第14話【快楽の罠】——黒い手招きに誘われて

翌日。

昼休み、ふたりは行きつけの定食屋でランチを取っていた。


「まだまだ痩せたいならそりゃ運動でしょ?でもあのインナー着て運動するの?」


直美が、大好きな唐揚げにレモンをかけながら口を開いた。


「うん、そのつもり♡」


葵は、単品の白菜キムチを豚キムチ定食に上乗せしながら笑った。

「はは…外で着るのはあんまり目立たないようにしなよwあと、会社には絶対着てこない方がいい。これは先輩として忠告。」


直美はやや真剣な眼差しで言った。インナーの光沢ある見た目を、あまり快く思っていないようだった。


「…うっ…さすがに会社には着て来んよ…。た、多分。」


「だめだからね!」


最後は笑顔で返す直美に、葵は小さく苦笑した。


* * *

金曜日の夜。

モニターアンケートの回答をしようと思ったが、期限は翌日まで。ちょうど翌日、インナーを着てランニングを試す予定だったので、記入は後回しにした。


* * *

土曜日の朝。

晴天。澄んだ空気。少し肌寒い春の朝。

葵は早朝から入念にストレッチを行い、タンスから運動着を引っ張り出した。

インナーのタンクトップ部に、白のゆったりしたメッシュタンクトップを重ね、下はグレーのショートパンツ。

太腿には、黒く光沢を帯びたインナーのスパッツ部分が覗いていた。


髪はスポーティにポニーテールにまとめる。「自分を変えたい」——そう、何度も言い聞かせながら。

まずはウォーキング。インナーがいつものようにキュッ、シュッと音を立てて葵の身体を包む。


次に、ランニングへ。


走り出して、数分。

胸の下に、締めつけられるような圧迫感を覚えた。呼吸が浅くなる。喉の奥がふさがれるような感覚。


——その時だった。

胸の中心に、チクリとした感覚。


(……えっ?)


地面を蹴るたびに、インナーが胸の突起部分を擦る。汗で布地が滑りやすくなっていたのか、それが確実に“触れて”くる。


「…あっ…う…!!」


(ちょ、うそ、なんで……?)


それだけではなかった。

脚の付け根——股のあたりにも、妙な圧迫感が走る。

インナーの布地が、そこを包み込むように動いていた。

普段は気にならない感触が、今ははっきりと“刺激”になっていた。


「ちょっ…あふ…!」


(やば……あそこ、当たってる……っ)


一歩ごとに、インナーが撫でてくる錯覚。葵の顔が熱を持つ。

外だというのに、呼吸が乱れ、足元がふらつく。太腿が震える。次の一歩を出すのが怖い。

視界に飛び込んできたベンチへ、足が吸い寄せられるように向かう。

倒れこむように腰を下ろし、前かがみで大きく息を吐いた。


「……っ、はあ、は……」


胸が上下し、インナーが布越しに突起した乳首を撫でてしまう。

股間の布地も、肌に吸い付き、逃れようがなかった。


(なんで……こんな、外で……っ)


幸い、周囲に人の姿はなかった。

それでも羞恥と快感が交錯し、心臓が壊れそうに脈打っていた。

しばらくしてようやく感覚が落ち着く。


「……あほ、なにやってるっちゃ、あたし……」


額の汗がタオルで拭ってもぽたぽたと膝のスパッツ部分に滴り落ちていた。

葵は胸に手を置いて深呼吸を繰り返す。

そして、ゆっくりと立ち上がった。


だが、立ち上がった瞬間、インナーは再び締め付けを強めていく。

まるで「待て!」と命令されているようだった。


ギチチチチ…ギュギュ…ミチ…


(ちょ…待っ…これ、きつすぎ…)


急激な伸縮。

背筋が強制的にピンと伸ばされ、葵の身体は一瞬反り返った。


「…う…くっ…」


酸素を求めて口が大きく開く。それでも肺には十分に行きわたらない。

胸が圧迫されて、呼吸が小刻みになっていた。

もはや、とても走れる状態ではない。


(この締め付けの強さ…汗…?)


街路樹のベンチに座ったまま、木陰で汗が引くのを待つ。

呼吸のたびに、全身が軋んだ。

タオルは汗でびちゃびちゃと音を立て、つけもの石のように重くなっていた。


(苦しい…息が…)


公園を散歩する人はまばらだったが、誰かに見られても気にされないようにふるまうのも一苦労だった。

時計の秒針が二巡りほどして心身がようやく落ち着いたころ、身体の汗もようやくひいた。


それに合わせるかのように、インナーの極端な締め付けは収まっていた。


「ふぅ…これなら何とかいける」


葵は走ろうとはせず、ゆっくり歩いて帰宅した。

脱ぐとき、汗が残るインナーはやや手間取った。

部屋着に着替えた葵はソファーで天上を見上げていた。


(……インナーがまるで…あたしの汗を…)


そんなわけない。理性では否定していた非現実的な考察。

だがそれが一番納得できる理由だった。


「なんか…汗を、餌にして喜んでいるみたいやった…」


思わず出たため息に、肺が正常に機能していることに少し安心する。


直美に相談しようか迷ったが、心配させそうでやめた。

それに、直美が勧めた手前、罪悪感を感じさせそうだった。


(…まあ、ちょっと変わった衣服なのは分かってたけん…)


葵は何故か嬉しそうに口角を上げていた。

葵は鏡の前に立ち、自分の口元が緩んでいることに気付いた。


(あたし…また、あんな風に締め付けられて…)


顔をブンブンと横に振った。

改めて鏡を見ると、身体のラインは整っている。肌も張りがある。

だけど、どこか、まだ足りない気がしていた。

満たされたはずの身体の奥に、何か小さな空洞が残っているような——そんな感覚だった。


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