第50話 港は賑やかに、彼女は静かに
綾羅の外れにある港は、早朝から様々な人でごった返していた。
行商人が木箱を積み下ろし、旅人は荷を背負って乗船の列に並んでいる。
くんと鼻を鳴らすと潮の香りが抜けていき、頭上では海猫が甲高い声を上げて大きく旋回していた。
その喧騒の中、ひときわ目を引くのが桟橋に停泊しているギルドの大船だった。
全長は小さな館ほどもあり、魔力動力で回るらしい外輪と、予備の白い帆を備えている。
木造でありながら鉄の帯で何重にも補強され、甲板には紫色の火のランプが並んでいた。
穏やかな波や、時折吹く潮風を受けて、心地よく軋む船体の音が、これから始まる旅を告げているように聞こえた。
まさに絶好の航海日和……ではあるんだけど、私の隣にいる紅月の顔色を見るに、どうやらそうでもないようだ。
「おはよう」
彼女の目を見て挨拶をする。
「……おはよう」
視線は返してくれないが、どうやら挨拶は返してくれるようだ。
ただなんというか、心ここに在らずといった印象を受ける。
これは私に対する敵意というよりはまた違ったもの。
例えるなら、自分はかけそばを食べているのに、隣で天ぷらそばを食べられているような感じ。
何かが気になってしょうがないといった感じだ。
「あねごー!」
遠くのほうから嫌な呼び名が聞こえてくる。
見ると、須貝組総出……というわけではないが、
手にはなぜか横断幕のようなモノが握られており、そこには〝いってらっしゃい〟とポップな字体で書かれている。
「姉御、すみません!」
「へ? 何が?」
突然、鰤里が頭を下げてきた。
それに倣うように、他の構成員たちも頭を下げていく。
「見送り、少ないって思ったっすよね」
「いや、まぁ……」
べつに今生の別れってわけじゃないんだし、人数に関しては特に気にしてはいなかった。
……といえば嘘になるが、なにより須貝さんの姿がないのは気になっていた。
「あの……じつは……言い訳っぽくなるっすけど、ヒマなのが俺たちしかいなかったんす」
「あぁ、なるほど」
考えてみれば、そりゃそうだ。
鉄級でくすぶっていた須貝組も今は昔。
銅級に昇級したおかげで、いろいろな手続きやら新規の依頼やらで忙しいのだろう。
そしておそらく、ここに集まってくれている皆も私の手前
「
「あの人らしいね」
「はい。それとこれ……」
鰤里はそう言うと、見覚えのある巾着袋を差し出してきた。
「これ、私が毎回、ギルドから受け取ってた袋だ……」
「組長から姉御にと」
まさかと思い袋の中を見てみると、そこには金貨が数枚入っていた。
丹梅国の物価はわからないが、白雉国だと二か月くらいは、何もしないで暮らせる額だ。
「いや、受け取れないよ、こんなの」
「言うと思ったっす。……組長からは姉御が受け取らなかったら、そのまま海に投げ捨てて来いって言われてるんすよ」
「えぇ……そんな無茶苦茶な……」
「だからどうぞ。俺
「たち? それじゃあ、もしかしてこのお金……」
鰤里は何も言わず、私の顔をまっすぐ見てきた。
ほかの皆も、一様にいつになく穏やかな顔で私を見てくれている。
「そっか……本当は私が代わりに投げ捨てようと思ったんだけど――」
「ええ!? じ、冗談っすよね……」
もちろん冗談だが、私は否定も肯定もしなかった。
すこし照れくさかったのかもしれない。
まぁどのみち、みんなの気持ちだと言われて断る事なんてできるはずもない。
「うん、ありがとう。ありがたくいただいておくよ」
私はななめにかけていた風呂敷をほどくと、丁寧にその中に巾着袋を入れ、再び背負いなおした。
「あ、あの……姉御?」
鰤里がなにか、遠慮がちに声をかけてきた。
一体なにを警戒しているのだろう。
もしかして、本当に私が海に投げ入れるとでも思っているのか。
「荷物、それだけなんすか?」
彼が指さしたのは私愛用の風呂敷だった。
木綿の生地だから丈夫で、そこそこ大きいからなんでも包めるのだ。
それになんといっても、この唐草模様がすごく可愛い。
現在はハンカチと青竹でできた水筒、銅級のライセンスにがま口財布、もっさんから託された万年筆と、さっきもらった巾着袋が入っている。
「え……これ、十分じゃない?」
私がそう答えると、鰤里をはじめ、他の構成員が一斉にざわつく。
なんだなんだ。
もしかして私、またなんかやっちまったのか。
「……散歩にでも行くつもりっすか」
「いや散歩て」
これから外国へ行くんだが?
と思わず鼻で笑ってしまったが、如何せん前の世界でも外国へ行ったことがないため、基準がよくわからない。
けど、散歩と言われれば……たしかに軽装が過ぎる気が……しなくもない。
だがかえって、あれやこれやと持って行っても邪魔になるだけ。だから――
「必要なものは現地調達すればいいかなって」
「ま、まぁ、姉御がそれでいいなら……」
なんか引かれてないか、これ。
こんなものが旅立ちの日の朝の、爽やかな空気なのか。
そんなやり取りをしていると、桟橋のほうから船員の声が響いた。
「これより乗船を開始します! 冒険者の方は
列の先頭にいた旅人が次々と橋板を渡り、船内へと足を踏み入れていく。
ギルドの船ということもあり、てっきり冒険者しか利用しないのかと思ったら、一般の人もいるみたいだ。
服装もそれぞれ、人種もそれぞれ。
裕福そうな人もいれば、背中に大荷物を背負い、顔を隠した僧侶のような男性もいる。
「じゃあ……みんな、行ってくるね」
私は再び彼らに向き直ると、ひらひらと軽く手を振り、列に加わろうとした。
――が、彼らは一斉に両手をひざにつき、私に対し深々と頭を下げた。
「姉御! いってらっしゃいませ!」
「お気をつけて!」
「どうか! お達者で!」
野郎どもの野太いがなり声が港に響く。
当然、他の人たちの好奇の視線も自然に集まってくる。
結局、こいつらは最後までこの調子か。
いつものように他人のふりを決め込むのもいいけど――
「う、うん……ありがとう……ね……」
私は観念して、その声援に応えることにした。
表現の仕方はともかく、彼らは彼らなりに私を快く送り出そうとしてくれている。
恥ずかしいからといって、それを無碍にしていいはずがない。
……けど、いい加減そういうのはやめようよ。
ややあって、列の流れに合わせて私も歩き出し、ふと振り返ると、紅月も無言で後ろに付いてきていた。
そういえば鰤里は紅月について触れてこなかったな。
雨井のことは須貝さんから聞いていそうなのに、彼なりに私に気を遣ってくれていたのだろうか。
それにしても静かだ。
いつもなら、ここに至るまでに二、三言嫌味を言ってきそうなのに。
私は彼女に声をかけようと口を開いたが、結局やめた。
なんというか、そわそわしているようにも見えたからだ。
案外こいつもこいつで、船旅を楽しんでいるのかもしれない。
なかなか可愛いところがあるじゃないか。
なんてことを考えていると、やがて自分の番が回ってきた。
私は予め取り出しておいた冒険者証を、紅月は乗船券をそれぞれ船員に提示した。
確認を終えた船員が、にこやかに頷き甲板へと案内してくれる。
その指示に従って、揺れに注意しながら橋板を渡ると、潮の香りがいっそう濃くなった。
青い空、青い海、そしてまだ見ぬ国。
これから先の長い旅を、私は改めて実感――
「うおおおおおお! あねごおおおおおお!」
……視界の端でバッサバッサと横断幕が揺れている。
周囲の乗員乗客は半笑いでそれを眺めていたり、子どもなんかは横断幕を指さして楽しそうに笑っている。
私はその光景を即座に頭から切り離すと、改めて、次の目的地である丹梅国へと思いを馳せた。
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