第2話 黎明の騎士

文書識別コード:TKYーShibuyaーValgaー001


事象発生日時:西暦202X年8月X日14時02分(JST)


事象発生場所:東京都渋谷区道玄坂2丁目 渋谷スクランブル交差点及びその周辺一帯


報告担当部署:ハシュマル機関極東支部 緊急対応課/情報分析課合同


初期脅威評価:レベル5(緊急事態/広域災害級アノマリー顕現)


追記(14時35分):脅威レベルをレベル6(終末的脅威/世界規模の危機に発展する可能性)に暫定的に引き上げ。対象の破壊規模、影響範囲の拡大速度が予測を大幅に超過。詳細は補遺004及び005参照。


1.事象概要

 東京都渋谷区の渋谷スクランブル交差点において、コードネーム「ヴァルガ」とされる未確認の異能行使個体(以下、「対象X」と呼称)が出現。無差別かつ大規模な破壊活動を開始した。対象Xは、既存の物理法則を無視したと推察される念動力、あるいはそれに類する未知の原理に基づく広範囲攻撃能力を保有し、建造物の倒壊、車両の破壊、多数の死傷者を発生させている。本報告は、対象Xの出現から初期対応、及び関連する異常現象の観測記録である。


2.対象Xに関する初期情報及び特徴

2ー1.外見的特徴:長身、屈強な体躯を有する男性個体と推測される。黒色の外套様の衣服を着用。顔貌に関するデータは現時点において不明瞭。


2ー2.確認された能力:

・強力な遠隔破壊能力:対象Xを中心とした広範囲において、建造物、車両、人体等を物理的に破壊、圧壊、爆砕させる。エネルギー放出や弾丸等の飛翔体は確認されておらず、不可視の力場形成によるものと見られる。

・防御能力:通常兵器による攻撃(現場警察官による拳銃発砲等)の効果は確認されていない。物理的攻撃に対する高い耐性、あるいは何らかの防御障壁を展開している可能性が示唆される。

・移動能力:高速移動や飛行能力は現時点では未確認だが、その破壊行動は広範囲に及んでいる。


2ー3.行動パターン:特定の目標を指向している様子はなく、無差別な破壊活動を継続。コミュニケーションの試みは現時点において不可能と判断。その行動原理は不明であるが、極めて高い敵対性と破壊衝動が認められる。


3.被害状況(第一次報告時点)

・死亡者:多数(推定数百名以上、現在も増加中)

・負傷者:甚大(推定数千名以上)

・建造物被害:渋谷駅周辺のビル群に大規模な倒壊、半壊が多数発生。渋谷スクランブル交差点は壊滅状態。

・インフラ被害:電気、ガス、水道、通信網が広範囲で途絶。交通網は完全に麻痺。


4.ハシュマル機関による初期対応

14時05分:極東支部にて第一報を受信。全部隊に非常招集を発令。

14時10分:現場に居合わせた協力員、神代那縁(コードネーム:サイファー)、引野知子、相葉陽太の三名に対し、先行調査及び避難誘導の緊急任務を付与。同行していた氷川怜調査員が指揮支援にあたる。

14時20分:現場状況の著しい悪化を確認。上記チームとの通信が一時途絶。

14時30分:対象Xの脅威レベルを再評価。応援部隊の派遣準備及び、他組織との連携を模索開始。


5.特記事項

・対象Xの出現とほぼ同時刻、所属不明の武装集団(便宜上「グループS」と呼称)が現場に介入。グループSは対象Xと交戦状態に移行した模様。グループSの装備、目的、対象Xとの関連性は現在調査中。その装備の意匠から、聖槍騎士団(サンクタ・ランツェア・オルド)である可能性が指摘されている。

・対象Xより観測されたエネルギーパターンは、過去のいかなるアノマリーとも一致しない特異な波形を示す。これは「大いなる災厄」との関連性を示唆するものであり、最大限の警戒が要される。


6.今後の対応方針(暫定)

・人命救助及び避難誘導を最優先事項とする。

・対象Xの能力、行動原理、脆弱性の分析を継続する。

・グループSの正体と目的を特定し、可能であれば接触を試みる。

・「大いなる災厄」との関連性を徹底的に調査し、被害拡大の阻止に全力を挙げる。


報告者:ハシュマル機関極東支部情報分析課[編集済]



 カフェの窓ガラスが、耳をつんざく轟音と共に粉々に砕け散った。ほんの一瞬の出来事だった。いや、正確な時系列を記述するならば、轟音と衝撃波が僕の鼓膜と全身を打ったのが先か、それとも視界が真っ白な粉塵に染まったのが先か。そのあたりの前後関係は、正直なところ判然としない。なにせ、僕は所詮、この忌むべき異能を抱えながら、平穏という名の薄氷の上をかろうじて歩んできたに過ぎない、ただの大学生なのだ。このような非日常的カタストロフに対する精神的耐性など、持ち合わせているはずもないのだから。


 ヴァルガの動きを止めるべく発動させようとした僕の念動力サイコキネシスは、その圧倒的な暴力の前に、瞬時に霧散した。ヴァルガは僕の矮小な抵抗を予測し、それを嘲笑うかの如く、この一撃を放ったのだろうか。ただ、結果論で言えば、僕のそのささやかな抵抗のおかげで、直撃コースであったコンクリートの塊の軌道がわずかにずれ、僕たちは即死を免れた。そう考えることでしか、この胸に去来する無力感を正当化できない。


 それでも、細かいコンクリート片やガラスの破片が、防ぎきれなかった衝撃波に乗って襲い掛かってくる。大きな一枚ガラスは、もはやその原型を留めていなかった。


「――那縁君! 引野さん! 相葉君! 伏せろ!」


 破壊の雨が降り注ぐ中、氷川さんの鋭い声が、呆然としていた僕の意識を無理やり現実へと引き戻した。彼の声には、普段の、人間味を削ぎ落としたかのような態度は微塵もなく、切迫した響きだけが満ちていた。

 言われるがまま、僕は反射的にテーブルの下へと身を滑り込ませる。頭上を何かが掠め、背後の壁に叩きつけられる鈍い音が響いた。破片だろうか。それとも、もっと質量のある何かだったのか。

 引野さんと相葉も、ほぼ同時に床に伏せていた。引野さんは相葉を庇うような体勢を取っている。こういう極限状況において、彼女の行動は実に迅速かつ適切だ。それに比べて僕は、ただただ狼狽えるばかり。自己嫌悪という名の黒い靄が、心の隅でとぐろを巻いていく。


「ぐっ……!」


 遅れて、全身を襲う鈍い衝撃。念動力サイコキネシスで咄嗟に防御壁を展開しようとしたが、避けきれなかった大きめのコンクリート片が背中に激突した。そもそも僕の未熟な能力で、あの天変地異の如き破壊を防ぎきれる道理がないのだ。耳鳴りが酷い。視界がちかちかと明滅する。埃と、何かが焦げる異臭が鼻をついた。


「神代君、大丈夫!?」


 引野さんの声だ。彼女は僕のすぐそばまで這い寄ってきて、心配そうに顔を覗き込んでいる。


「……なんとか。引野さんと相葉は?」

「俺たちは平気だ! それより、外はどうなってんだ!?」


 相葉の声に促され、僕は恐る恐る顔を上げた。


 そこは、変わらず、いや、数瞬前よりも地獄だった。いや、地獄という陳腐な言葉ですら生ぬるい、あらゆる秩序が死滅し、ただ破壊という意思だけが物理法則として君臨する異界の縮図だった。


 先程まで人でごった返していたはずのスクランブル交差点は、見る影もなく破壊し尽くされていた。ビルはへし折れ、自動車は燃え上がり、アスファルトは抉れている。悲鳴と怒号、そしておそらくは断末魔の叫び。それらが渾然一体となって、僕の鼓膜を、そして正気を嬲る。


 そして、その惨状の中心に、あの男――ヴァルガがいた。


 黒い外套を翻し、ただそこに佇んでいる。それだけだというのに、その存在感は、周囲の空間そのものを歪めているかの如く圧倒的だった。彼が腕を振るうのか、あるいは視線を向けるのか、その動作すら判然としないうちに、周囲のものが次々と、あまりにも呆気なく破壊されていく。あれは、力だ。あまりにも純粋で、あまりにも強大な、破壊の権化。


「……マジかよ」


 相葉の掠れた声が、僕の胸中に渦巻く絶望を的確に代弁していた。


 氷川さんは延々と、機関と連絡を取り合っている。その表情は険しく、額には脂汗が滲んでいた。


「状況を報告しろ? は? こっちは被害甚大だ、応援はどうなってる! ……なに!? 既に別の部隊が交戦中だと……?」


 氷川さんの言葉が途切れる。その視線の先を追って、僕は息を呑んだ。

 交差点の一角から、黒煙を切り裂くようにして現れる集団がいた。


 統一された漆黒の戦闘服。その手には、大学で遭遇した黒覆面たちが持っていたものと同系統と思われる、しかしより洗練され、どこか古めかしい意匠すら感じさせる、明らかに殺傷力の高そうな武器。あの時と同じ、異様なプレッシャーを放っている。彼らは、寸分の乱れもない統制された動きで展開し、ヴァルガへと銃口を向けた。

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