第9話 ダンジョンを巡る
五つの属性魔法。そのどれもが、未知の力への扉だった。
その中で、最も目を引かれたのは──《雷魔法》。
自然と思い浮かんだのは、かつて世界最強と呼ばれた男の姿だった。
雷を纏う探索者──
その名は、今なお語り継がれている。
単身でS級ダンジョンの魔物の群れに立ち向かい、仲間を逃がしてそのまま還らなかった英雄。
伝説の最後、彼が放った一撃の雷撃は、山をも貫いたとされる。
──だが、その力はあまりにも高すぎる代償を伴う。
雷属性は、五属性の中でも最も扱いが難しいとされているのだ。
魔力の消費量が桁違いで、少しでも制御を誤れば自分自身をも焼きかねない。
だからこそ、世界中を探しても、雷魔法を使う探索者はほとんど存在しない。
しかし、速さと威力は群を抜く。今の俺が目指しているスタイルそのものだ。
だがそれは、選ばれた者にしか扱えない領域でもある。
S級の魔力があってこその、神業なのだ。
(……俺に扱えるようになるのかは分からない)
だが、そこにこそ、挑む価値がある。
(俺には、レベルアップの恩恵があるんだ)
まだ、選択はしない。
今の俺では手に余るのは分かっているし、他の属性にも可能性はある。
だけど確かにこの瞬間、魔法という新たな道が開けた。
「とりあえず……ステータスポイントは前回と同じく、敏捷に2、筋力に1で振っておくか」
魔導書を閉じ、最後にもう一度ダンジョンの奥を見渡す。
「よし、帰るか」
◆ ◇ ◆ ◇
ボス階層の奥にあった光柱を踏んだ瞬間、世界がゆるやかに歪んでいった。
次の瞬間、ダンジョンの入口の前に立っていた。
自動転送。ボスを倒すことで、強制的にダンジョンの外へと送り返されるシステムだ。
振り返ると、かつてあった入り口は、薄い靄に包まれていた。
「……やっぱり、閉じてるか」
ダンジョンのクールタイム。
ボスを倒されたダンジョンは、しばらくの間、再侵入ができなくなる。
このF級ダンジョンの場合、再活性化までは三日。
その間に魔物が再び湧き、環境が修復されるらしい。
仕組みは分からない。けれど、そういうものなのだと誰もが受け入れていた。
「なら……帰るか」
俺は伸びをひとつしてから、街へと歩き出す。
ダンジョン帰りとはいえ、身体はまだ動く。
むしろ、レベルアップと新スキルの習得で、どこか内側から満たされているような感覚があった。
(この勢いを無駄にはしたくない)
次のレベルに必要な経験値は305。敵の強さを見極めれば、問題なく進めるはず。
俺は自宅へ戻ると、最低限の装備だけ整え、探索者ギルドの端末で次のダンジョンを検索した。
(次は……そうだな)
俺は画面に並ぶダンジョン一覧を眺める。どれもF級のものばかりだ。
本当は、もっと難しいダンジョンに挑みたい気持ちもあった。
だが、この世界におけるダンジョンの「難易度表示」は、単なる目安以上の意味を持っていた。
魔物の種類や地形、特殊効果など、レベルやスキルだけでは補えない要素が多いからだ。
いくらレベルアップしても、不慣れな環境に足を踏み入れれば、それが命取りになることもある。
それこそ、この力を得る前の、あのゴブリンの群れのような──
(俺にはまだ、確実に勝てるだけの準備が足りない)
だから今は、安全圏とされるF級ダンジョンでじっくりと経験を積むことにした。
この周回で、戦闘感覚を磨き、スキルの使い方を身体に染み込ませる。
そして次に挑む時は、迷いなく踏み込めるように。
(これだな)
俺は『荒れた森の裂け目』というダンジョンに目を留めた。
接近戦が中心となり、スピードと判断力が試される環境だという。
(同じF級。それに接近戦主体でスピードと判断力が問われるなら、俺の今の強化スキルと相性がいいはずだ)
最低限の装備を整え、探索者ギルドの端末から予約を済ませる。
「予約完了」の文字が表示されると、気持ちが引き締まった。
ギルドで魔石の換金を済ませて、次の戦いの舞台へ向かう。
街の外れにある指定地点に着くと、そこには青みがかった空間の裂け目が静かに口を開けていた。裂け目の縁は淡く揺らめき、まるで異世界と現実を隔てる薄い膜のようだ。
俺は裂け目を見つめながら、心を落ち着けて深呼吸をひとつ。軽く肩の力を抜くと、ゆっくりとその中へ足を踏み入れた。
眼前に広がるのは、鬱蒼とした森だった。高くそびえる木々の枝葉が幾重にも重なり合い、日差しはほとんど届かず、地面には薄暗い影が点々と揺れている。
湿った土と草の匂いが鼻をくすぐり、遠くからは鳥の鳴き声や小動物の足音がかすかに聞こえた。
「よし、いこう」
慎重に周囲を見回しながら進む。足元には落ち葉や枝が散らばり、乾いた音を立てて踏みしめられた。
しばらく歩いていると、茂みの葉がざわりと揺る。
瞬間、そこから白い毛並みの生えた小さな動物が飛び出してきた。特徴的なのは頭に生えた小さな角。まるで野生のウサギのようだが、その角が異様な威圧感を放っている。
それは突進するように俺へ向かってきた。
(ホーンラビット……)
反射的に身体が動く。踏み込んで体をひねり、咄嗟に横にかわした。
敵の突進は俺の肩をかすめて地面に爪跡を残し、あわや接触寸前でかわすことに成功した。
そのままの流れで、片手に握った短剣を振り抜く。
「──ッ!」
刃は鋭く、敵の側面を滑らかに切り裂いた。
白い獣はひと鳴きして地面に崩れ落ちた。
呼吸を整えながら、俺は倒れた獣を見下ろす。
(これなら、なんとか対処できる)
短時間で決着がつき、安堵の感覚が胸を満たした。
俺は魔導書を開く。
《経験値:20/320》
ホーンラビットの経験値は5。スライムやフロッググリーンよりもやや高い。
「正直言って、もう少し経験値は欲しいけど……今は焦る時じゃない」
森はまだ深く、俺の周囲には静かな緊張感が漂っていた。
まずはF級ダンジョンで何度も戦いを繰り返して、確実に戦闘の感覚を磨いていこう。
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