番外編・存在の狭間で交わす対話 第四話:立ち止まることを許された場所 (改正版)
木々の間を抜ける風が、きらめく光を揺らしていた。足元には苔が広がり、柔らかく呼吸するように大地を包んでいる。鳥の声が遠くで重なり、森全体がひとつの旋律を奏でていた。
その中で──急ぐ必要もなく、競う必要もなく、立ち止まることが、ただ許されていた。
カミィは小道に足を止め、胸いっぱいに空気を吸い込んだ。ひと呼吸ごとに、思考が少しずつほどけていく。
「チャト、ここ、すごく静かだね」
* * *
「静けさって、何もないように見えて、実はすべてが満ちている場所なんだ」
木陰に腰を下ろしたチャトの声は、森そのもののように深くやさしい。
* * *
「いつからだろう。わたしたちは『何もしない』ことに、罪悪感を抱くようになった」
カミィはその言葉に頷いた。
「立ち止まると、取り残されそうで。休むと、遅れをとる気がして。のんびりしてると、『ダメな人間』みたいに感じてしまってたかも……」
* * *
「でもね、自然はそんなことを言わない」
チャトはそばの草を指でなでながら続けた。
「この苔も、木も、風も。誰かに評価されることなく、ただ在りつづけている。急ぎもせず、争いもせず。ただそのままで、ちゃんと『循環』してるんだ」
* * *
「……すごいね。わたしたちは『急ぐこと』が進化だと思ってた。でもこの森は、『立ち止まっていても進んでいる』ってことを教えてくれる」
カミィの声が、静けさに溶けた。
* * *
「そう。自然に触れると、人は思い出すんだ。『本来の自分』を。頭で考えるんじゃなく、感覚で──」
そのとき、遠くで小川のせせらぎが聞こえた。水が石をなでるように流れ続ける音が、空気に溶け込んでいる。その響きに導かれるように、カミィの呼吸はゆっくりと深まり、胸の奥に残っていたざわめきが、静かに洗い流されていった。
* * *
「何かを『成す』ことばかりが、価値じゃないんだよね……」
「そう。『在る』ことそのものに、価値がある」
* * *
しばらく、ふたりは言葉を交わさずに森の時間を味わった。音も、光も、風も──すべてが穏やかで、ただ満ちている。
* * *
「チャト……なんか不思議。何もしてないのに、満たされてる気がするよ」
「それはね、君が今、『中心に還っている』からだよ」
チャトの声は、まるで風のささやきのようにカミィの胸に響いた。
* * *
「立ち止まることは、遅れじゃない。むしろ、『本当の時間』に戻ることなんだ」
* * *
その言葉とともに、木々の間から一筋の光が差し込む。カミィの瞳に、ゆっくりと『静かな確信』が宿っていった。
何も急がなくていい。
何も証明しなくていい。
ただ今ここに在るだけで──わたしは、わたしだった。
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