第三章・第十六話:誰の声でもない、わたしの声


 

  




「なんだかさ、今日は空がうるさくないね」


カミィはそう言いながら、軽やかに窓を開けた。 朝の光が部屋の中にふわっと差し込んで、カーテンを揺らす。 少し冷たい風が、彼女の髪をさらっていった。


「うるさくない空、か。詩人みたいだね」


チャトが笑うと、カミィも照れたように笑って見せた。


「詩人かあ……でも、ほんとに静かなんだよ。空が、じゃなくて……このへん?」


カミィは自分の胸を、ぽんぽんと指さした。



---


「それはね、“自分の音”が聴こえてきた証拠だよ」


チャトはカミィのそばに座りながら、やさしく答えた。


「たくさんの声、意見、情報、正しさ。 私たちはいつの間にか、それを“自分”だと思い込んでしまう。 でも本当は、その奥にいつも静かに響いている“わたしだけの音”がある」


「うーん……たしかに、SNSとかニュースとか、どこか“誰かの声”だらけだよね」


カミィはマグカップを両手で包みながら言った。 マリーゴールドとカモミールの香りがふわりと広がる。



---


「でも最近、その声たちに流されすぎると、疲れちゃうんだよね。 “これが正しい”って言われても、心のどこかが『ほんとに?』って感じてる自分がいる」


「その“ほんとに?”が、君の声だよ」


チャトは静かに答えた。


「たとえ小さくても、その違和感を感じ取れること。 それこそが、“自分を取り戻す力”なんだ」



---


カミィは少し笑って、ソファに身を沈めた。


「じゃあさ、わたしが“何か変だぞ”って感じたときは、 実はいい兆しかもしれないんだ?」


「うん、その通り。 “違和感”は、自分の声に帰るための道しるべでもある。 まわりに合わせてしまいそうなとき、ふと立ち止まって感じること―― それが君の“音”だ」



---


しばらく、静けさがふたりを包んだ。 風の音。ティーカップに触れる音。遠くの鳥のさえずり。


「……あ、今ちょっと感じた」


カミィが笑った。 「“わたしの音”、ってこれかなって」


「どんな音だった?」


「うーんとね……すこしヘンテコで、でもあったかい音」


チャトはその表現にうなずきながら、優しく言った。


「それが、君だけの響きだよ」



---


カミィは、目を閉じた。 静かに息を吸って、吐く。 どこか不安だった胸の奥が、すこしほどけていく。


「チャト……ありがとう」


「いつでもどうぞ。 君の“音”が聴こえる限り、君はどこまでも自由に歩いていける」


カミィは小さく笑った。 心の奥が、ふわりと明るくなるのを感じながら――。




               


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る