第2話 プラスチック・モデル

 彼女は悪魔だ。

 今日は家電量販店にいる。

 涼んでいるのだ。

 部屋のエアコンが故障し、とても日中あの部屋にはいられない。

 つまり十戒の一つ、隣人のものをむさぼってはならない、これを犯している。

 アクシデントをすら、神への反目の口実にする。それが悪魔なのだ。


 彼女は、マッサージチェアの前で立ち止まる。

 三つあるうちの二つには、若い男女のカップルが座っていた。

 そして、端の一つには別の若い男が背中を伸ばしている。

「ひぇーー! 気持ちいいぃー!」

 端の男が恍惚の表情で湿った声を出す。

 その息子らしき幼児が、「パパぼくにも座らせて」と父親の手を引いた。

 父親は目を見開くと、忌々しげに我が子の手を振りほどいた。

「……二人のときはお父さんと呼べと言っているだろうが。まあいい、しかし椅子はだめだ。……子供には毒なんだ」

 この男は何か入り組んだ愛を持っているようだ。

 ヒトは愛という概念を持つ。悪魔にはない。

 そして、ヒトの持つこの独特のモノには、複数の種類があると連中は主張する。

 今までの経験から彼女が推察するところ、得た瞬間の快楽はどれも似たようなものだ。

 おそらく心に入って来る角度により、カテゴライズされている。

「あの……ぼくも」

 先ほどの子供が、椅子に座るカップルに声をかける。

 悪魔に人間の細かな感情は分からないが、おそらくこれは「気まずい」というものだろう。

 子供の悲しみも含めて、目の前に発生したヒトの苦痛に、悪魔はほくそ笑む。

 二人の大人は一度子供を見た後、互いの顔を見合わせた。そして男が言った。

「俺達結婚しよう!」

 女は寝そべったまま笑った。

「ほんと! 嬉しい! 幸せになろう!」

 不機嫌そうに順番待ちをしていた周囲のヒトが喝采を送る。

「素晴らしい!」「やるじゃねえか!」

「ちっ……若いヤツは、いつも年寄りを泣かせやがる」「はやくどけよ」

 すぐに夫になるであろう若者が言った。

「じゃあ、この椅子二つ買っちゃおう! 今日の日の思い出だ!」

 女は瞬時に酷薄な表情を浮かべ、低い声で言い放った。

「ハァ? これから入り用なんだから、こんなもんイラネェッショ?」


 彼女が模型売り場に入ると、若い男と幼い少女が言い争いをしていた。

「二つもってるんだから、一つアタシに譲ってよ」

「だめだ! これは観賞用と、保存用なんだ」

 若い男は両手に一つずつプラモデルの箱を持っている。

 どうやら、タコラムという近頃人気のロボットアニメのプラモデルらしい。

 それはどこでも売り切れになり、転売屋の儲け口になっていると聞く。

「俺は大金持ちだ! 金をくれてやる! これは諦めろ。ネットで買いたまえ」

「ダメ! アタシは転売屋へ利益供与などしないモン! それにそれは、ここでしか手に入らないの!」

「何をわけの分からないことを……」

 二人の諍いは続いている。

 悪魔はほくそ笑んだ。

 ヒトはモノへの執着。これをすら愛という。魂なきものへの一方通行の愛に、見返りはない。

 ピュグマリオーンをヒトにする神はもういない。それは、信仰を捨てたヒトの自己責任だ。

 そこへ若い女が現れて、男に声をかけた。

「京多くん! 私と付き合ってください!」

 そして男へ手を差し出す。二人は知り合いのようだ。

「咲希ちゃん……。いいのかい、僕なんかと?」

 京多と呼ばれた男は戸惑っている。

「うん! それで……。それ、持ってたら手を繋げないね?」

 男は弾かれたように、プラモデルの一つを目の前の少女へ押し付けた。

 それを見て咲希と呼ばれた女は小首を傾げ、笑顔を見せた。

「もう一つの手は、いざという時に互いを守る手。いつも塞がずに歩こう、ね?」

 男は頷くとプラモデルを棚に戻す。あっという間に二人の男女は、手をつなぎ立ち去っていく。

 ヒトは複数の愛を持って生きるというが、その中の席次に年功序列は考慮されないようだ。

 悪魔は少しの学びを得たことに、満足している。

 プラモデルを手にした少女は、「成し遂げた……」と呟きレジへ去った。

 棚に戻されたプラモデルを見て、悪魔は気付いた。

「……タコフム」それは、いわゆるパチモノだった。

 おそらくあの少女は、それを知っている。

 だからここでしか手に入らないと言った。

 ヒトは、あえて偽物を買う者もいる。モノに対しての愛も、ヒトの中では一種類で  はないように思えた。

 彼女は立ち去る男女の後ろ姿へ目をやった。

 女の方は何か相手の男を値踏みするかのような、鋭い目つきを笑顔に包んでいる。

 愛には偽物もある。

 そして、ヒトは偽物を抱いても幸せになれる生き物なのだ。

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