第3話 異端を滅するもの

 その数、およそ二十名。彼らが放つ雰囲気は、ハシュマル機関の戦闘員とも、ましてや警察や自衛隊とも明らかに違う。言うなれば異質。冷徹で、非情で、そしてどこか神聖さすら感じさせる、矛盾したオーラを纏っている。


「あれは……聖槍騎士団!」


 氷川さんが、苦々しげに、それでいてどこか納得したように呟いた。


 ああ、思い出した。聖槍騎士団。大学での一件でその存在を目の当たりにして以来、その名が妙に頭の片隅に引っかかっていた。あの時、彼らはイタリア語かラテン語らしき、僕には解読不可能な言語を話していた。橘さんの説明によれば、ハシュマル機関とは異なる理念でアノマリーに対応する、ヨーロッパを拠点とする古の組織だという。時には協力し、時には敵対する、と。


 騎士団を率いる、おそらくは副リーダー格であろう、長身の女性・・がヴァルガへと向かって何かを叫んだ。やはりイタリア語かラテン語か。全ては分からないが、その語調から察するに、『やめろ』と言っているに違いない。彼女の傍らには、大学で見た、いかにも隊長格といった風情の男性もいる。


 ヴァルガは、その呼びかけに応じるでもなく、ただ静かに腕を振り上げた。


 瞬間、騎士団の一団がいた場所に、凄まじい爆発が起こる。いや、爆発というよりは、空間そのものが内側から歪み、炸裂したかのようだった。


 しかし、騎士団は無傷だった。彼らは爆心地から僅かに後退しただけで、何らかの防御障壁を展開していた。障壁は半透明のドーム状で、ヴァルガの攻撃を受けて激しく振動している。


 いつの間に移動したのか、騎士団の半数、十名がヴァルガを半円状に取り囲んでいた。彼らは既に、何らかの呪文のようなものを唱えている。そう認識した刹那。


 ――ドンッ


 鼓膜を突き破るような爆音。同時にヴァルガの巨体が宙を舞う。それは決して優雅な舞ではなく、砲弾の如く吹き飛ばされ、渋谷駅の駅ビル三階付近の壁面に激突した。内臓にまで達するダメージを負ったのか、ヴァルガはおびただしい量の血を吐き出す。


 形勢不利と判断したのか、地面に着地したヴァルガは、煙のようにその姿を掻き消した。


 後に残されたのは、大規模な空襲でも受けたのかと見紛うばかりの、渋谷スクランブル交差点の惨状だった。


「……すごい」


 思わず、そんな凡庸な感想が口をついて出た。彼らは古武術と最新技術を融合させた、僕の知らない戦闘術で、あのヴァルガと互角以上に渡り合ったのだ。異能のエネルギーを吸収し、反射する盾。異能を部分的に中和するフィールド。そのどれもが、科学一辺倒に見えるハシュマル機関とは、全く異なるアプローチの産物だった。

 二つの部隊を、一人の壮年の男が冷静に指揮していた。厳格な顔つき。騎士団の伝統的な正装なのだろうか、星図や聖印が刺繍された深紅のローブを身にまとっている。彼こそが、この部隊の、あるいは騎士団そのものの長なのだろう。


「あれが聖槍騎士団のリーダー……」

「ああ、彼の名はアルビレオ」


 僕の呟きに、氷川君が即座に答えた。


 アルビレオは先程の戦闘中、ふと、こちらを一瞥した。僕が念動力サイコキネシスで仲間を瓦礫から守った、その瞬間を、確かに見ていたのだ。その瞳は、何かを確信したような、あるいは、僕という存在の価値を冷徹に値踏みするかのような、鋭い光を宿していた。



 それから数時間後。夜の帳が下りた渋谷は、不気味な静けさと、戒厳令下にあるかのような緊張感に包まれていた。僕たちは、ハシュマル機関が渋谷の地下街に確保した臨時対策本部の一区画にいた。医療設備や多数のモニターが慌ただしく持ち込まれ、喧騒と混乱の中にも、かろうじて組織としての機能が維持されている。もちろん、自衛隊や警察とは隔離された空間だ。


『――聖槍騎士団は、目的不明かつ我々の管轄を無視して行動する、極めて危険な過激派組織だ。彼らの目的がヴァルガの排除であったとしても、決して信用してはならない』


 小型モニターに映し出された橘さんは、僕、引野さん、相葉の三人にそう断言した。彼の表情は険しく、今回のテロと、それに乗じて現れた騎士団の存在に、強い警戒心と苛立ちを隠せないでいる。

 その時、分析チームから緊急報告が入った。今回のテロと同時刻に、世界各地で小規模ながら類似の異能事件や原因不明のシステム障害が頻発している、と。


『……「観測者」は、単独犯ではないということか。これは……過去に何度も文明を脅かしたとされる、未知の脅威……「大いなる災厄」の先兵である可能性が高い……』


 橘さんの口からこぼれた言葉の重みに、僕たちは息を呑む。歴史の授業で「大いなる災厄」などという単語は聞いたこともない。とはいえ、歴史の教科書なんてものは、時の権力者が都合の良いようにいくらでも改変できるのだから、頭から信用できるものではない。つまり、情報は錯綜しており、一切の確証はない。だが「大いなる災厄」という不穏な字面だけで、その絶望的な規模は何となく想像がつく。その可能性を示されただけで、背筋が凍る思いだった。

 事情聴取が一段落したその時、ずっと黙って壁際に佇んでいた氷川君が、橘さんに向かって進言した。


「橘さん。聖槍騎士団に関しては、私に独自の調査ルートがあります。少し、時間をいただけませんか」

『……氷川君。君の独断専行は目に余る。だが、今は藁にも……いや、悪魔にでも魂を売らねばならん状況か。いいだろう、許可する。だが、逐一報告を怠るな』


 橘さんの猜疑に満ちた視線を、氷川君はいつものポーカーフェイスで受け流し、一礼すると、僕たちに一瞥もくれることなく部屋を出て行った。



 都心に古くから存在する、ゴシック様式の教会。テロの喧騒が嘘のような静寂に包まれたその聖堂に、氷川怜はいた。ステンドグラスから差し込む月光が、彼の銀髪を幻想的に照らし出している。

 祭壇の影から、音もなく一人の男が姿を現した。あの、聖槍騎士団を率いていた壮年の男、アルビレオだ。


「……待っていたぞ、怜。息災であったか」

「あなたこそ、アルビレオ。相変わらず、神出鬼没ですね」


 二人の間に流れる空気は、敵対的なものではない。むしろ、そこには師弟、あるいは親子に似た、特殊で、そして深い信頼関係が確かに存在していた。


「単刀直入に聞こう。例の「鍵」の反応はあったか? 我々の予見通りか?」


 アルビレオの重々しい問いに、氷川はわずかに目を伏せる。


「……まだ確証はありません。しかし、対象――神代那縁のポテンシャルは計り知れない。予想以上の「力」を秘めているやもしれません。ですが、あまりにも未熟です。あれは、まだ自らの力の意味も、その使い方さえも理解していない」

「それでいい。磨かれすぎていない刃こそが、時に最も深く突き刺さる」


 アルビレオは満足げに頷くと、懐から小さなデータチップを取り出し、氷川に手渡した。


「これを。我らが知り得た「観測者」と「災厄」に関する最新の情報だ。ハシュマルの猿どもに解析できるかは分からんがな。……怜よ。予言の刻は近い。それまで、若獅子を見守り、そして導くがいい。我らの、そして、お前の両親の悲願達成のために」


 アルビレオはそう言い残すと、再び影の中へとその身を溶かすように消えていった。

 残された氷川は、データチップを強く握りしめる。その表情は硬く、何か重い決意を秘めた、苦悩の色が深く刻まれていた。



 臨時避難施設の一室で、僕は一人、窓の外の、復旧作業が始まったばかりの渋谷の夜景を、ただぼんやりと見つめていた。そこに、氷川君が音もなく戻ってきた。


「神代君」

「……氷川さん。調査は」

「ああ。これが、その成果だ」


 彼はそう言うと、無言でデータチップを差し出した。


「橘さんには内密に。君ならこれの「本当の意味」が分かるかもしれない」


 彼の低い声が、やけに静かな部屋に響く。

 僕は困惑しながらも、差し出されたそれを受け取った。氷川君は、僕の返事を待たずに、背を向けて部屋から立ち去ろうとする。その背中は、僕が今まで見てきたどんな人間よりも、重いものを背負っているように見えた。

 僕は手のひらの上にある、小さく軽い、しかし途方もなく重いデータチップをただじっと見つめていた。

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