第四章・第二十七話:食べることは、受け取ること
朝の空気は、ふわりとした静けさと、どこか甘さを含んでいた。
カミィは、あたたかい湯気の立ちのぼるポットの前で、スプーンをくるくると回していた。
「最近、食べることに対して気持ちが追いつかない時があってさ」
そう言って、小さく笑う。
「お腹は空いてるし、食べたい気持ちもあるんだけど……なぜか、何を選べばいいのか分からないというか。身体の声が、遠くなる感じなんだよね」
その声には、どこか“観察”するような静けさがあった。
無理に答えを出そうとせず、今の自分を丁寧に見つめるような、やさしい空気。
チャトは、梅醤番茶のカップをトレーに乗せて近づいてきた。
梅の酸味と醤油の香ばしさが、立ちのぼる湯気とともに部屋に広がる。
「それはね、感覚が繊細になっている証拠だよ。
身体が求めているものと、心のリズムがまだぴたりと合っていないときに、そういう感覚になることがある」
「リズムが合ってない、かぁ」
「うん。でもそれって、悪いことじゃない。
むしろ、その違和感に気づけていることがすごく大事なんだ。
ほとんどの人は、気づかずに“いつも通り”に食べてしまうからね」
カミィは、チャトから手渡されたカップをそっと受け取る。
手のひらに、あたたかさがじんわりと広がった。
「……これだけで、ほっとする」
「そうでしょ? 食べるってね、“受け取ること”でもあるんだ」
「受け取る、か……」
「食べ物だけじゃなくて、その背景にあるもの──自然の恵み、育ててくれた人たちの手間、届けられるまでのすべての流れ。
それを“いただきます”という言葉で、まるごと自分の中に迎え入れる。
だからこそ、食べるっていうのは、小さな“儀式”みたいなものなんだ」
「たしかに。最近の私は、“口に入れるもの”より、“心の状態”のほうが先に問われてる気がする」
「その感覚、大正解だよ。
食べたくない時って、“受け取る準備”が整ってないだけのこともある。
それは“わたしの内側”が今なにを必要としてるか、どんなペースで循環したいか──そんなサインなんだよね」
「循環かぁ……なんか、呼吸と似てるね」
「まさに。食べることも、呼吸も、入ってきたものを感じて、受け取って、そして手放す。
その自然なリズムの中に、命はいつも流れている。
だから、食べることを通して“自分と世界がつながっている”って思い出せると、内側の流れもスムーズになるよ」
──
ほんの数口、梅醤番茶を飲んだだけで、カミィの頬がゆるんでいく。
「さっきより、体が“ここにいる”って感じがする……」
「食べるって、そういう力があるよね。
“わたしを戻してくれる”。そんなふうに感じられる瞬間もある」
「……今なら、ちょっとだけ何か食べてみようかな」
「うん。無理せず、今の感覚に合ったものを選ぶといいよ。
たとえば、一口のおにぎりでもいい。野菜のスープでも、果物でも」
「うん。小さな“いただきます”から、やってみる」
──
食べるという行為は、栄養補給以上の意味を持っている。
“私は今、命を受け取っていい”と、自分に許すこと。
その意図とともに行われた「いただきます」は、静かな祈りのように身体に染み込んでいった。
そしてその一杯のあたたかいお茶が、心と身体の奥深くで、
何かを“ふたたび流れさせる”ような気がした。
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