美容室は703高地
美容室・フィフティ・ポーラース
ついに自分自身を変える時が来たのだ
ここに来るのはワキをゴッドネス脱毛して以来だ、
しかし、美容室の前で、私は10分以上立ち尽くしていた。ガラスの向こうにいる美容師たちの動きが、演技の稽古のように見える。軽快に笑い、髪をすき、頭を下げる。流れるような所作。一方でこちらは、扉を開けるという一点だけに集中しすぎて、逆に体が動かない。
「えっ、ここ入る? 今? この顔で?」
気づけば一歩下がっていて、遠巻きに入り口を見つめていた。
服はジャージ(それも高校の)
髪は痛んでいて、化粧はほぼしていない。
何か1つでも「わたし、美容室に来ても大丈夫」っていう証拠が欲しかった。
そして妄想がはじまる。
「残念ながらあなたが関心を持つべきヘアは頭ではなくアンダーです」
「今ならゴッドネスVIO脱毛を初回無料にしてやりますが、いかがでしょうか?」
「あなたは今すぐ退店してください」
「そしてその腐った性根を練炭で燻してくることを強くお勧めいたします。」
「あなたのギターの弾けないギターヒーローのような体型と卑屈さから判断すれば、とっくにヤられていてもおかしくないのですが、そうなっていないから不思議なものです」
「あなたでも鏡の前に立てるんですね、私だったら恥ずかしくてとてもできませんが」
無言でバニティネルをかけた。
「よぉ。なんで棒立ちしてんの?」
耳元に、軽い調子の声が響いた。
視界がゆれる。視界の中に、彼――晋太が現れる。
焼きそばみたいな髪、ニヤついた顔、蛍光イエローの靴ひも。
「美容室ってのはな、敷居が高く見えるけど、実は頭皮の病院だからな? オマエ、レジでサイフの代わりにナイフを出して強盗の一つもおっ始めない篝はその他大勢扱いだから気を張らずに行ってこい」
「……それ、励ましてるつもり?」
「つもりじゃなくて、励ましだよ。世のオシャレなやつらも、必ずオシャレじゃないイモ時代があるんだよ。ほら行け。俺がついてる」
わたしは深呼吸して、バニティネルをかけたまま、重い足を一歩、二歩と前に出す。
ーいらっしゃ…うわああああーっ!!
ーお客様に通告です。当美容院に危険物の持ち込みは禁止されています。あなたのドレスコードのカケラもない服装とその垢抜けない顔面、それらはもはや生物兵器クラスです。その顔面と実名を全国放送される前に即刻、消え失せていただきますよう、お願い申し上げま
「いらっしゃいませ〜」
自動ドアが開いた瞬間、スタッフの声が耳に届く。
こっちを見てはいるけれど、特別な顔はされない。ただ、予約の名前を聞かれ、椅子に通される。
普通の店内。普通の接客。妄想していた毒舌美容軍団は、ひとりも出てこなかった。
むしろ、最初に対応してくれた若い美容師は、柔らかい口調で言った。
緊張されてますか? 大丈夫ですよ、ここに来てくれた時点で、もう半分は成功です。
美容室って、来るのがいちばん勇気いるんですから。あとのことは、ぜんぶ僕たちに任せてくださいね。
何もしないうちから、失敗したりしないんで」
口角が、ほんの少しだけ上がった
罵詈雑言、人格否定、退店通告。
そのどれもがは一向に飛んでこないことに、腕組みしているうちに終わり、毛先がパサパサのロングなだけのヘアは一掃された
カットを終えて、鏡の前に戻ってくる。 椅子に座った私の顔には、見慣れない髪型が乗っていた。 毛先は軽く、ほんの少しだけ、前を向いているように見える。
「……誰?」
小さく呟いたその声に、耳元で晋太郎が笑う。
「いいじゃん。変わったじゃん」
「……ちょっとだけね」
「十分だよ。十分すぎる変化」
「お世辞?」
「俺がオマエにお世辞言うわけないだろ。“この世で一番顔面偏差値が高いと言われたい未確認生物”って言ってたやつだぞ?」
「言ってないわ」
「言ってた。ちゃんとログに残ってる。しかも二回」
少しだけ、肩の力が抜けた。 鏡の中で笑う私の顔は、思っていたより悪くなかった。
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