被告人マリア➂

 パリスが、マリアの弁護人が現れたことで裁判の空気は一変した。それまではマリアに不利な状況だった裁判が、彼の登場で覆されそうな雰囲気になったのだ。


「ぱ、パリスさま……あの」


「ご心配なく。マリアさん。俺はあなたの無実を信じてますので。それを証明してみせますよ」


 マリアにだけ聞こえるよう、彼女の耳元でささやくパリスの姿は、さながらピンチに駆け付けた美丈夫。その様子を見ていた観衆の女性のなかには熱い吐息をもらし、彼をうっとりと見つめる者もいた。


 おいおい、パリス。大見得おおみえを切っちまったけど、お前、この状況なんとかできんのかよ?


 だだ、アキレウスだけはパリスが見せた派手なパフォーマンスに不安を禁じえなかったらしい。しかもこの時、法務官席から自分とパリスに交互に視線を向けられているのを感じたので、なおさら不安は募っていった。


法務官プラエトル殿。俺に発言の機会をお与えください。お時間は取らせません。水時計の水が全て流れ落ちる前に終わらせます」


 パリスが法務官席に佇むアレクサンドロスに、父としてではなく弁護人として発言の許可を求める。それにアレクサンドロスは、息子としてではなく法務官プラエトルとしてパリスに応じた。


「よろしい。許可する」


「感謝します。では、被告であるマリアさんの告訴人をお呼びいただきたい」


 パリスの申し立てを受け入れ、アレクサンドロスは告訴人三名をその場に呼び出した。その三名の顔をパリスは注意深く観察する。


「な、なんだい、あんた。じろじろと……」


 やがて告訴人の男の一人がパリスの鋭い視線にたじろぎ、胸元を隠そうとするかのような動きをした。それをパリスは見逃さない。


「あなた、このファレルのどの地区にお住まいで?」


「ど、どこって……。ラキアダイ地区の集合住宅に住んでるよ。なんだ、文句あんのかよ」


「なるほど。おい、アキレウス!」


 いきなり自分の名前を呼ばれたアキレウスは、ピクリとしながらもパリスの呼びかけに応じる。


「なんだ?」


「お前、この男性が住んでいるラキアダイ地区の人頭税の徴収をしていたな」


「ああ、そうだぜ」


「この男性から徴収した記憶は?」


「ん? えーと……いや、この男からは徴収してなかったはずだぜ」


「それはどうしてだ?」


「その男が奴隷だったからさ。奴隷からは人頭税が取れないの、お前なら知ってるだろ?」


 アキレウスの答えを聞いた途端、告訴人の男は慌てて逃げ出そうとするが、すぐさま法務官プラエトルの従者数名に取り押さえられた。そのまま男は手足の自由を奪われる。パリスが男に迫った。


「あなた、先ほど隠したのは胸元にある奴隷の焼き印ですね?」


「あ、ああ、そうだよ! 奴隷から解放される代金を出してやる代わりに、そこにいる女を訴えろって言われたんだ!」


「誰に?」


「それは、ラウィニアの――」


「ちょっと、法務官プラエトルさま。いいんですかい、あの男に好き勝手させておいて!」


 パリスがさらに男を追求しようと思っていた時、告訴人の横やりが入る。その告訴人は女性で濃い化粧をしており、男を魅了するための足がよく見える短めのチュニックを身に付けている。見る者に勝気な印象を与える女性であった。


「ほら、あんたも突っ立ってないで言ってやんなよ。『そこの薄汚い性根の女が自分に不穏な話をもちかけてきた』ってさ」


 告訴人の女性が隣に立つ告訴人――マリウスの学校に通っているヴァロの父を小突く。それに素早くパリスは反応する。


「おや? そうなのですか。ではその話を、今ここに来たばかりの俺にも詳しく教えてくれませんか」


 急に下手に出たパリスに気を良くしたのであろう。告訴人の女性は、大声でその経緯を語り始めた。


「なら、教えてやるよ。あたし、そこの、ほら、中央広場のすぐ近くにある店で男の客引きをしてたんだ。それでさ、確かその日は六月の中旬で、ファレルで有名なエウメニスさまを祝う日の翌日だったんだけどね。そこの女が、マリアって女がさ、中央広場をウロウロしてたんだよ」


 告訴人の女性に指を差されて、マリアが怯える。その女性の睨むような目つきに恐怖を感じたのである。


 ファレルの祝日の翌日……?


 一方、パリスは告訴人の女性の発言から、彼女の嘘を暴けると思っていた。


「それで、そこのマリアさんは中央広場でウロウロした後、どうなされたので?」


「そこの路地裏に、南側のあそこに人目を避けるように走ってったんだよ」


「ほお」


「でさ。あたしは、こりゃ何か訳アリの逢引あいびきかと思ったのよ。ほら、よくあるじゃない? 親に会うのを禁じられた相手とどうしても別れられなくって、親に内緒でイチャイチャしちゃうって話。あたし、そこの女がそういったことをするのかな、って思ってね。つい後をつけてったの。そしたら、まあビックリしちゃってさ」


「何があったのです?」


「ほら、今ここに突っ立ってる告訴人の極北人ヒュペルボレオイの男。こいつと二人でコソコソと話してたの、聞いちゃったんだよ! なあ、言われたんだろ? あんた」


「あ、ああ……言われたよ。『私の言う通りにすれば、あなたはここからラウィニア人を追い出せるし、そうなればあなたはファレルの人達に感謝される。差別されることもなくなる』って」


「で、その続きは?」


「『だから、あなたの故郷から極北人ヒュペルボレオイを招き寄せてほしい。私は北西の門を開けるよう門番を誘惑して、開けさせるから』って」


「ほら? あんた。今の話、聞いたかい?」と告訴人の女性がパリスに確認する。


「ええ、聞きましたよ」とパリス。告訴人の女性はまくし立てる。


「こりゃどう考えたって、そこのマリアって女がこのファレルを極北人ヒュペルボレオイに国を売ろうとしたって意味にしか思えないじゃないか。どうせ、そこの極北人ヒュペルボレオイの男を誑かしてファレルをいいように操る魂胆だったんだろうけど、残念。あたしにそれを聞かれてたんだもの。ざまあ見ろ、ってもんよ」


 告訴人の女性は勝った気になり気が大きくなってたのだろうか。怯えるマリアに舌を出して、彼女を馬鹿にするような態度を取った。


「へえ、そうだったのですね。確かにそれは酷い」


「でしょ? これであんたも、そこのマリアって女が悪女だって分かっただろ?」


「ええ、分かりましたよ」


「それじゃ――」


「あなたが嘘をついていると」


 突然のパリスの指摘に、告訴人の女性は焦りを隠せない。


「な、何言ってんだい! あたし、嘘なんてついてないよ!」


「あくまでも白を切るつもりですね。いいでしょう。ではお聞きしますが、マリアさんはそこの極北人ヒュペルボレオイの男性と秘密の会話をした後、どちらに行かれましたか?」


「え? えーと……ああそうだ! 人目を避けて、北西の門の方に走っていったよ。多分、北から攻め寄せて来る極北人ヒュペルボレオイとも陰謀の打ち合わせをしようと――」


「それは絶対にあり得ません」


「な? なんだい!? なんだってあんた、絶対そうじゃないって言えるんだい? 何か証拠でもあるのかい?」


 目が泳いでいる被告人の女性に、パリスは堂々と、それも父のいる前で答えたのだった。


「その日の夜、マリアさんは俺とそこにいるアキレウスと一緒に庁舎にいて、そして就寝の際にはマリアさんは俺の傍で寝ていたからですよ」

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