第10話
俺は、まるで聖書のように辞令を胸に抱きしめ、目の前の美しい上司に感謝と尊敬の涙を流していた。
俺の、この、誰にも理解されなかった歪んだ欲望が。
ただひたすらに女の子を「気持ちよくさせたい」「恥ずかしがらせたい」という、この純粋な煩悩が、正式に認められたんだ。
これ以上の喜びがあるだろうか。
「ふふっ、嬉しい?」
サヤカさんは、そんな俺の姿を、心底愛おしそうに、そして、これから調理する極上の食材を見るかのように、妖艶な笑みで見つめていた。
彼女は、俺の涙を拭うでもなく、ただその濡れた瞳をじっと観察している。
「うふふ、正直でよろしい。まるで、初めてご主人様に褒められた、忠実な子犬のようだわ。そんなに純粋な反応をされると……意地悪したくなってしまうじゃない」
その声は、先ほどまでの女王のような響きとは違う。
ねっとりと、鼓膜に絡みつくような、甘い、甘い蜜の声だった。
サヤカさんは、ゆっくりとした、しかし一切の無駄がない優雅な足取りで、俺との距離を詰めてくる。
ヒールのコツ、コツ、という音が、やけに大きく部屋に響く。
彼女が近づくにつれて、部屋に漂う甘くスパイシーな香りが、俺の思考を鈍らせるように濃くなっていく。
喜びで高鳴っていたはずの心臓が、今度は別の理由で、警鐘のように激しく脈打ち始めた。
なんだ?
この威圧感は……。
全身の肌が粟立つようだ。
サヤカさんは、俺の目の前でぴたりと足を止めると、その完璧な微笑みを浮かべたまま、俺の顔を覗き込んできた。
「さて、昇進のお祝いに、私から君に『ご褒美』をあげましょう」
「ご、ご褒美、ですか……?」
「ええ。幹部としての、最初の……そうね、『適性検査』とでも言っておきましょうか」
彼女は、ふっと俺の耳元にその美しい唇を寄せた。
生温かい、甘い吐息が、俺の耳朶を直接撫でる。
「ひゃっ!?」
情けない声が出た。
全身の鳥肌が、ぶわっと逆立つ。
「君はいつも、女の子を『与える』ことばかり考えているようだけど……」
彼女の囁きは、もはや悪魔の呪文だ。
「……真の支配者になるためには、その逆……『与えられる』側の気持ちも、深く、深ぁく、理解しなくては、なれないと思わない?」
その言葉の意味を、俺の脳が理解するよりも早く、彼女の指が、俺の身体に触れた。
ひやりと冷たい、長い指。
それが、俺のスーツの肩口に置かれる。
ただ、それだけ。
それだけなのに、俺の身体は、まるで金縛りにあったかのように、ぴくりとも動かせなくなった。
「あら、緊張しているの? 可愛いわね」
サヤカさんの指は、俺の肩から首筋を、そして喉仏を、まるで獲物の急所を確かめるように、ゆっくりと、ねぶるように這っていく。
俺の喉が、ごくりと鳴った。
「さ、サヤカ、さん……あの……」
「しーっ。今は、私が『上司』で、君が『部下』。私が『教師』で、君が『生徒』。私が『調教師』で、君が……『被験体』よ」
彼女の指は、俺の胸元へとたどり着いた。
そして、ワイシャツの一番上のボタンに、するり、と触れる。
コツン、と彼女の爪がボタンに当たる硬質な音。
次の瞬間、いとも簡単にボタンが外され、俺の首元が無防備に晒された。
「ひっ……!」
サヤカさんの指が、晒された俺の鎖骨の窪みを、なぞるように滑る。
ぞくり、と背筋に電流のような快感が走り、俺の呼吸が浅くなる。
「すごい心拍数ね。正直な身体。君が妄想の中で女の子たちにしてあげていること……今度は君が、私の手でされる番よ」
彼女のもう片方の手が、俺の腰に回され、ぐい、と強く引き寄せられる。
抵抗できない。
俺と彼女の身体の間に、もはや隙間はなかった。
柔らかく、しかし圧倒的な弾力を持つ彼女の胸が、俺の胸板に押し付けられる。
「君の身体は、どんな風に『開花』するのかしら。どんな声で鳴いてくれるのかしら。私、今から楽しみで仕方がないわ」
彼女の手が、俺の頬を包み込むように添えられる。
そして、親指の腹が、俺の下唇を、ぬるり、と いやらしくなぞった。
「んんっ……!」
もうだめだ。逃げられない。
いつもは溢れ出して止まらない俺の変態的な妄想は、完全に鳴りを潜め、脳内は真っ白。思考能力はゼロ。
目の前の、絶対的な捕食者を前に、俺は、蛇に睨まれた蛙のように、ただ震えることしかできなかった。
サヤカさんは、そんな俺の絶望しきった顔を見て、心底満足そうに微笑むと、名残惜しそうに、ゆっくりと身体を離した。
「ふふっ、今日の検査はここまで。続きは、また今度のお楽しみ、ね」
彼女は、一瞬にして完璧な上司の顔に戻ると、俺に背を向けた。
「では、明日の朝、君のデスクに最初の『幹部として』の仕事を用意しておくわ。遅刻しないようにね」
俺は、返事もできずに、夢遊病者のように執務室を後にした。
廊下に出て、冷たい壁に背中を預け、ずるずるとその場にへたり込む。
心臓はまだバクバクと鳴り響き、彼女に触れられた箇所が、服の上からでも異常なまでに熱い。
やばい。
俺は、とんでもない怪物の懐に、自分から飛び込んでしまったのかもしれない。
魔法少女よりも、ずっと、ずっと恐ろしくて……そして、抗いがたいほどに、魅力的な――。
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