第7話 眼窩

 進むほどに、通路はより複雑さを増していった。


 枝分かれする道。途中で崩れた壁。湿った空気に混じる獣の匂い。スライムだけが相手だった頃とは、明らかに世界の密度が違う。


 だが、俺の体もそれに合わせて変わっていた。


 地を蹴る一歩に無駄がなく、体の動きに連動して視界が広く感じられる。何より、動いていて疲労の溜まり方が違う。さっき得た筋力と、敏捷の強化。それが噛み合い始めている。


 しばらく歩くと、濡れた石を擦るような、ねばついた音。

 奥の水たまりで、尾を揺らす影があった。


 鱗と粘膜に覆われた緑褐色の肌。鋭い爪と蛇のように長い首。獣の四肢と両生類の体表を併せ持つ魔物──リザードモックだ。


 三体。こちらにはまだ気づいていない。


(先手を取る)


 俺は無言で距離を詰め、一気に踏み込んだ。反応が追いつかないうちに、一体目の首元に短剣を突き立てる。


 ずぶり、と重い手応え。体液が飛び散る。が、それと同時に──


「──ッ!」


 左右から爪が迫る。


 反射的に身を沈めて回避。敵の一撃がすぐ頭上をかすめる。地面に手をつき、滑るように体勢を立て直す。


 そのまま半回転し、低い姿勢から二体目の胴へ斬撃。


 甲殻が刃にかすかな抵抗を見せるが、筋力が上がっている今なら通せる。ぐ、と腕に力を込めて押し切る。


 もう一体。舌を伸ばしてこちらの足を狙ってくる。


 紙一重で飛び退き、壁際から跳ね返るように再接近。咄嗟の動きだが、敏捷が上がったことで身体が思った通りに動く。


 刃を突き立てる。抵抗を貫き、喉元を深く裂いた。


 呼吸を整えながら、魔導書を開く。


《経験値:60/80》


 三体で60ポイント。リザードモックは戦闘力もあるが、見返りも大きい。


「っと、また来たか」


 高く、鋭く、金属音にも似た音。ウィングバグだ。


 岩陰から飛び出してきた二体。群れの残党か、それとも単独で活動する個体か。


(あの群れよりずっと楽だ──冷静にやればいける)


 空中を舞う魔物に、地を蹴って間合いを詰める。


 一体目が直線的に飛びかかってきた。それを視界の端で捉え、寸前で重心を低くずらす。


 滑り込むように回避しつつ、反撃の斬撃。甲殻に重みを感じるが、刃は通った。


 振り向きざまにもう一体が襲ってくる。狙いは頭部──だが、わずかな風の動きで察知できた。


 腰を捻ってかわし、回転しながら振り抜いた一撃。


 刃が甲殻にぶつかった瞬間、以前なら跳ね返されていた感触が、今は違う。


(……通る)


 筋力が上がった今の俺なら、押し切れる。


 ギリギリと骨を裂きながら刃がめり込み、抵抗をねじ伏せるようにして貫通する。


 ウィングバグの体がぶるりと痙攣し、羽をばたつかせながら空中で軌道を外れ、そのまま背から地面に墜ちた。


《レベルアップしました》


 再び、体の内側に風が吹き抜けるような感覚。


 魔導書を開く。


《Lv:4》

《経験値:0/160》


HP:40/ 40

MP:25/25

【能力値】

筋力 :16(+10%)筋力up小

耐久 :14

敏捷 :18(+10%)敏捷up小

知力 :14

魔力 :13

器用 :14

運  :14


 習得済スキル

《敏捷up(小)》《筋力up(小)》



 獲得したポイントは筋力に1、敏捷2割り振る。

 ステータスは【筋力17/敏捷23】となった。


(まだやれる)


 そう自分に言い聞かせ、短剣を握る手に力を込める。

 疲労はある。だが、まだ動ける。


 ──それから、何体の魔物を倒したのかは覚えていない。

 石の裂け目に潜んでいた単体のリザードモック。通路の曲がり角で遭遇したウィングバグ。

 そんないくつかの戦闘を経て、気づけば経験値はこうなっていた。


《経験値:95/160》


(あと少し)


 焦りはない。だが、油断もできない。

 ここまでの戦闘で、確実に自分の身体は変わってきていると感じる。動きが早く、重く、狙いが正確に決まる。短剣の一撃が、以前より深く届いているのがはっきり分かる。


 そんな実感を抱きながら進むと、前方の空気が変わった。


 ぬるい湿気が途切れ、わずかに風が吹き抜けるような気配。その先には、通路よりも広い空間がぽっかりと口を開けていた。


 洞窟。……いや、ダンジョンの終点──ボス部屋だ。


 天井は高く、壁は自然に削れた岩肌。床には割れた石片と乾いた土が散らばっている。


 そして、その中心に──いた。


 骨だけの体。関節部をわずかに黒く染めた、禍々しい魔力の残滓。手には朽ちた鉄剣を握り、空っぽの眼窩から、じっとこちらを見据えている。


 ──スケルトン。Eランクの魔物だ。


 F級探索者が単独で挑むには荷が重い。だが、絶対に無理な相手というわけでもない。


 しっかりと装備を整え、対アンデッド用の準備を施した上で挑めば、F級でも勝機はある。実際、何人もの初心者がここを超えていくのだ。


 ──だが、俺には短剣しかない。


 鎧もない。魔具もない。スキルもまだ基礎の強化系だけ。武器の切っ先に、わずかな頼もしさと、多くの不安がぶら下がっている。


 それでも、ここまで積み重ねてきたステータスがある。


 敏捷も、筋力も、確かに上がっている。武器や装備で補えない分を、今の俺は身体そのもので補えるはずだ。


(いける。冷静に、的確に動けば──)


 俺は短剣を構え、深く息を吸った。

 そして、スケルトンの眼窩に向かって、地を蹴った。



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