不忍図書館

久しぶりに残業が立て込んだ、もう終電なんかない。実は経費で落ちるしタクシーで帰ろうか

「……現実の静かな場所に行きたい」

どうせタクシーを使えるのだからそんな気持ちが、不意に湧き上がった。指が動き、社内のチャットアプリを開いて、佐川にメッセージを送る。

――すみません、今夜って……眠れない時、どこか行ったりしますか?

送信ボタンを押すと、すぐには返事は来なかった。やや間を置いて、画面に返信が現れた。

――不忍図書館、知ってますか?たまに行きます。今からでも、来ますか?

白葵の心が少し弾んだ。


駅から深夜なのに10分ほど歩いて、「不忍図書館」へ向かう。名前に反して不忍池の近くにもない看板に偽りありまくりな図書館だが、17時に閉まる銀行や根性なしの公共施設ばかりの東京で、いや日本で唯一ともいえる24時間営業の図書館。、東京の喧騒から一歩離れた静けさをまとっていた。

入り口のガラス扉の前に、佐川が立っていた。控えめな灯りに照らされて、彼の顔がぼんやりと浮かんでいる。

「来るって、思わなかったです」

佐川の声は驚き混じりだった。

「……自分でも、思わなかった」

白葵はぎこちなく笑って答えた。

 

白葵と佐川が図書館のガラス扉を押し開けようとしていると、向こう側から美晴が現れた。両手に数冊の本を抱え、にこやかに二人に気づく。

「わあ、こんな時間に図書館にいるんだ。勉強?仕事の資料探し?」

白葵は少し驚きながらも、静かな場所で過ごしたい気持ちを隠せずに答えた。

「あ、はい。…ちょっと静かに本を読みたくて」

佐川も頷きながら続ける。

「自分もです。たまに来るんですよね」

美晴は楽しそうに微笑んで言った。

「そうなんだ。実は私も最近ハマってて。みんなが見てない時間帯だから落ち着くよね」

三人の間に、言葉にしなくても伝わる穏やかな共有感がふわりと漂う。互いに同じ静かな空間を愛する気持ちが、自然と結びついていた。

美晴は軽やかに笑いながら振り返る。

「じゃあ、またどこかで会いそうだね。静かな場所で」

その言葉を残し、美晴は静かに図書館の外へと歩いて行く。扉の向こうに消える背中を見送りながら、白葵と佐川は顔を見合わせ、ほっと微笑み合った。

そして、静かな夜の図書館の中へと一歩踏み入れた。



館内に足を踏み入れると、木の香りと静謐な空気が満ちていた。螺旋階段の細かな音だけが響き、遠くで誰かがキーボードを打つ音が静かに流れている。

二人は自然と小声になり、無言のまま木製の仕切りで区切られた席に並んで座った。

それぞれ本棚へ向かい、佐川は「感情と脳科学」の専門書を手に取り、白葵は薄く古びた詩集を選んだ。

「変な取り合わせですね」

佐川が顔を上げて言う。

「……そういうの、落ち着くんです」

白葵は静かに答えた。

「……僕もです。意味が全部、わからなくていいって」

言葉少なに、でも確かな共感が二人の間に流れた。

しばらくして、白葵が口を開く。

「……一人で来てたんですか、いつも」

佐川は少し間を置いてからうなずいた。

「ええ。でも、寂しいのと、落ち着くのって……紙一重で」

「……うん、わかる」

そのまま二人はしばらく沈黙を共有した。

やがて佐川がぽつりと言った。

「一緒に本を読むのって、こんなに静かでいいんですね」

白葵は微かに笑みを浮かべて答えた。

「……うん。静かだけど、何かある感じ」

図書館を出た帰り道、不忍池の水面が夜風に揺られ、星明かりを映してきらめいていた。

佐川がふと口を開く。

「……また、来てもいいですか?」

白葵は立ち止まり、彼の瞳を見て答えた。

「……はい。次は、詩の本も貸します」

二人の間に静かな時間が、ゆっくりと流れ始めていた。

――ここは、言葉にならないものがそっと通じ合う場所。

そんな夜だった。



ちなみに、若い男性社員と女性社員と終電を逃したので、そういうホテルに泊まるがなにもせずに寝る、ということはない。そういうホテルに入るからにはお互いそれなりの覚悟と期待が必要である。特に前者が

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