アキレウス、策を弄する

 パリスは、マリアの姿を見るとすぐに従者を呼び出して指示をした。


「ナルキッスス。仕事に一区切りがついた。夕食を頼む。今日はそこのお客様の分も含めて三人分で」


 一方、パリスの従者は困惑した表情になっていた。


「あの、パリスさま。もし、こちらの女性もここでお食事を採るとなると、その……後でそのことをお父上から咎められるやもしれませんが」


「だが、もうすぐ外出禁止の時刻だ。マリアさんの家はここからは少し遠い場所にあって、今から戻ってもその道中で守備兵に見つかり尋問を受ける可能性がある。それでも彼女にお引き取り願え、と?」


「……かしこまりました。すぐ用意します」


 パリスの従者が少々不服そうな様子を見せつつ、執務室を去ろうとした。


「あの、待ってください! 私はただ、昼間に貸してくださった筆を返しに来ただけで、お食事を求めに来たわけでは――」


 と、ここでマリアが口を開いた。筆を返した後はマリウスの待つ自宅に戻るつもりでいた彼女にとって、パリスが従者に出した指示は予想外のことであり、まさか遠慮なく「じゃ、お言葉に甘えて」などと答えるわけにはいかないものであった。


「まあまあ、マリアちゃん。そう、真面目になり過ぎなさんなって」


 だがしかし、ここでまたしてもあの男が……口だけは達者なアキレウスが余計なことを言い出し始める。


「たまには羽目を外すのも大事ってもんよ。なあ、パリス? お前もそんなふうに考えて、今日は特別にマリアちゃんを庁舎に一泊ご招待! を決めたんだろ?」


「あ、いや、俺にはそういう意図は――」


「ほら! また、お前はいっつもそうだ。肝心な事になるとそうやってはぐらかそうとする。お前さん、本当は可愛いマリアちゃんにここで一泊してほしいんだろ?」


「いや、だから――」


「ねえ、マリアちゃん。そんなわけだからさ。今日はここに泊まっていきなよ。なあに、心配しなさんなって。君のお父さんには後で事情を話してやっから。ね?」


 アキレウスに会話の主導権を握られれば、それに抗えるものなど誰もいないのだということを、マリアは思い知る。本当は無理にでも断って庁舎を出ようと考えていたが、結局はアキレウスの強引さとその直後に庁舎近くにある兵舎から続々と顔を出してきた守備兵を目にしたことで抗うのを止め、


「わかりました。一泊させていただきます……」


とアキレウスに白旗を上げてしまった。


 パリス。後でお返し、頼んだぜ!


 そしてマリアの手を握り執務室を去る直前に、アキレウスはパリスに目配せして、自分に感謝するよう訴えるのであった。



 さて、マリアを加えた三人が夕食を済ませた後で、パリスの従者が「お湯が沸きました」と告げてきた。


「ありがとう。では、マリアさん。行きましょう」


「はい? あの、パリスさん。それはどうゆう……」


「まあまあ、チャチャっとひとっ風呂浴びちまおうぜ。マリアちゃん。先客が入ってない今なら、で湯舟を使い放題だから!」


「ぼ、僕達だけ!? アキレウスさん。それってまさか……」


 そう、そのまさかであった。


「ひゅー、一番乗りだぜー! あれ? おーい。マリアちゃーん。早くこっちに来てちょうだいよ。他のスケベな高官様に裸を見られたくないでしょ? ほれほれ、こっちへお越しくだせえな」


 マリアはアキレウスの手で脱衣所に連行され、服を脱がされ――無論、パリスとアキレウスがそれを見ていたわけではない――タオルを巻いて混浴させられることとなってしまった。


「お、いいねえ。白いお肌に黒くて長い髪、それとうるんだ黒目に女性らしい体のライン、いやぁ、眼福眼ぷ……」


 だが、アキレウスの飄々ひょうひょうとした態度もここまでだった。半ば強引に混浴させられたマリアににらみつけられると、蛇ににらまれた蛙のようにすくみあがり、しばらくは口まで湯船に浸からせ水面をブクブクとさせて、その場を凌ごうとし始める。


「マリアさん。そいつを許してやってくれませんか。多分、あなたの裸体が他の方々の目に入らないように配慮したのは本当でしょうから」


 まだ水面をブクブクさせているアキレウスが、そのままの態勢に首を縦に振る。そして、次に右隣に座るマリアの眼をちらりと、愛玩あいがん動物のように可愛い目付きでジッと見つめだした。


 はぁ……。もう、いいや。許してあげよ。


 いつまでも見つめられては敵わないと、マリアは小さく「もう、こんなことしないでくださいね」と呟いた。すると、


「あぁ、ありがとうございます。マリアさま! あぁ、あなたはまるで女神さまみたいに優しい御方!」とアキレウスが、マリアを褒めちぎる。


「は、はは……そうですか」と、マリアがそれに引きつった顔で応じた。


 この時のマリアは、アキレウがこれ以上わけの分からないことを言い出すことはないだろう、と本気で思っていた。彼だって心の底から反省しているに違いないのだから、まさかこれまで以上のとんでも発言をするはずがない、と。


 だが、マリアは見込みは甘かった。甘すぎたのだ。


「あぁ、なんか今日はすぐにのぼせちまったなぁ」


 突如、アキレウスがそんなことを言い出したかと思えば、


「パリス。僕、今日はもう上がるわ。マリアちゃんのこと、よろしく!」


と言い残して風呂場から出ていこうとしたものだから、さあ大変。


 え? パリスさまと二人きり?


 おい、アキレウス! 俺だけで、これからいったいどうしろというのだ!?


 かくして二人は最後までアキレウスのてのひらで転がされた挙句、風呂場で二人きりにさせられたのであった。

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