第3話 陽菜とのバイト

バイトを始めて、一週間が過ぎた。

陽菜とは教室でほとんど会話を交わすことはない。それでも、彼女の人気ぶりは相変わらずだ。

声をかけるつもりなんて、これっぽっちもない。

今日も俺は、窓際の席で空をぼんやりと眺めていた。

「おーい、冬馬」

突然声がかかって振り向くと、翔太が机の上から身を乗り出していた。

「なんだよ、朝っぱらから、、。眠いんだけど」


「そりゃそうだよな。どうせ、徹夜で絵の色塗ってたんだろ?」


「、、え、怖。なんでわかるんだよ」


「お前、目の下にクマできてるし。クマがある時って、だいたい徹夜した時だけだろ。で、徹夜の理由は──絵以外にある?」


「正解です。終わり近かったから、ラストスパートかけてました」


「じゃ、完成した絵がこちらです」


そう言って翔太は、スマホの画面をこちらに向けてきた。朝アップしたばかりの、あのイラストだ。

「ちょ、お前、、なんで見てるんだよ」


「俺、結構好きだからな」


ドヤ顔を浮かべる翔太。


「俺の絵のファンなのかよ、、」

呆れ半分、でも心の奥では不思議と嬉しさがこみあげてくる。

地味な存在と思われているだろうが、まあ、悪くない。

絵の構想を練ったり、本を読んだり。

そんな静けさを破るように、陽菜が声をかけてきた。

「ねえ、綾井くん」

「な、何? 高碕、、」

名前を呼んだ途端、あのちょっとだけ怖い笑顔を向けられる。

一人の時間は、俺にとってかけがえのない宝物だ。

「陽菜、でしょ?」


「、、はい、陽菜さん」


「よろしい。提出物、回収しに来たんだけど」 


ぞわっと背筋に冷たいものが走る。


「それって、、今日までだったよね?」


「もちろん。だから今集めてるんだよ」


急いでカバンから提出物のワークを取り出すが、中を開くと、肝心のページが見事に真っ白。


「ご、ごめん、、完全に忘れてた、、」


「はぁ、、。じゃあ、自分で職員室に出してよね」

言い残して、陽菜はすっと教室を出ていった。

「お前、大丈夫かよ。あの先生、期限にめっちゃ厳しいぞ。内申に響くって」


「放課後、急いでやるよ」 


「眠いのに?」


「徹夜明けで逆にハイになってるから、いける、、」

そう言った瞬間、思い出した。

──今日は陽菜とのバイトの日だった。

でも、もう仕方ない。提出物優先だ。

俺は陽菜に「今日は提出物があるので休ませてください」と連絡を入れた。

放課後、いつもの教室で早速取りかかるものの、相手は苦手な数学。2ページ進めたところで、

あっさりダウン。


「終わらね~~~よ~~~」


机に突っ伏してひとりごちていると、ガラガラ、と教室の扉が開いた。


驚いて振り返ると、そこには──陽菜がいた。


「えっ、陽菜? なんでここに、、?」


「君が提出物、学校でやるって聞いたから」

「え、わざわざ?」

「、、来ないほうがよかった?」

「いえ、お願いします、ぜひ、いてください!!」

陽菜は席に座り、参考書を広げた。


彼女は成績も優秀で、特に数学には強い。


「確か、冬馬くんって数学苦手だったよね?」

「なんで知ってるんだよ、、」

「だって、授業中に当てられた時、ほとんど間違えてるもん」

「嫌な印象の残り方だな、、」


でも、陽菜の説明は丁寧でわかりやすかった。ひとりで苦しんでいたのが嘘みたいに、作業はど

んどん進んでいく。

冬馬が書き終えていない時に、陽菜のシャーペンがすっと動く。

冬馬の手元へ身を寄せながら、式の途中をさらりと直していく。

「、、ここ、符号。プラスじゃなくて、マイナス」

そう言ってシャーペンを置いたその瞬間――

ふいに、指先が触れた。

ほんのわずか、ペンを置く位置をずらす陽菜の指と、ページをめくろうとした冬馬の手が、重なった。

ふたりとも、わずかに止まる。

小さな間が生まれた。

陽菜のまつげが、かすかに揺れた。

触れた手を引こうか、迷ったように動きかけて

でも、そのまま。

ほんの数秒だけ。

指先同士が、重なっていた。

視線をそらすでもなく、

見つめ合うでもなく、

ただ、静かな空気がふたりを包んだ。

「ちょっと、指当たってるんだけど?」

「ああ、悪い」

そう言って、すぐに離れると陽菜の表情が少し曇った気がした。

「別に、そんな慌てて離さなくてもいいのに」


「いいだろ。別に」


「あっ。そっか、変に意識しちゃったんだね」


そう言ってくすくすと笑っている顔がどうもイラッとしたがどこか普段は見せない陽菜が見えた気

がして意識してしまった。


「ほら、終わらなくなるから進めるぞ」


「それ、教えてもらう人が言うセリフかな〜」 

「うるさい」

その後、なんとか終わらせ、提出も完了した。

「終わった~~~、、」


下校時刻までは、まだ少し時間があるが放課後で眠たかったため一気に疲れが押し寄せてきた。

俺は机に突っ伏したまま、心の中でつぶやく。

(、、ほとんど陽菜のおかげだ)

「そういえば、ありがたかったけど。

どうして、わざわざ教えに来てくれたんだ?」

「それはね──ちょっと、聞きたいことがあって」

「聞きたいこと?」

陽菜はスマホをこちらに向けた。

画面には、俺が作品を投稿しているイラストサイトが映ってい

る。

「君、このサイトに載ってるよね?」

「、、まあ、一応」

「なんて名前で描いてるの? 冬馬のイラスト、見てみたいんだけど」

一瞬で、眠気も疲れも吹っ飛んだ。

だけど──見せられるわけがない。

昨夜アップしたイラストの元ネタは、陽菜に頼んで取ってもらったポーズ。それに、ちょっと衣装も攻めていた。

「いや〜、ちょっとそれは、、」

「見せられないってことは、、つまり、僕の体を見て、あんなことやこんなことを、、!」

陽菜の顔が、見る見るうちに真っ赤になる。

「ち、違う! そんなことじゃない! 本当に変な目的で描いたわけじゃないから!!」

「ほんとに?」

「ほんとです!!」

観念した俺は、スマホを手渡した。

「どうぞ、、。引いてくれ。気持ち悪いって言ってくれ、、」

陽菜は、じっと画面を見つめる。

「これ、、この前、僕が取ったポーズだよね?」

「そうだけど、不満、、でしたか、、?」

「ううん。ちょっと驚いたけど、こんなに上手に描けるなんて、すごいと思うよ」

「ほんと、、? よかった。嫌われなくて、、」

「でもね──」

陽菜は、画面の中のキャラの胸元を指差した。

「この子、僕よりちょっと盛られてるよね?」

「えっ、、」

確かに、陽菜の胸は控えめに言って大きいと言えない。

しかし、2次元の絵だったし、元の模写くらいしか見せないと鷹を括っていたのが仇となってしまった。

「僕だって、多少はあるんだからな、、」


「ほんっっっっとうに申し訳ありませんでした!!!」


俺は、勢いよく頭を下げた。

「ちょっと盛ったのは事実。でも、ここまで気にするとは思わなかったんだ、、」

「だったら、また反省として僕の言うこと聞いてくれる?」

「な、なんなりと!!」

何が言われるのかはさっぱりわからなかったが怒らせてしまった以上モデルを辞めてしまうのか

もしれないなら、今の少しの犠牲を払ってでもこの関係は守りたかった。

「この子に負けない僕の絵を、描いてくれない?」

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