踊り始めれば止まらない。この七不思議に語られる少女の亡霊は、ずっとずっと踊り続けている。そして、『猿』はそれを囃し立てて見ていた。彼女を躍らせているのは『猿』だと怪談では語られるが、ではその『猿』は何をしているのか。

 まさか彼女を糸で括って、操り人形のようにしているわけでもない。ただ月波見学園男子部の七不思議で明確に姿があるのは、その少女と『猿』なのだ。

 揺れてしまえば、不安定なまま。染まってしまえば、元の色には戻らないまま。落ちてしまえば、そこで終わってしまう。

「やはり……その角柳という先輩に話は聞きたいな」

「じゃあ、夜にでも行けば良いじゃん」

 竹村竣が入部していたという文芸部の部長は、竹村竣にやけにへりくだっていた、というのは侑里の言だ。蒼雪が少し考え込むような仕草をしながら紡いだ言葉に、侑里はとんでもないことをあっさりと提案する。

「寮の部屋。話聞くならちょうど良いんじゃね?」

 確かに全寮制である以上、寮には全員がいる。夜になれば確実に部屋にいるのだから、どうしても話を聞きたい場合は有効な手段ではあるのだ。

 ただ今回は、そこまで切羽詰まった状況というわけでもない。押しかければ、それはとんでもなく迷惑な話だ。

「ユーリ、それはちょっと……迷惑かかるだろうから」

「そうだな。寮の部屋なら逃げ場もないか」

 否定した実鷹の言葉とは真反対で、蒼雪は侑里の言葉に同意している。

「えっ、ちょっ」

 さすがに滅茶苦茶すぎて、実鷹はどう言えば彼らが止まるのかも分からない。動揺のあまりに変な声が口から飛び出したが、蒼雪も侑里も実鷹の様子を気にする素振りはなかった。

「だろ? 俺も今日なら付き合えるしさ、ここまで来たらヒメが何しでかすつもりなのか気になるし」

「ヒメと呼ぶな。……俺を利用したいのなら、好きにしろ」

「そんなつもりはないって」

 からからと笑っている侑里の声は、楽しそうなものに聞こえはする。けれど「そんなつもりはない」という言葉が真実であるのかどうか。まるで上っ面だけを滑っていくような言葉が、どうにも実鷹の背中にひやりとした冷たい手を当てる。

「余計な首を突っ込むと、次に死ぬのはお前かもしれないが」

「俺はそう簡単に殺せねーよ」

 どうして蒼雪は七不思議の呪いを否定したのに、「死ぬ」などと口にするのか。彼の口ぶりからするとまるで――。

「あ、あのさ」

 嫌な予感を振り払おうとして、実鷹は少し大きめの声で彼らに声をかけた。二人からの視線が実鷹に突き刺さったが、今はそれを気にしてはいられない。とにかく彼らの会話と、それから夜に角柳の部屋へ押しかけようという予定を変えさせようと、実鷹は大袈裟な身振りも加えて彼らに言葉を投げた。

「夕飯の時に、食堂で探した方が、良いんじゃない?」

 我ながら苦しい提案ではあると思う。夕飯の時間帯は十八時から二十時の二時間と決められていて、いつ目的の人物が現れるか分からない。それでもやはり部屋に押しかけるよりは、こちらの方が良いだろう。

 部屋は、人目がなさすぎるのだ。いくら二人部屋とは言え、中は共用スペースと、それから個人の部屋だ。もう一人が個人の部屋から出てくるとは限らない。さすがに蒼雪と侑里が物理的に何かするとは思わないが、精神的に追い詰めないとは言い切れない部分もある。

 蒼雪は意識的か無意識的かは知らない。侑里は、おそらく自分がそうしたいと思ったら、そうするだろう。

「ほら、さすがに部屋はさ。今日の課題とかあったら、迷惑だし」

 八重歯を見せて笑う侑里が何を考えているのかは分からない。蒼雪は少しだけ考えるような顔をした。

「それならせめて、夕飯の時に話聞きたいって伝えて。それから、明日以降どこかで時間貰った方が、良いと思うんだよね」

 しばしの空白は、雨の音で埋め尽くされた。それから落とされたのは、「そうするか」という蒼雪の言葉。侑里もそれに否はないらしく、「それも有りだな」という同意を蒼雪に帰していた。

 ひそかに実鷹が安堵の息をこぼしたことなど、きっと彼らは気付いてもいないだろう。あるいは気付いていても、無視をしたのか。


  ※  ※  ※


「ってことがあってさ……大変だったんだよ。姫烏頭って人は滅茶苦茶だし、ユーリはそこに悪ノリするしで」

 寮の部屋に戻れば、知希が共用スペースの机で勉強をしていた。そんな彼にため息をつきながら今日の出来事を語れば、知希は「何だそれ」と苦笑をこぼしていた。知希は蒼雪のことは知るはずもないが、侑里のことはよく知っている。

 だからこその、苦笑だ。

「七不思議は、呪うのに」

 知希と同じように大きな机の上に教科書とノートと問題集を置いて、数学の課題と向き合った。アルファベットが、数字が、文字が、並んでいる。

「でも俺、気になってたんだけどさ」

「何?」

 顔を上げれば、窓が見えた。窓の外はもう暗く、けれど室内の明かりに照らされて、幾筋もの水滴が窓ガラスの上を滑り落ちていく。

「ほら、他の人らと違ってさ。サネのは実感籠もってるから。サネは何か知ってるんじゃないかなーって俺は思ってる」

 呪うかもしれないではなく、呪う。そう断言しているのは、実鷹だけなのかもしれない。

 七不思議は、呪うのだ。実鷹は実際に七不思議に呪われた人を知っているから、そう断言している。本当に、それだけの話。

 下唇を噛んで、俯いた。七不思議は呪う。そうでなければならない。そうでないと――。

「さすがに四年目だろ? 同室なのに隠し事は悲しいぞ?」

 少し寂しそうな知希の声に、はっとして顔を上げた。

 月波見学園男子部の寮の部屋というのは、基本的に六年間変わらない。同室者との間によほどのトラブルがなければ、あるいは退学するようなことがなければ、六年間を同じ部屋で過ごすようになっている。

 もう、四年目なのだ。言われて、それを思い出した。十二歳で入学をして、それから三年が過ぎて、今は四年目になる。それだけの時間を、実鷹は知希と過ごしているのだ。

 ずっとずっと、隠してきたことがある。それは知希にだけではなくて、他の誰もに隠し続けた。それこそ親にだって、何も実鷹は言えなかった。

 兄は、どうしていなくなったのか。「それはきっと僕のせいだ」と、実鷹は言うことができなかった。

「……笑わないで、聞いてくれるか」

「もちろん」

 あの日は激しい雷雨だった。空はにわかに真っ暗になり、白かった入道雲は真っ黒になって、激しい雷鳴をとどろかせていた。

 ざんざんと雨が降っていた。ざんざん降りの雨にびしょ濡れになって――その後、実鷹はしばらく高熱を出して寝込んだ記憶がある。そしてぐるぐると、兄から聞いた七不思議の話が、実鷹の中を駆け巡っていた。

「……兄が、失踪した。ゴールデンウィークに帰ってきて、それから、七月。月波見から失踪したと、連絡があった」

 明確な日付が思い出せない。けれど暑い日で、夕立が激しくて。最初は蝉の鳴き声がしていたのに、途中からうるさいほどの蛙の鳴き声がしていたことを覚えている。

「兄は、七不思議を調べていたんだ。ゴールデンウィークに帰ってきた時に、その話をしてくれて……僕は、詳しく聞きたいって、兄に言った」

 七不思議に呪われた。兄は七不思議に呪われて、だから帰ってこなかった。

「偶然じゃないのか?」

「分からない」

 本当のことがどこにあるかなど、実鷹は知らない。すべてはこの閉ざされた月波見学園の中で起きたことであり、兄は学園の外に出ていないはずなのにいなくなった。

「分からないけど、お兄ちゃんがいなくなった理由が、僕はそれしか見付けられない」

 だから実鷹にとって、それは『七不思議の呪い』であり、自分のせいだった。実鷹が聞きたがったから、兄は七不思議を調べてしまった。知ってしまった。もしかすると兄は【ななつめ】を知ってしまって、だからいなくなったのかもしれない。

 そういう風に思っていなければ、実鷹は息もできなかった。ぎりぎりと首は絞められていって、ひゅうひゅうと音がする。けれど呪いのように「僕のせいだ」と繰り返せば、ふっと呼吸が楽になった。

「よし、じゃあこうするか」

 ぱんぱんと知希が手を叩き、その音で実鷹は現実へと引き戻される。

 あの日と同じように、窓の外は雨。けれど今は六月で、七月になるにはまだ少しだけ時間がかかる。

「その一年三組の外部生はさ、自分で調べてるんだろ? じゃあ、俺とサネでも調べてみようぜ、七不思議」

「でも、呪うんだぞ! トモまで呪われたら……」

「だからさ、そこはサネが助けてくれよ」

 目の前で知希が笑っている。

「え」

 実鷹は、兄が呪われる原因を作ってしまった。実鷹が詳しいことを知りたいと言ってしまった、だから兄は呪いに踏み込んだ。きっとそうなのだと、ずっと、ずっと。

「七不思議について、お兄さんから聞いたことあるんだろ?」

「ある、けど……でも、九年前の、七歳の時だ。曖昧な部分もいっぱいあるし」

 考えないようにしては、忘れようとして。けれど忘れられなくて。結局実鷹は月波見学園に入学して、兄と同じ場所にまでやってきた。

 実鷹のすぐ隣に、七不思議は息づいている気がする。けれど実鷹は、竹村竣のことがあるまで、いや、蒼雪に出会うまで、そのことから目を背けていた。

「調べてるうちに思い出すことってあるかもしれないしさ。いつまでも抱えてうじうじしてるより、解決した方が良いだろ?」

 七不思議は呪う。七不思議に呪われる。【ななつめ】を知ってはならない。【ななつめ】を知れば、【七不思議の番人】がその人のところへやってくる。

「サネだって、お兄さんのこと、いつまでも分かんないままで良いのか?」

 どうして兄はいなくなったのか。

 どこかで生きているのか、それとも死んでいるのか、それすらも分からない。生きているのなら、どこにいる。死んでいるにしても、どこにいる。一歩も動けないままで、小学生の実鷹が雨が降りしきる空を眺め続けて――いつまで、そうしていれば良い。

「それは……よく、ない」

「だろ。それなら決まりだな」

 晴れた空のように、知希が笑った。

「俺は俺で調べてみるから、七不思議のこと、今分かってる範囲で教えてくれ。全部書いとくから」

 これこれ、と、知希が傍らにあった罫線ノートを手にして実鷹の前で振った。どの科目のものでもない、これは知希がいつも持ち歩いているメモ用のノートだ。

「出た、トモの書き残し癖。先生の雑談とかまで書いてるの、トモくらいだよ」

「良いんだよ。俺はこれくらいしないと忘れちゃうの!」

 じゃあ【ひとつめ】から聞かせてくれ。

 そう告げた知希の言葉に促されるようにして、実鷹は七不思議を語る。まずは蒼雪に否定された【ひとつめ】の、【雨降りに泣く十三階段】から。

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