第三節 わたしの記録に挑む

夏の朝。

蝉の声が響きはじめたころ、「いつもの部屋」ではすでにトレーニングが始まっていた。


「はいっ、次プランク30秒――キープ!」


「ふっ……はあっ……」


汗が床にポタポタと落ちる。

さちは顔をしかめながらも、体幹をぶらさず耐えていた。


ハルとユキの全国大会出場が決まってから、さちの取り組みは明らかに変わった。


もともと運動が好きだったが、今では“競技者の視点”で自分を見つめるようになっていた。


休憩中、ハルがつぶやく。


「最近のさち、ほんと変わったよね」


「うん。フォームも姿勢も、引き締まってきた感じがする」


ユキの言葉に、さちは少し照れたように笑った。


「自分でも……肩まわりとか、ちょっと変わってきたかもって思ってた」


Tシャツの袖を軽くめくると、そこには以前よりも明らかに締まった二の腕が現れた。

無理のない自然な盛り上がりがあり、肩まわりも力強く変化しているのがわかる。


「腹筋も……少しだけど、ほら」


お腹のあたりには、うっすらと縦のラインが見えていた。

小さな“変化”が、確かな手応えとなっていた。


「すごい! 本当にトレーニングの成果だね!」


「努力って、こんなに目に見えるんだね……」


ハルとユキが感心したように見つめる。


「それなら、さちも出てみない?」


「え?」


「市の水泳大会。来月あるでしょ? 初心者向けの25メートル自由形の部があるよ」


「さちなら、十分出られるよ。タイムも安定してきてるし」


ユキの提案に、さちは驚いたように目を見開いた。


「……わたしが、水泳大会に?」


戸惑いが一瞬よぎった。けれど、心の奥から自然と答えが湧き上がってきた。


(前の自分だったら、“まだ早い”って言ってた。でも今は――)


「うん。……出てみたい。挑戦してみたい」


そこからの練習は、さらに実戦を意識したものに変わっていった。



■ 具体的な練習メニュー:

•25メートルを全力で泳ぐ集中練習

•スタートの飛び込み練習(深くなりすぎないよう意識)

•呼吸の調整(息継ぎは最大2回)

•壁を蹴った直後のグライド姿勢のキープ

•ストップウォッチを使ったタイム測定



「23秒台で泳ぎ切れてるじゃん!」


「20秒台が見えてきたよ、さち!」


何度も泳いで、タイムを測り、フォームを修正して――また泳ぐ。

その繰り返しのなかで、さちの身体も心も、着実に成長していった。


「本番、きっと緊張すると思う。でも……それ以上に、挑戦してみたいって気持ちのほうが強いの」


そう話すさちの目は、まっすぐで揺れていなかった。


「さちはさ、本当に“自分のために”強くなったんだね」


「うん、私たちも励まされてるよ」


夕暮れの光のなかで、三人の手が自然と重なった。


「じゃあ、さちの初大会――全力で応援するから!」


「うん……行ってきます!」


次の舞台。

それは、さちにとっての“最初のレース”――誰かではなく、自分自身との勝負が始まろうとしていた。


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