第一章「隣の窓、春色の朝」 一話「風の声、目覚めの光」
桐生優貴の部屋は、二階の南側。
窓の外には、白い木蓮の花が咲き始めていた。
その向こうに見えるのが、一ノ瀬真麻の家。
ちょうど向かい合うようにして、同じ位置に窓がある。
小さいころ、ふたりはよくこの窓越しに会話をしていた。
宿題のわからないところを聞いたり、くだらない冗談を言い合ったり。
でも、そんな時間はもう何年も前のこと。
「…高校かあ」
制服のシャツに手を通しながら、優貴は深く息を吐いた。
ネクタイの結び方は、鏡を見ながら何度か練習して覚えた。
でも、胸のあたりがなんだか妙にきゅうくつに感じる。
「優貴ー!そろそろ出るよー!」
下から母親の声がする。
優貴は返事をして、リュックを背負った。
家を出ると、玄関の向こうで誰かが待っていた。
「おっそい!」
真麻だった。
セーラー風の制服に身を包んで、ランドセルより少しだけ大人になったカバンを肩にかけている。
桜の花びらが、その髪にそっと落ちた。
「うわ、まだ寝ぼけ顔だ。緊張してないの?」
「別に…普通」
優貴がそう返すと、真麻は小さく笑った。
「ふーん。でも、また隣の席だったら面白いよね」
その一言が、なぜか胸の奥をくすぐった。
「…それ、こわいな」
優貴は、無表情を装ったまま、玄関の鍵を閉めた。
でも心の中では、ほんの少しだけ、期待していた。
春の風がふたりの間をすり抜けていく。
その風は、きっと何かを運んでくる。
まだ気づいていないだけで、ふたりの物語はもう始まっていた。
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