第5話 部屋で2人きりの時間
「じゃあ、始めようか」
「よろしくね」
僕はタブレットとペンを取り出し、陽菜のほうに向き直った。
ペン先が画面に触れると、キャンバスが立ち上がる。
「じゃあ、この画面の子みたいなポーズお願いできる?」
「もちろん」
陽菜は立ち上がると、すっと体を伸ばし、ファッション雑誌の表紙に出てくるようなモデルのように片足に重心をかけ、手を軽く腰に添えた。
姿勢をつくる動きがどこかぎこちなく、それでいて不思議とサマになっている。
「うん、その感じ、いいかも」
僕は視線を何度も陽菜の全身に往復させ、ラフを取りながら、まずは大まかな輪郭を取っていく。
足の角度、首の傾き、そういった一つひとつに、陽菜らしさが宿っている気がした。
いつもは制服でポーズをとってもらっていたけれど、今日は私服だ。
シンプルなTシャツに、光を受けてかすかに影が現れる、シャツを引き立たせるようなダボっとしたズボン、それもいいバランスを作り出していた。
服に余裕があるぶん、輪郭が少しあいまいになっていて、描き手としては観察力が試される。
服と陽菜の雰囲気がマッチしていて制服とはまた違った彼女がそこにはあった。
その凛とした立ち姿が、僕にはとても魅力的に見えた。
ペンがいつもより早く進む気がする。
肩のライン、肘の角度、服の柔らかな曲線。
目を細めて、彼女の立ち方を目でなぞる。
僕は、最近モデルをしてもらうようになってから、相手をちゃんと見るようになったと思う。
ただ形を捉えるんじゃなくて、表情や佇まい、少しの緊張まで描こうとするうちに、自然と目が鍛えられてきた。
陽菜の表情も、最初のころに比べてずいぶん落ち着いてきた。
恥ずかしさもあるだろうけど、慣れてきたのもあってリラックスしているように見えた。
(落ち着いくれるのが、ちょっとだけ嬉しい)
「よし、一旦ポーズやめていいよ」
陽菜が軽く腕を下ろして、ふうっと息を吐いた。
「冬馬、意外とポーズとるのにも慣れてきたんじゃない?」
「だね。前は少し震えてた気がするけど、今は落ち着いて見えるよ」
「それに、今日は描くの早かったね」
「うん、デジタルだからね」
タブレットの画面には、陽菜のポーズをとった姿がラフの状態で描かれている。
まだ色は乗っていないけれど、表情や雰囲気は、そこそこ出ている気がした。
「陽菜、一回描いてみたけど、、やっぱり二次元っぽくなるから、目とかこういう風になるけど、いいかな?」
僕は画面を軽く傾けて陽菜に見せる。
二次元の絵特有の、少し大きめな瞳、整った輪郭、そしてほんの少し理想化された微笑。
「うん、そこは僕もわかってる。君が描く“僕”で表現してくれるのが、見たいんだから」
陽菜のその言葉に、胸の奥がほんのり温かくなる。
こうしてモデルになってもらい、言葉を交わし、絵を通して向き合うこと——
少し照れくさいけど、悪くない。
その後も話しながら、線画を進めていく。
腕のバランス、肩のライン、視線の向き。
筆圧を調整しながら、一つひとつ仕上げていく。
陽菜にモデルを頼んで少し経った。
あれから、結構絵を描くのが楽しくなってる。
うまく描けるってのがあるが、それ以上に書いている途中の会話や雰囲気が好きだった。
「今日はここまでかな〜」
僕はタブレットを机の端に置き、ぐっと腕を伸ばして背筋をほぐす。
陽菜も立ち上がり、何かを取りに行く様子でキッチンのほうへ向かった。
数秒後、湯気の立つマグカップを一つ持って戻ってくる。
「お疲れ様。これ、紅茶。息抜きにちょうどいいんだよ」
机の上に置かれたカップからは、ほんのり甘い香りが立ちのぼる。
カモミールか、それともハーブ系の何かだろうか。
普段あまり紅茶は飲まないけれど、香りだけで癒される。
「確かに、美味しそうだな」
僕は自然にカップを手に取り、口をつけた。
その瞬間、向かいの陽菜の表情が一瞬で変わる。
目を丸くし、頬が一気に赤くなっていく。
「そっ、それ、、僕のカップだったんだけど!」
「えっ!? あっ、ごめん!全然見てなくて!」
俺は今置かれたカップではなく元々置かれていたカップを手に取ってしまったらしい。
慌てて手にしていたカップをそっと置くと、陽菜はそれを受け取って小走りで部屋を出ていった。
たぶん、気まずさと恥ずかしさで逃げたんだと思う。
(、、また、変な空気になっちゃったかな)
戻ってきた陽菜は、少し照れたような表情をしながらも、先ほどよりは落ち着いていた。
新しいカップを手にして、言った。
「ごめん、取り違えた」
「いや、僕もちゃんと聞いておけばよかった」
「うん、まあ、、そうだな」
会話がふと止まり、微妙な沈黙が部屋に落ちる。
紅茶の湯気だけが、静かに立ち上っていた。
「、、そろそろ俺、帰るね」
僕は立ち上がり、タブレットを片付け始める。
ペンとスタンドも専用ケースにしまって、バッグの口を閉じる。
「えっ、ああ、もうそんな時間か」
陽菜は壁に掛けられた時計を見上げる。
小さくうなずいて、名残惜しそうにカップを持ち直す。
「そういえば晩御飯は?」
「残り物があるから、自分で食べるよ」
「そっか、、じゃあ、気をつけて」
靴を履き、玄関のドアノブに手をかけたとき、背後から声が聞こえた。
「待って、冬馬!」
扉を開けかけた手を止めて、振り返る。
「僕の絵を描いてくれたのは嬉しいけど、、絶対、徹夜はしないこと。わかった?」
その声は真剣で、少しだけ不安を含んでいた。
たぶん、この前の僕の一言を覚えていたんだ。
「わかったよ。気をつける。また来週ね」
「うん、またね、、冬馬」
扉をゆっくり閉めて、玄関の明かりが背後で消える。
夜風が少しだけ肌に触れて、歩き出す足元に、淡い光が差す。
(そういえば、、陽菜、あのとき“衣装”って言ってたよな)
(でも、見せてもらったのは私服だった)
(あれが、陽菜にとっての“衣装”だったってことなのか?)
考えても答えは出ない。
だから早々にその思考を手放し、頭の中で絵の構図を組み直すことにした。
冬馬が帰ったあと——
僕はしばらく、部屋の中をぼんやりと眺めていた。
冬馬が座っていたカーペットの上に腰を下ろす。
そこにはまだ、彼の体温が残っている気がした。
「冬馬、真剣に見てくれてたな、、」
目を閉じると、描いている間の彼の視線が浮かんでくる。
静かで集中していて、それでいてどこか優しい。
僕を“モデル”として見るんじゃなくて、僕という存在ごと見てくれているような、そんな目だった。
「、、半ば強引に誘った気もするけど、楽しんでくれたよね?」
私は立ち上がってクローゼットを開け、奥の方へ手を伸ばす。
そこにあったのは、試着しただけで結局着なかった“衣装”
。
ひらりと揺れるフリルがついたドレス、いかにも女の子が着る服だった。
「これ、着なくてほんとよかった、、」
鏡の中の自分を想像してみる。
この格好で冬馬の前に立っていたら、恥ずかしくてたぶん、何もしゃべれなかったと思う。
「でも、、冬馬なら、ちょっと見てもらいたいって思ったのも本当なんだよね」
不思議と、冬馬にはそういう気持ちを抱いてしまう。
クラスの友達とは違う。
いつの間にか、私は彼の視線が好きになっていたのかもしれない。
「なんでこんなに考えてるんだろ、、」
ベッドに飛び込んで、枕に顔を埋める。
それでも頭の中には、さっきまで隣にいた彼の姿が、焼きついて離れなかった。
「、、冬馬のこと、もっと知りたいな」
そう思ってしまったことを、自分でごまかすように目を閉じた。
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