かに朝食を食べ始めた。


 

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