第23話 乱れる心
陽菜は休憩所離れ、校舎の裏手にある人気のない日陰に駆け込んでいた。
その場にしゃがみこみ、膝を抱える。
頭の中では父の声が何度もこだまのように響いて、感情がぐちゃぐちゃにかき乱されていく。
「なんで……今さら来るんだよ……」
目に溜まった涙が頬を伝い落ちる。拭っても、溢れて止まらなかった。
そのとき──
「あれっ、陽菜?」
顔を上げると、汗をタオルで拭きながら夏希が歩いてきた。
陽菜は咄嗟に涙を拭い、いつもの明るい調子を無理やり作って返す。
「なんだい夏希。……冬馬と一緒じゃないのかい?」
「ううん、さっき陽菜が冬馬と一緒に校舎のほうに向かってたのが見えたから、なんで陽菜だけここにいるのかなって」
「それは……まぁ、いろいろあってさ」
陽菜は笑おうとしたが、その瞬間、こらえていた涙がぽろっとこぼれ落ちた。
「あれ……? 陽菜、泣いてる?」
「い、いや……汗が目に入っただけだよ」
必死にごまかそうとする陽菜だったが、夏希にはもう見抜かれていた。
「
……ねえ、陽菜。何があったの?」
陽菜はしばらく黙っていたが、やがて夏希と並んでベンチに腰を下ろす。
吹き抜ける風が、ほんの少しだけ暑さをやわらげた。
「
……ねぇ、夏希」
「うん?」
「ちょっとだけ、聞いてくれる?」
夏希は静かに頷き、陽菜の方へと身体を向ける。
陽菜は膝に視線を落としながら、ぽつりぽつりと語り始めた。
「
……私、小さい頃ね、本当に父さんのことが大好きだったんだ。
お母さんはいなかったから、父さんが全部やってくれて……朝ごはん作ってくれて、学校に送り出してくれて。夜帰ってき
たら、いっぱい褒めてくれて……“陽菜はすごいな”って、よく言ってくれた」
「
……そうだったんだ」
「その父さんがテレビに出るようになってさ、だんだんかっこよくなって……僕もあんなふうになりたいって思って、いつの
間にか一人称も“僕”になったんだ」
陽菜はふっと笑うが、その笑みに混じるのは懐かしさと、切なさだった。
「でも……父さんが売れてから、家にいない日が増えて。
“会いたい”って言っても、“また今度”ばっかりで。
気づいたら、置き手紙ばっかり残ってて……父さんの姿が見れるのはテレビの中だけになってた」
陽菜はズボンの裾をぎゅっと握りしめた。
「今日……会えたときは、本当に嬉しかった。
でも、誰かに誘われたから来た”って感じがして。私に会いたくてきたんじゃないみたいで嫌だった。それに、私が何回も声
かけても会いに来てくれなかったのにって思ったら、悔しくて、寂しくて、怒っちゃって。なんか、僕今、子供見たいだね」
夏希はそっと陽菜の手に自分の手を重ねた。
「子どもっぽくなんてないよ。陽菜はずっと、お父さんに会いたかったんだよね家族がお父さん1人しかいないなら尚更」
「
……うん。今でも、ちゃんと話したい」
その言葉は、涙で少し震えていたけれど、まっすぐに心から出たものだった。
──そのとき。
「陽菜! 夏希も!」
声のほうを見ると、息を切らしながら冬馬が駆け寄ってきた。
「冬馬……お父さんは……?」
「今日は体育祭が終わるまで残ってくれるって言ってた」
「本当……? よかった……」
「じゃあ、今から話に戻る?」
ほっと息をついた陽菜だったが、すぐに首を横に振った。
「でも、今は……まだ話せない。話したいこと、たくさんあるけど……今のままじゃ、気持ちが全部伝えられそうにないか
ら。放課後、ちゃんと時間を取って話したいんだ」
「
……そっか」
「それに。せっかくの体育祭だし、ちゃんとみんなと思い出を作りたい。笑って終わりたいから」
そう言って立ち上がった陽菜を、夏希が見上げながらぽんと声をかける。
「
……じゃあ、陽菜がもっと頑張れるように勝負しよっか」
「勝負?」
「そう! 最後の結果発表で私たちBチームが勝ったら、私が冬馬とデートする」
「おい、ちょっと待て。俺は何も──」
「今言ったから成立でいいでしょ! じゃあ、Aチームが勝ったら陽菜が冬馬とデート。どう?」
陽菜は少し驚いた顔をしてから、ふっと笑った。
「ふふ、いいかもね。それなら、僕も全力で頑張らないと」
「いやいやいや! 俺の意思はどこに──!」
「冬馬は黙って巻き込まれてなよ」
3人の声が楽しげに響く中、陽菜の顔からようやく曇りが晴れていた。
教室へと戻る足取りは、さっきよりもずっと軽くなっていた。
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