第31話「大晦日は二つの月の下で」

 大晦日。

 俺たちは学園近くの神社へ向かっていた。

 吐く息は白く、頭上には二つの月――。

 寒空の下、振る舞いの甘酒から上る湯気が、やけに温かそうだった。


「……うわっ、いってぇ!」


 突然、前を歩いていたケンゴが足を引っ込めてよろけた。どうやら足を踏まれたらしい。


「おい、今踏んだろ! 気をつけなよ!」


 振り返った先にいたのは、目つきの悪い男。

 黒いパーカーのフードをの下から、ケンゴをにらみつけ、フンッと鼻を鳴らした。


「チッ……うっせぇな。ガキはさっさと帰って寝ろよ」


 周囲の空気がピリッとする。

 俺も、いざというときにはケンゴに加勢しようと、足場を確認した。

 その瞬間。


「……あぁ〜ん? あんたさぁ、今なんつったの〜?」


 聞き覚えのある声。

 ふわりと人の波をかき分けて前に出たのは――ティアナだった。

 着物の裾を容赦なくたくし上げ、赤と黒の振袖からすらりと伸びた脚があらわになる。

 さらに右腕の袖を乱暴にまくり上げ、前のめりに男をにらみつけた。


「ガキだって? あぁ? おたく今、ガキっておっしゃった? ティアナちゃんが可憐な振袖姿でおしとやかにお参りしようとしてんのに、何そのガラ悪い台詞~? 大人ぶってイキってるだけの、口先だけの“悪いお兄さん”ごっこですか〜?」


 一気にまくし立てる。

 男が何か言い返そうと口を開く前に、ティアナはもう一歩前に出て、仁王立ちで声を張った。


「いいかよっく聞けっ☆ 初詣ってのは、心を整えて新しい年を迎えるためにあんのっ! 足を踏んだらまずは『ごめんなさい』でしょ! そんな簡単なこともできないくせに、言うに事欠いて“ガキ”だぁ?! それができて初めて“大人”ってやつでしょ☆」


 あたりの人々が少し距離を取り、ティアナを見守っている。

 小さく「ひっく」としゃっくりして、顔の赤いティアナは、さらに、甘酒を飲み干して声を張った。


「『寝ろ』だの『ガキ』だの、そういうのはねぇ、年食っただけの“子ども”の言うことなのっ! 年齢なんて関係ないんだよ、ほんとの“かっこよさ”ってのは、器のデカさと、優しさで決まるのっ!」


 周囲から「よっ! 名調子!」と声がかかる。

 男はまた舌打ちし、何も言い返せないまま、そそくさと人混みに紛れていった。


「おぉ〜っ!」


「よっ、いいぞ! かわいいおじょうちゃん!」


「ありがと~☆」


 周囲から自然と拍手が起き、誰かがティアナにぽち袋まで渡す始末。

 ケンゴは横で苦笑するしかなかった。

 穏便に事が済み、俺もほっと身体の力を抜く。


「……しかし、かわいいおじょうちゃん、か。まあ、見た目だけは確かにかわいいけどな」


「はぁ?! いまティアナのこと、かわいいって言いましたぁ?!」


 背中にものすごい剣幕で体当たりしてきたのは、さっきまで甘酒片手にティアナを心配していたリュシアだった。

 顔は真っ赤、手の甘酒はすでに空っぽだ。


「どうせティアナのほうが素直で可愛いですよぉ! ユウリさんのうわきもの!!」


「うわ! お前、人聞きの悪いことを言うなよ」


「レネ先生のことも、いやらしい目で見てるの、知ってますからねっ!」


「いやいやいや! 酒くさっ! 落ち着け!」


「わたしなんか……どうせ理屈っぽくて、可愛くないですよ!」


 自分で言っておきながら、自分の言葉に傷ついて、リュシアはぐっと涙をこらえた。

 ……が、それも1秒も持たない。

 ライラックの花の色をした両目から、大粒の涙がぽろぽろとこぼれ落ちた。


「あぁもう、コップ1杯の甘酒で、どうしてこんなに酔えるんだセレーネ人は」


「キスも! しました……! でもユウリさんは“事故”って言ってたし……きっとぉ……私のことなんかきらいなんでしょぉ……」


 俺の袖を引っ張りながら、子どもみたいにわんわん泣くリュシア。

 ……あーもう! これはダメだ!


「よし、ちょっと風にあたろうな。ほら行くぞ」


 リュシアの手を引き、人混みから離れる。

 途中、自販機でスポドリを買っている間に、やっと泣き止んだ彼女はとろんとした目で、ふらふらと立ち尽くしていた。


「おい、寝るなよ……って、おい」


 マジで寝た。

 仕方なく、俺はリュシアをおんぶして境内のベンチへ。

 そこに座らせ、横に並ぶように座ると、リュシアは俺の肩にこてんと頭を預けた。


「……すぅ」


 静かな寝息。

 夜空には、月が二つ。

 やっと一息ついて、俺はしばらく月を見上げていた。

 肩にかかる重みと、頬に感じる、彼女の髪の香りが心地いい。

 さっきのセリフ――酔っていたとはいえ、本音だったんだろうか。

 ……まったく、なんでこんなにかわいいんだ。

 胸の奥があたたかくなる。

 俺のこと、好きでいてくれるんだってことが、言葉じゃなく伝わった。


――ゴーン。


 除夜の鐘が鳴る。


「……っん……?」


 その音に、リュシアが目を開ける。

 すぐに姿勢を正したけど、その視線はしばらくふわふわと漂った。

 ゆっくりと焦点が合い、まっすぐに俺を見る。


「ユウリ……さん」


「酔い、冷めたか?」


「え……と。私……何か……変なこと、しませんでしたか?」


「いや、何も」


 思わず笑ってしまう。

 リュシアは少し不安げに、でもどこかほっとした顔で、俺の横に座り直した。

 二人並んで、除夜の鐘を聞く。


「あの……あけまして、……おめでとうございます」


「ああ。あけましておめでとう。今年もよろしくな」


「はい。今年も……よろしくお願いします、ユウリさん」


 人混みから少し離れた池のほとり。

 二人の影が並んで、月明かりで四つの影ができている。

 その影は――俺たちの心みたいに、ゆっくりと近づき、やがて一つに重なった。

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