第3話 神獣咆哮!初陣は狛犬パニック!?
ミコトとの秘密の同棲生活が始まって二週間。まどかの日常は、まるで別世界の物語を生きているようだった。学校では、ごく普通の高校生として授業を受け、友達と他愛ないおしゃべりを楽しむ。しかし、家に帰れば、神の眷属であるミコトとの「契約花嫁」としての生活が待っていた。彼の完璧な生活能力に気後れし、胸の奥では「恋はしてはいけない」という契約の呪縛と、それでも惹かれていく心との間で葛藤を続けていた。
そんなある日の放課後、まどかのスマホがけたたましく鳴った。表示されたのは、ミコトからのメッセージアプリの通知。「至急、屋上へ」。いつもクールな彼からの、普段とは違う緊迫したメッセージに、まどかの心臓はドクンと跳ねた。何が起こったのだろう。
屋上に駆けつけると、すでにミコトが一人、校舎の向こうに広がる街を見下ろしていた。その横顔は、いつになく真剣で、どこか焦りを滲ませているようにも見えた。
「来たか、まどか」
彼が振り返った時、まどかは彼の瞳の奥に、強い使命感と、微かな不安の色が混じっているのを感じた。
「あの…何かあったんですか?」
まどかの問いに、ミコトは手にしたタブレットの画面を向けた。そこには、まどかがいつも通っていた、地元の神社の写真が映し出されていた。しかし、写真の中の神社は、見るも無残な姿に変貌していた。鳥居は砕け散り、拝殿の屋根は崩れ落ち、そして、境内の中心には、信じられないほど巨大な影が蠢いている。それは、普段見慣れた狛犬の姿をしていたが、禍々しいオーラを放ち、見る者を圧倒する威圧感を放っていた。
「“災いの神獣”が現れた。最初の任務だ」
ミコトの声は、低い。彼の言葉に、まどかの背筋に冷たいものが走った。神獣。それは、彼との契約結婚の理由であり、同時に、まどかが最も恐れていた未知の存在だ。
「あれが、神獣……?」
まどかの視線は、写真の巨大な狛犬に釘付けになった。普段は石像として静かに鎮座しているはずの狛犬が、今や生き物のように暴れ、破壊の限りを尽くしている。
「あの狛犬は、古くからこの土地を守護してきた眷属だが、何らかの理由で、負の感情に囚われ、暴走を始めたようだ。このままでは、街全体が危険に晒される」
ミコトはそう言って、タブレットを鞄にしまい、まどかに視線を向けた。
「行くぞ。覚悟はいいか、“封印の花嫁”」
その言葉に、まどかの心臓が大きく跳ねる。覚悟? そんなもの、できているはずがない。昨日まで、友達と恋バナに夢中だった平凡な女子高生が、いきなり神獣と戦うだなんて、冗談にもほどがある。足がすくみ、体が震える。けれど、ミコトの真剣な瞳を見ていると、ここで逃げ出すことなどできない、と強く思った。
「は、はい…!」
まどかの震える声に、ミコトは何も言わず、ただまっすぐにまどかを見つめ返した。その視線に、まどかは不思議と勇気をもらった気がした。
タクシーを拾い、神社へと急行する。街はすでにパニック状態だった。けたたましいサイレンの音が鳴り響き、人々は悲鳴を上げて逃げ惑っている。普段は賑やかな商店街も、シャッターが下ろされ、人気がない。まどかは、この異常な光景に、自分が本当に現実ではない世界に足を踏み入れてしまったことを実感した。
神社に近づくにつれ、轟音と地面の振動が強くなる。狛犬の神獣は、まるで生きているかのように咆哮し、巨大な石の拳で周囲の建物を粉砕していた。その姿は、あまりにも恐ろしく、まどかの膝がガクガクと震え始めた。
「怖い…!」
思わずそう呟くと、ミコトがまどかの手を取った。その手は、冷たく、そして力強かった。
「大丈夫だ、まどか。僕が守る。それが契約だから」
彼の言葉は、まどかの心の奥底に響いた。その声には、確かに信頼と、そして微かな温かさが含まれているように感じた。その温かさに、まどかの胸は、少しだけ軽くなった。
境内に足を踏み入れると、破壊された鳥居の残骸が散乱し、砂埃が舞っていた。狛犬の神獣は、依然として暴れ狂っている。その体からは、黒い靄のようなものが噴き出し、周囲の空気を歪ませていた。
「あれは、負の感情の塊だ。人の憎しみ、悲しみ、絶望…そういったものが、神獣をさらに暴走させている」
ミコトはそう言って、冷静に神獣の力を解析し始めた。まどかの手を取り、狛犬の動きに合わせて、境内を移動する。彼の動きは無駄がなく、まるで熟練の戦士のようだった。
「まどか、君の霊力で、神獣の動きを一時的に封じる。その後、僕がとどめを刺す」
ミコトの指示は明瞭だった。しかし、霊力。まどかには、自分の体にそんな力が宿っているなど、想像もできなかった。
「で、でも、私、どうすれば…?」
戸惑うまどかに、ミコトはまっすぐに視線を向けた。
「信じるんだ、まどか。君にはその力がある。僕を信じて、君自身の力を解き放つんだ」
彼の言葉が、まどかの胸に深く響く。信じる。彼の言葉を信じるしかない。まどかは、ゆっくりと目を閉じ、自分の心の奥底に意識を集中させた。
その瞬間、まどかの心の中で、何かが弾けるような感覚がした。それは、温かい光のようなものだった。目を開けると、まどかの手から、淡い光が放たれているのが見えた。その光は、ゆっくりと狛犬の神獣へと向かっていく。
「いけ、まどか!」
ミコトの声が、まどかの背中を押した。まどかの意思とは関係なく、その光は狛犬の神獣を包み込み、まるで石化したかのように、その動きをぴたりと止めた。
「すごい…!」
まどかは、自分の力の覚醒に驚きを隠せない。しかし、神獣の動きが止まったのはほんの一瞬だった。狛犬は、まどかの光を弾き飛ばすかのように咆哮し、再び暴れ始めた。その攻撃は、先ほどよりもはるかに激しく、まどかとミコトへと向かってくる。
「くっ…! 想定よりも、神獣の力が強い…!」
ミコトは、狛犬の攻撃を受け止めながら、苦しげに顔を歪ませた。まどかの力が、まだ不完全なのだ。彼の腕に、深く傷が刻まれる。まどかの心臓は、恐怖と、そして彼を傷つけてしまった後悔で、激しく波打った。
「ミコト!?」
まどかが叫んだ瞬間、狛犬の巨大な爪が、まどかを狙って振り下ろされた。避けられない! そう思った時、ミコトがまどかの前に飛び出し、身を挺してまどかを庇った。彼の背中に、狛犬の爪が深く食い込む。
「ミコトッ!!!」
まどかの悲痛な叫びが、境内に響き渡った。ミコトの体から、血が流れ落ちる。まどかは、その光景に、全身の血の気が引くのを感じた。自分のせいで、彼が傷ついた。恐怖と、罪悪感と、そして、彼を守りたいという強い思いが、まどかの心を駆け巡る。
その時、まどかの体の中から、これまで感じたことのない、強大な力が溢れ出すのを感じた。それは、ただの霊力ではない。ミコトを傷つけられたことへの怒り、彼を守りたいという純粋な願い。それらが混じり合い、まどかの全身を駆け巡った。
まどかの瞳から、淡い光が放たれる。その光は、ミコトの傷口を包み込み、ゆっくりと癒していく。ミコトが、驚いたようにまどかを見た。
「これは…! まどか、君の力が…」
ミコトの声には、驚愕と、そして微かな希望が宿っていた。まどかの両手から、眩いばかりの光が溢れ出す。その光は、狛犬の神獣へと向かっていく。それは、ただの霊力ではない。まどか自身の、ミコトへの、そしてこの世界への、純粋な想いの力だった。
「ミコトを…傷つけさせない…!」
まどかの心からの叫びが、光となって狛犬の神獣を包み込んだ。狛犬は、苦しげに吠え、その巨体をねじらせる。しかし、まどかの光は、その暴走を完全に封じ込めていく。
「いまだ、ミコト!」
まどかの声に、ミコトは迷わず動いた。彼の手に、神聖な光が集束される。そして、その光を狛犬の神獣へと放った。まどかの力で動きを封じられた狛犬は、為す術もなく、ミコトの光に飲み込まれていく。
狛犬の神獣は、激しい光を放ちながら、ゆっくりと光の粒子となって消滅した。その場には、破壊された神社の残骸と、砂埃だけが残された。
まどかの体から力が抜け、その場にへたり込んだ。ぜいぜいと肩で息をする。体は疲労困憊だったが、心には、達成感と、そして温かいものが残っていた。
ミコトが、ゆっくりとまどかに近づいてきた。彼の腕の傷は、まどかの力で完全に癒えていた。ミコトは、まどかの隣にそっと座り、まどかの肩に手を置いた。
「よくやった、まどか」
彼の声は、これまでのどんな時よりも、温かく、そして優しかった。まどかの目から、大粒の涙がこぼれ落ちる。恐怖と安堵、そして、ミコトへの感謝の涙だった。
「私…私、怖くて…でも、ミコトが…」
まどかは、嗚咽混じりにそう呟いた。ミコトは何も言わず、ただまどかの肩を優しく抱き寄せた。その温かい腕が、まどかの体を包み込む。彼の体から伝わる温もりが、まどかの心をじんわりと満たしていく。
「君の霊力は、僕の想像をはるかに超えていた。特に、僕を守ろうとした時の力は…」
ミコトはそう言って、まどかの目をまっすぐに見た。その瞳には、深い敬意と、そして、契約だけでは語れない、複雑な感情が宿っているように見えた。
「僕との契約によって、君の隠された霊力が目覚めたんだ。そして、僕と君との“絆”が、その力を最大限に引き出した」
「絆…」
まどかは、ミコトの言葉を反芻した。確かに、狛犬の神獣を封印できたのは、一人では不可能だった。ミコトの冷静な判断力と、まどかの霊力。そして、互いを信じ、守ろうとした心が、一つになったからこそ、成し遂げられたのだ。
「これで、君は名実ともに“封印の花嫁”だ」
ミコトが、まどかの髪を優しく撫でた。その指先から伝わる温かさに、まどかの心は、これまでのどんな時よりも大きく揺さぶられた。
初めての共同作業。命がけのミッション。そして、互いを守ろうとしたことで生まれた、確かな「絆」。その全てが、二人の距離を、目に見えない形で、しかし確実に縮めていた。まどかの心は、彼への「恋」の感情が、より一層深く根を張っていることを自覚する。しかし、それは同時に、「恋は禁止」という契約の呪縛を、さらに重くするものでもあった。
破壊された神社には、夕焼けの光が差し込み始めていた。荒れ果てた境内に、二人の影が寄り添うように伸びる。これから、二人はもっと多くの神獣と戦い、もっと深い「絆」を育んでいくのだろう。しかし、その先に待ち受けるのが、運命の始まりなのか、それとも契約の終わりなのか。まどかの心は、期待と不安が入り混じったまま、隣に立つミコトの温もりを感じていた。
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