25・フォンティネール家の美しい部分


 フォンティネール北部の森には、秋の深さをしめすように枯葉が厚く積もっていた。


「やはりフォンティネールは寒いのですね。エモンティエでは、まだこれほど枯葉が積もってませんもの。気候がちがうから、繁殖するきのこの種類もちがうでしょうね……」


 習慣で、ミュリナはついきょろきょろときのこを探してしまった。枯葉をかきわけないと、地面に生えるきのこを見つけるのはむずかしそうだ。


「魔除け茸は、この土地でも効果を発揮するでしょうか?」


 ジュリアスは、やや険しい顔つきだった。

 たわいのない親子喧嘩ではじまった朝だったが、今日も馬に乗ってただひとり戦いに赴く母親の背中を、彼は沈んだ瞳で見つめていた。心配でないはずがない。


「まだわかりません。魔除け茸は、エモンティエの土地でははっきりとした効果が出ています。気候や土壌のちがう他領地で実験させてもらって、上手くいけば普及に力を入れ、上手くいかなければ改良すればいいという段階なのですけど……。実験させてくれる領主がなかなか見つからなくて。魔物が湧かなくなったら困るという考えは、はやく改めてもらいたいわ」

「そうですね。魔物を退治するために貴族が必要なのか、貴族を存続させるために魔物が必要なのか、よくわからなくなっている。私は、魔物も貴族もいなくなればいいと思っています。フォンティネール家など没落したってかまわない」


 ミュリナはなにも言えなくなった。

 もしフォンティネール伯爵が亡くなったら、フォンティネール家はどうなるのだろう。フォンティネールのために力を注いできたリディアーヌはどうなるのだろう。魔祓いの貴族を安心の支えにしている、領民はどうなるのだろう。


(魔物はいなくなればいいと思うわ。でも、そのあとの変化は、きっとゆっくりおとずれる)


 ミュリナは青く澄み渡る秋空を見上げた。

 雲ひとつない快晴。


 太陽に右手をかざすと、輪郭が血の色に赤く透けるように見える。人の赤い血に混じって、自分に魔族の青い血が流れているなど信じられない思いだった。

 千五百年前の先祖から受け継いだ、魔族の血、魔祓いの血。魔物がいなくなったら、この血の意味もなくなる。貴族は貴族以外とも交わるようになり、血はうすれ、忘れ去られていくだろう。


 ミュリナは、忘れ去られてもいいと思っていた。

 でも多くの貴族たちは、忘れ去られてもいいとは思わないだろうし、貴族でない領民たちも、自分たちのために命をかけて魔物と戦ってくれた貴族たちを忘れはしないだろう。女神を仰ぐような目でリディアーヌを見ていた村人たちは、孫や曾孫にも、彼女のことを語り継ぐだろう。


 彼女が死んで、いなくなったのちも。


「リディアーヌ様のような方に出会うと、貴族社会を終わらせることはいけないことのように思えてしまいます。あの方は、この空のように崇高で、美しくて……」


 この空の下で、彼女は今このときも、村の安全のために魔物に剣をふるっている。

 全身に青い血を浴びながら――。

 ミュリナはぶるりとひとつ身震いをして、上向けた顔をうつむけた。

 視線の先には、澄んだ青空とはうってかわって、茶色く朽ちかけた枯葉が幾重にも重なっている。


(わたしはいつも下を向いて、枯葉ばかり見ているわ。枯葉の間から頭をのぞかせるきのこばかり探しているわ。崇高さのかけらもなく)


 ミュリナはしばらくの間足を止め、じいっと地面を見ていた。

 季節外れのバッタが、枯葉の間から茶色い頭をのぞかせている。ミュリナはぼんやりと、枯葉の上を歩くバッタの行く先を目で追った。


「ミュリナ様」

「……」

「母は、フォンティネール家の美しい部分を担っているだけです。傍流から発展した我が一族には、表には出せない後ろ暗い部分もあると思うのです。私は本邸で、それを調べていたのですが……ミュリナ様?」

「……」


 ミュリナは地面を見つめたままだ。


「もしもし、ミュリナ様?」


 ミュリナは突然しゃがみ込み、バッタが通り過ぎていった枯葉を猛然と手でかきわけはじめた。


「どうしたのですか、なにかありましたか?」

「きのこがありましたっ!」


 地面から目を離さず、ミュリナは言った。崇高さのかけらもない自分に落ち込んでいた気分はどこへやら、その目はきらきらと輝いている。


「……きのこですか」

「エモンティエにはないきのこがっ。枯葉の隙間にあったようななかったようなあったような。わ、やっぱりありました! これっ! これです!」


 ミュリナが枯葉を押しのけた地面は土がむきだしになり、そこに小指の頭ほどの丸い傘をのせた黒いきのこがあった。


「傘のかたちがテャールみたい……。黒いけど……。軸が長いけど……。これひとつかしら? 近くに群生してないかしら?」


 ミュリナは、令嬢の持ち物とは思えない使いこんだ分厚い革手袋をすちゃっと装着すると、猛然と、しかしていねいに、周囲の枯葉をかきわけた。


「ない……ないわ……。これ一本……」

「きのこがお好きなんですね」


 ジュリアスの感心したような声に、ミュリナは我に返ってはっとした。

 おそるおそる見上げると、まぶしいような美青年が、青空を背負って自分を見下ろしている。対する自分はと言えば、ドレスを枯葉まみれにして、しゃがみこんで地面を這いずりまわっている。とても令嬢とは思えない姿だ。


 ミュリナは硬直した。

 貴公子ジュリアスの前で、自分は一体なにをやっているのか。


(レーナに色気もそっけもないって言われてもしょうがないわ……)

「探すのを手伝いましょう」


 ジュリアスがすっと、ミュリナの横に片膝をついた。


「いえそんなっ。駄目です、ジュリアス様。手が汚れます! えっと、その、ジュリアス様は魔物がこないか見ててください! そのほうが安心して探せますし……」

「汚れるくらいかまいません。きのこを探しながらでも、魔物の気配はわかります。――エモンティエでも、こんなふうにきのこをお探しに?」

「は、はい。ときには」

「エモンティエは魔物の危険が少ないとはいえ、夢中になりすぎて無防備になりませんよう、お気をつけて」

「だいじょうぶです。騎士がついてますから。騎士といっても同い年の男の子で、ただでさえ力の乏しいエモンティエ家の傍流ですから、なにかと不安はありますが」

「同い年ですか……」

「同い年ですが、なにか?」

「オオカミ……。いえ」


 ジュリアスの言葉から、夫人に言われたことを気にしてるのねと、ミュリナは思った。ジュリアスがほめるのもほめられるのも慣れていないのは、母親の言い草がきつすぎるからではあるまいか。鈍感だの単純だの十四歳だのオオカミだの……。


(かわいそうなジュリアス様。容姿のほかにも、いいところはいっぱいあるのに。民を思う気持ちや、真面目さや、誠実さや、心に秘めた情熱や……)


 ミュリナは、地面に這いつくばる恥ずかしさには腹をくくって、ジュリアスと枯葉をかきわけていった。


(きのこきのこ……黒いきのこ……。傘がテャールみたいな黒いきのこ……)


 テャールが森の真珠なら、こっちは森の黒真珠……などと思いながら、分厚い枯葉の層を押しのける。


「あったあ!」


 去年の枯葉が培地と化した養分豊かな土の上に、つやつやした黒真珠がびっしりと寄り集まっていた。


「感激。こんなきのこはじめて見たわ。新種のきのこなんてひさしぶりだから、きのこ倶楽部のみんなもきっとはりきって研究してくれるわ!」

「きのこ倶楽部?」

「エモンティエのきのこ研究員をそう呼んでるんです。身分や職業の垣根を越えて、百人以上の倶楽部員がいるのよ。倶楽部の発足を領民に呼びかけたのが、母です。倶楽部のみんなが調査やきのこ集めに協力してくれるようになってから、魔除け茸の研究はぐんと進んだの。貴族じゃなくても魔祓いはできるのよ。みんなが目的に向かって、力を合わせさえすれば」

「――それは興味深い」

「エモンティエの屋敷は、きのこ倶楽部の集会所みたいなものです。屋敷に来る倶楽部員が手伝ってくれるから、使用人は三人で足りてるの。よその貴族の方がエモンティエ家に来たら、きっとびっくりします。うふふ」

「きのこ倶楽部は、領地の垣根も越えて入れますか?」

「もちろんです。フォンティネールでも倶楽部員募集しようかしら?」

「私でも入れますか?」

「もちろ……え?」


 ミュリナがおどろいて顔をあげると、ジュリアスは真面目な顔をしてミュリナを見ていた。

 午前の明るい日を浴びて、雲雀ひばりが空をよぎってゆく。

 ミュリナのおどろいた顔にばつが悪くなったのか、ジュリアスははにかむように唇を引き結んだ。口角はあがっていないが、笑おうとしたのかもしれない。


 舞踏会では、とても洗練されたふるまいをしていたのに。

 このひとはふだん、とても不器用そうな表情をする。

 たくさんの複雑な思いをどうあらわしたらいいかわからないとでも言うような、途方に暮れた顔をする。

 それはリディアーヌが村人に見せる自信に満ちた顔とは反対のもので、頼りなさそうなのに、なぜかとても安心できる顔だった。彼ならきっと、ほかの貴族が見向きもしないものたちを、切り捨てないでいてくれると思えるような。


 彼の手をとりたいと、ミュリナは思った。

 彼の手をとり、一緒にセレイア国の未来を手さぐりしながら歩んでいけたら――。


「ジュリアス様」

「なんでしょう?」


 ミュリナはがしっとジュリアスの両手をとった。ジュリアスがびっくりしたように自分の手をつつむミュリナの手をみつめる。


「あ……失礼」


 泥で汚れた革手袋のままだったのを思い出し、ミュリナはあわてて手袋を脱いだ。そしてあらためてジュリアスの両手をつつむと、


「一緒に戦いましょう。きのこ倶楽部へようこそ!」


 と言った。


 ジュリアスの手は、繊細な顔立ちに似合わず無骨なほどに骨太でがっしりとしていた。彼のあたたかな体温が、ミュリナの両手に伝わる。


「はい」

「ジュリアス様が協力してくれるなんて、とても心強いわ!」

「……ミュリナ様にそう言っていただけて、私も光栄です」

「領地もとなりどうしですし、お互い跡取りどうしですし、折々に交流を重ねていきましょう。フォンティネールの民とエモンティエの民が一丸となって、セレイアを魔物の湧かない国へ変えていきましょう! ああ、希望が見えてきたわ。わたし、とてもうれしいわ!」


 ミュリナがさらに力を込めて、ジュリアスの両手をぎゅっとにぎったそのとき。

 ミュリナの聞こえのいい耳が、かすかな声をとらえた。


 叫び声――。


 遠かったが、おだやかな声ではない。まるで悲鳴のような声だった。


「……ジュリアス様。今、女性の悲鳴のような声が聞こえませんでしたか?」

「悲鳴?」


 ジュリアスは周囲を見回した。あたりに不穏な気配はなく、ときおり冷たい秋風が吹くばかりだ。


「リディアーヌ様ではないですよね。魔物の気配もないし」

「母はもっと奥の森に行っています。この森のはずれには、馬車道が通っていますが……。まさか、山賊でも出たのでしょうか?」

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