第18話「僕のあの見慣れた合奏曲が配られたので先輩と一緒に練習していきたいと思います。」

「……はぁ……」


夏の日差しが照りつける中、僕は、息を整えながらグラウンドから音楽室へと戻ってきた。


今日も外での走り込みと基礎トレーニング。アスファルトの照り返しと湿った風に煽られながら、部員たちは全身汗だくだった。


「なんで熱中症注意出てるのに外で走るんだよ……」

「まだ“やや注意”だからセーフってことでしょ?」

「いやいや、これ普通にパワハラ案件でしょ……」

「違うってw」


1年生たちが疲れ切った声で文句をこぼしながらも、どこか笑い声が混じる。僕もその輪の中で、少しだけ口元を緩めた。


「和田、最近また3周に戻ったんだって?」

「うん、さすがにこの暑さはキツいよ……」


息を吐いたその瞬間、音楽室の扉が開き、中から顧問の先生の大きな声が響いた。


「お疲れさまー。さて今日は、みんなに楽譜を配りたいと思います!」


一斉に視線が集まる。先生の手には、何枚もの譜面が束になって抱えられていた。

どよめきが広がる。


「来たか……」


僕は小さくつぶやいた。おそらく、あの曲だ。


前回のループでは、確か隣にいたのは愛美だった。でも今回はなぜか、パートごとに並ばされている。微妙な違い。些細だけど、確かにループの中でも変化が起きている。


「“スプリング・スター”? なんか……タイトル、ダサくない?」


と、不意に隣から覗き込んできた女の子の声。

同じトロンボーンパートの杉崎有希だ。話しかけられるのは今日が初めてかもしれない。


「ダサいか……? てか、譜面めっちゃ難しそうじゃない?」


杉崎は「ねー!」と笑って返してきた。

もう一人の1年生、岡山雪菜は今日は委員会で少し遅れてくるらしい。


1回目のループの記憶はおぼろげでも、2回目、3回目と重ねてきた今では、同級生たちとも少しずつ話せるようになってきた。


「――これで、ループから抜け出せたらいいのに」


そんな思いが、譜面に視線を落としながら、心の奥に浮かんでいた。


先生がスピーカーに繋いだプレイヤーから、スプリング・スターの音源が流れ始める。

華やかで、けれどどこか切ない春の調べ。


音楽室が静まり返る中、僕はじっと耳を澄ませた。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


楽器を出しての基礎練習が始まる。


「はい、そこ、もうちょい息の圧強くて大丈夫。ベルの向き、意識してみて」


軽く肩を叩きながらアドバイスしてくれるのは三枝先輩。最近は冗談っぽい所もあるけど、教え方は真剣そのものだ。


「同じとこ、もう一回やってみようか」


その隣で、宮坂先輩も優しく見守っている。


言われた通りに吹いてみると、少しだけ音が通った気がした。


「おお、いいじゃん、だんだん掴めてきてるね」


「そうそう、その感じ。あとで合わせるときに響いてくるから」


褒められると、なんだか素直に嬉しい。

少しずつ自分の音が「部の音楽」になっている気がした。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


「じゃ、合奏始まるから、私たちは2音行くねー」

「1年生は30分だけ、個人で練習してていいよー」


先輩たちが音楽室を出ていき、残されたのは1年生たちだけになった。


「……ねえ、これ合わせるのめっちゃ難しくない?」


「先輩いないとタイミング分かんないよね」


「でも今のうちに練習しないと、次置いてかれるよ〜」


岡山の声が、控えめに響いた。遅れてきた彼女も、汗を拭きながら楽器を構えている。


「……やるか」


僕は軽く頷いて、譜面を開き直す。


――その時。


視界の隅で、何かの影が揺れた。


一瞬、音が遠のく感覚。周囲のざわめきが、ノイズのようにかすれて聞こえなくなる。


「……あれ……?」


耳鳴り。頭の奥で、何かが軋んだ気がした。


(……前にもあったような?)


彼の中で、違和感の波が広がっていた。


= = = = = = = = = = = =


白く、何もない空間。

足元も、空も、境界も、存在しない。


その場所に、私、荒垣小織は立っていた。


夢だ――そう瞬時に判断した。なぜなら、私はこの場所にもう何度か来ていたからだ。


「また……」


静かに言葉をこぼすと、白い光がふわりと揺れる。その中から現れたのは――ワンピース姿の少女。女神。


顔は相変わらず霞んでいて見えないが、その声はどこか芝居がかっていた。


「今回は違うよぉ。ループじゃない。和田くんってば、進みが遅すぎるの!私、せっかくあの日までは完璧に整えてあげてるのに!」


「……和田くんは頑張ってるよ。自分なりに、ちゃんと」


「う〜ん、そうなんだけどさあ〜。まだ足りないのよ。これじゃあゲームにならないじゃない!あ、口が滑った」


「ゲームって……あなた、私たちの人生を……」


「いや、まさか!でも、ループしてるのって君たち以外にもこの日本で実は4人もいるんだからぁ、もっと真面目に進めてよ!しかもあんなにフラグ立てといて……くっつかないって何事?」


「くっ、くっつくって……!?」


「宮坂さんとか谷川さんに取られちゃっても、私は知らないからねー?」


私は頭を抱える。

どうして自分がこの場所に呼ばれるのか。それを覚えているのに、内容はいつも曖昧で、いつも――目が覚めると、忘れている。


「じゃあ、私は何をすればいいの……」


「ふふっ、協力プレイって、楽しいじゃない?」


そう言いながら、女神は耳元で何かをささやいた。


「え、なにそれ……意味不明!」


「ま、いいじゃん。やってみて〜!このまま進めば、もっと楽しくなるよ?」


「待ってよ!和田くんには早すぎ――」


急に女神が手を掲げる。すると、空間がひび割れるように崩れ出す。


「あ、そうだ。和田くんが中間で80点以上取らないと、ループから抜けられないよ。目標にそう書いてあるから。それじゃあね!」


「え?あ、待って!まだ何も――」


白が黒に塗りつぶされ、荒垣の視界は飲み込まれていった。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


起きると午後6時だった。部活を終えて学校から帰ってすぐ寝てしまったらしい。

女神が出てきたような気がするけど、何を約束したんだっけ?


なんで夢に出てくるのに肝心なところを覚えてないような設定になるのかが不思議でしょうがない。

まあ、どうせいつもくだらないことしか言ってない記憶しかないのでそんなことだろう。ただ、和田くんが80点以上取らないと、ループから抜けられないってのは聞いたかも。

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