第53話 絶望と希望の狭間で

「えっ……、先生、それって……どういうことですか?」


 朱里がドナーの適合検査をしてからちょうど二週間が経過した、ある日。

 紫生くんのお見舞いに病室を訪れると、ちょうど神坂医師が回診に来ていた。

『ちょっとお手洗いに行って来るね』と紫生に伝え、病室を出ると、廊下の先で手招きする医師を発見。

 そして、ナースステーションの近くにある相談室に通され、適合検査の結果を聞いたのだけれど……。


「紫生くんの型と七割一致するという検査結果が出たんだけれど、今の朱里ちゃんの肝臓の状態は、移植が可能な状態ではないという結果です」

「……え、……詳しく教えて下さいっ」


 朱里は目の前に置かれた検査結果に視線を落としているが、見たこともない記号がずらっと並んでいて、何がダメなのか全く分からなかった。


「ここの数値が赤くなっているのが分かるかな?」

「……はい」

「これはALT(アラニンアミノトランスフェラーゼ)といい、肝臓でアミノ酸の代謝に関わっている酵素のことを示していて、この数値が40U/L以下が基準値とされてます」

「……69」

「そう、このALTの数値がちょっと高いんだよね〜。この状態は『脂肪肝』と言って、肝臓に脂肪が多くついている状態を示していて、未成年だからお酒は飲んでないよね?」

「はい」

「なら、甘いものや脂っこいものが好き?」

「ッ?! ……はい」

「だよね。数値に出てるもの」

「分かるんですか?」

「勿論、分かるよ」

「っっ」

「この状態の肝臓だと、移植しても正常に機能しなくて、結局別の肝臓移植が必要になるレベルということ。だから、移植が可能な状態ではないという検査結果になります」


 昔から甘いものが大好きで、ついついパクっとつまんで来てたけれど。

 まさか、十八歳で脂肪肝だと言われるとは思いもしなかった。

 血縁者でもない朱里が、紫生と適合する確率は奇跡に近い。

 採血前の問診時に『とにかく甘いものが好き』という記述をしていたこともあり、神坂の妻である夕映が脂肪肝を調べる追加検査を母親から許可を得ていたのだ。

 当然、看護師である母親も不安に思っていたみたいで、『是非に!』と言っていた。


 肝移植は百%一致しなくても移植自体は可能らしい。

 実際に血液型が一致しなくても移植は可能だが、術後の拒絶リスクが高まるとされている。

 生存率にかかわって来るから、結局は同じ血液型が望ましく、出来るだけ多くの項目が一致するドナーが求められるという仕組みだ。


 もし私が脂肪肝じゃなくて、健康な肝臓の持ち主だったら……彼を救えたの?


「……うっ……っっ」

「まだ、望みがないわけじゃないから……ね?」

「………は、ぃ」


 日に日に衰弱していく彼を見続けて、やっと希望が見えたと思ったのに。

 好きな時に好きなだけ、好きなものを食べて来たツケが今こうして回って来たんだ。

 悔しくて、腹立たしくて、遣る瀬ない想いに駆られ、朱里の手の甲に無数の涙が零れ落ちる。


「先生っ、……脂肪肝って治りますか?」

「治りますよ」

「どうやって?! 私は何をしたらいいんですか?」

「そうだなぁ、まずは野菜中心のバランスのいい食事を摂ることと、たくさん汗を掻いて運動したり、規則正しい生活を心掛けるといいかな」

「運動したら、早くに治るんですか?」

「うん。昔は食事療法が一般的だったけど、最近は短期集中して運動するのもいいとされてます」

「私、毎日運動しますっ!」


 一縷の望みというのだろうか。

 いつ肝臓が正常になるのかも分からないし、どれほどの時間を要するのかも分からない。

 だけど何もせずに、彼が弱っていく姿をただじっと見ているだけはもううんざりだ。


「検査結果はご両親にも伝えないとならないから、今晩にもご自宅に電話をかけさせて貰うけどいいかな?」

「はいっ」


**


 それからというもの、朱里は紫生のお見舞いを終えて帰宅してからの夜と、早朝にジョギングすることにした。

 卒業式を二週間後に控え、バイトを辞めた新が、朱里のジョギングに付き合ってくれている。

 新は柔道が強豪の大学に合格し、萌花は福祉系の専門学校に合格していた。

 それぞれに進む道が定まり、未来への希望に満ち溢れている時だが、紫生の病状が悪化していることもあって、自然と口数が少なくなっていたのだ。

 けれど、そんな時だからこそ気持ちが通じ合うというもの。


 新は毎日のように一緒に汗を流してくれて、萌花は朱里が毎日コツコツと折っている千羽鶴を一緒に手伝ってくれている。

 何もせずにはいられない。

 一人でも欠けたら、四人のバランスが崩れてしまうから。


「新、今日もありがとう」

「水くせぇこと言うなよ」


 夜道を一人でジョギングするのは危険だからと心配してくれているのが分かる。

 バイクや車が通り過ぎる度に、危なくないように配慮してくれているから。

 そんな新に、心の底から感謝する。


「持つべきものは親友だね」

「おぅ」


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る