第9話 推察と閑寂

 巫覡ふげき区。

 島内では珍しく神社や寺などが多く、まるで時代劇かのような町並みである。

 和製魔術わせいまじゅつの研究が盛んであることもこの街の特徴である。

「ようこそ、ここが僕の家だよ。」

 バロールがそう言いながら門を開ける。

 その後ろにはザ・日本屋敷といった趣の屋敷が建っていた。

 木造瓦葺もくぞうかわらぶやき、広々とした中庭、縁側、露地風ろじふうの庭園、そして枯山水に近い石庭などが揃っていた。

「こ、ここがバロールさんの家…。」

「大きいね。お兄ちゃん‥」

 俺と綾乃あやのが唖然としていた。

「ひっさしぶりに見たけど、やっぱでっかいッスね〜」

「こんなでかいとこにたった三人で住んでるなんて..。使用人、増やせばいいのに」

 先輩たちは来たことがあるのか反応が薄かった。

 屋敷の中に入る。

 内装は和を基調としており、床の間や襖絵、掛け軸、香炉などの古典的装飾品が多数あった。

「マグ〜、由良ゆら〜。帰ったよ〜。」

「あ、お兄ちゃ〜ん!おかえり〜。」

 屋敷の奥から小さな女の子が走ってきた。その後に続くように着物を着た金髪の女性が歩いてきた。

「おかえりなさいませ、バロール様」

 女性はこちらを向いて、

「ようこそ、お越しくださいました。私はこの家で使用人をしております。如月きさらぎ由良ゆらと申します。至らぬ点もあるかと存じますが、よろしくお願いいたします。」

「僕等は夕食の準備をしてくるから、由良、案内してあげて」

「かしこまりました。では皆様、こちらへ」

 一同は由良に案内され、廊下を渡って客間へと向かう。

「お部屋はこちらでございます。お茶とをお持ちしますので少々お待ち下さい」

 由良は一礼して部屋を後にする。

「……すごいな、この家。まるで旅館みたい」

 俺がそう呟くと、綾乃が隣でこくんと頷いた。

「綾乃、はしたないぞ。」

 綾乃は畳にごろんと横になる。が、他の先輩たちの視線に気づいて、慌てて起き上がり正座し直した。

「お、おほほ……ごめんなさい、ちょっと……つい……」

「お前なぁ……」

「でも確かに、落ち着くっスよね〜。ウチ、和室好きっスよ」

 澪華れいかが畳にぺたんと座り、ちゃぶ台の上に肘をつく。

「うん、たまにはこういうのもいいな」

 彰仁あきひとも壁際に背を預けて座りながら、周囲を静かに見渡している。

「ふすまの絵、高そうだな…。」

 颯也そうやが天井を見上げながらぼやく。

「さすが、由緒ある家……って感じよね」

 琴錬ことねさんもどこか感心したように周囲を眺める。

 そのとき、ふたたび襖がすっと開いた。

「お待たせいたしました」

 由良が丁寧な所作で盆を運んでくる。そこには、綺麗に並べられた茶菓子と、人数分の湯呑みが置かれていた。

「こちら、緑茶でございます。お菓子は当家でお出ししております、手作りの落雁らくがんと、羊羹ようかんでございます。どうぞごゆるりとお過ごしください」

 由良は盆を卓の上に置きながら、一人ひとりに丁寧に湯呑みを差し出していく。

「わあ……由良さん、すごいです」

 綾乃が目を輝かせる。

「ありがとうございます。お褒めいただき光栄です。……綾乃様も、お着物がたいへんお似合いになるかと存じますよ」

「えっ……そ、そうかな……?」

 褒められた綾乃がぱたぱたと手を振って照れる。

「こちらに簡単な着付け部屋もございますので、もしご希望があればご用意いたします」

「あっ……あぅ……お兄ちゃんが、いいって言ったら……」

「俺に振るなよ……」

 苦笑する綾斗の横で、先輩たちもどこか和やかな表情を浮かべていた。

「では、私どもは支度の方に戻らせていただきます。何かございましたら、こちらの鈴をお鳴らしくださいませ」

 由良は一礼して部屋を後にした。

 その後、数十分で料理を持った三人が客間へやって来た。

「おまたせ。簡単なものだけど、夕飯できたよ」

 そう言ってバロールが手際よく膳を並べていく。並べられたのは、どれも見た目にも美しい料理だった。

 白いご飯、香の物三種。味噌汁にはアサリが入っていて、磯の香りがふわりと漂う。

 メインにはふっくらと焼き上げられた鯛の塩焼きと、艶やかなだし巻き卵。そして、添え物として小さな煮物鉢と冷奴。

 贅沢さというより、丁寧に作られた料理がそこにはあった。

「うわぁ……めっちゃ美味しそうッス……!」

 澪華が目を輝かせる。

「……こんなの、旅館じゃん……」

 思わず呟いた俺に同意するようにあきひとも頷く。

「それでは、皆様、ごゆるりとお召し上がりください。」

「「「「「「「いただきます」」」」」」」

 由良は一礼して部屋を出ていった。マグもそれについて行った。

 彰仁が感心したように箸を取る。琴錬先輩も「ちゃんと“手をかけた味”ってわかるわね」と優しく微笑んだ。

「ご飯、おかわりあるからね」

 そう言って笑うバロールに、綾乃がぴょこんと手を挙げた。

「はーい!おかわりお願いしまーすっ」

 満面の笑顔で元気に応じる綾乃に、皆がふっと笑った。

 その雰囲気に、自然と場が和らいでいく。

 由良が恭しく頭を下げる。

 一礼したあと、部屋の隅へと下がる。

 一同が声を揃え、箸を取る。

 夜の帳が降り始め、静かな客間に、お茶の香りとだしの香りがやさしく漂っていた。


 豪華な料理を食べ終わり、いつのまにか二十時を回りだいぶ遅い時間になっていた。

「もう、こんな時間か、早いとこ帰んないと…。」

 彰仁が時計を見て呟くと、バロールがさらりと返す。

「なんなら皆泊まってく?」

「えっ、泊まっていいんスか!?」

「もちろん。部屋も風呂も、人数分あるから心配いらないよ」

「やったー!」

 澪華が勢いよくガッツポーズを決め、琴錬さんもやんわり微笑む。

「ふふ、久しぶりに修学旅行みたいで楽しいわね」

 綾乃はぱっと顔を輝かせて俺の袖を引っ張った。

「ねえねえ、お兄ちゃんっ!一緒にお泊まりだよ〜♪」

「……テンション上がりすぎだぞ、お前」

「うへへ……だって嬉しいんだもん〜」

 そんなやり取りのあと、由良がてきぱきと寝具の支度を進めていき、広々とした和室が寝室に変わった。

 布団を敷き終わると、由良が丁寧に一礼して言った。

「皆様、お風呂のご用意も整っております。男女別にお時間を分けてご案内いたしますので、ご希望の方はお申し付けくださいませ」

「お風呂!?」

 澪華の目がきらりと光る。

「バロールさんちって、やっぱヒノキ風呂とかだったりします?」

「するよ。中庭の裏、離れのほうにある」

「マジっすか……それ、入らなきゃ損じゃん!」

 女子組(綾乃、琴錬、澪華)は連れ立って入浴へ向かった。

 案内されたのは、本物のヒノキをふんだんに使った広々とした浴室。天井には梁が走り、湯気の香りと木の香りが静かに溶け合っている。

「すごーい……まるで旅館じゃない、これ……」

「バロールさんのおうち、すごい〜……」

ぽふんと湯に沈んだ綾乃が、ふにゃりという。

「ねえねえ、琴錬さん、澪華さん。……背中、流してあげよっか〜?」

「なっ、綾乃!? お、お前またそういうことを……」

「えへへ、冗談だよぉ〜♪」


 一方、男子組も交代して入っていった。

「……木の風呂って、いいもんだな」

「わかる。こういう時間が一番落ち着くわ……」

 彰仁がぽつりと呟き、颯也は湯縁に頭を乗せて完全に脱力していた。

「……風呂は最強……何も考えなくていい……」

「お前、ゲーム中もそれ言ってたよな……」

 バロールは少し離れた場所で、肩まで湯に浸かりながら静かに目を閉じていた。

 この家の空気に、一同が少しずつ馴染んでいくのがわかる。


 風呂上がりの夜風が縁側から流れ込み、客間には静かな時間が戻ってきた。

 浴衣に着替えた綾乃が、自分の布団をぽんぽんと叩きながら言う。

「お兄ちゃん、一緒に寝ないの〜?」

「だから別って言ってんだろ……由良さんに見られたら恥ずかしいしな」

「えぇぇ〜……むぅぅ、ケチぃぃぃ〜……」

「うるさい。ちゃんと寝ろよ」

 そんなやり取りもあって、ふすまの向こうから聞こえる澪華の爆笑、琴錬の静かな声、彰仁の低い呟き、颯也の「もう寝た」宣言など、さまざまな音が交差していた。

 やがて風鈴の音が涼やかに鳴り、皆、眠りへと落ちていった。

 

翌朝。

あれ…何処だ?てか、何で綾乃が一緒に寝てんだ?

そうだった。昨日バロールさんの家に泊めてもらったんだった。

何時もの癖で朝の五時ぐらいに起きてしまった。

皆もまだ寝ているだろう。

俺は部屋の襖を開けて縁側へ出る。

そこにバロールがいた。

「おはよう御座います。バロールさん。早いですね」

「おはよう。そういう君もね。」

バロールはサングラスをしておらず左眼に眼帯をしていた。

「その眼。どうしたんですか?」

「ああ、昔、怪我をしてしまってね。人に見せられたもんじゃないから眼帯かサングラスで隠すようにしているんだ。」

バロールは少し心が遠くにあるようだった。

「話は変わるけどさ。前の赫刃連せきじんれんとの団体戦のとき。“君のじゃない”能力が出ていたよね。」

「あ、気づいてたんですか。」

「勿論。あの時、どうやったか分かる?」

「いえ、血で刃を作ろうとしたら…、なぜか彼奴の能力が。」

綾斗は、縁側の木目を指でなぞりながらぽつりと呟いた。

「最初はただ、いつも通りの刃を出すつもりだったんです。でも……血が、唇の端に入ってきて.....。」

 バロールは静かに頷く。

「それは、君の力だろうね。“共喰い”に近い能力だ。血を媒介にして、相手の“性質”を一時的にコピーするのだろうか……」

「でも、俺……飲んだつもりなんてないし、気づいてさえ……」

「それが本能的なものであれば、なおさら強力だろう。気づかぬうちに発動する能力というのは、制御も難しいが、使いこなせば脅威にもなる」

「……怖いです、自分が」

 ぽつ、と綾斗が呟く。バロールは一瞬だけ眼帯の奥に手をやり、空を見上げた。

「僕も、昔はそうだったよ」

「……え?」

「詳しくは話せないが、昔、自分の力で大切な人を傷つけてしまって。恐ろしくて、自分にさえ近づきたくなかった。でもね、綾斗君。力があること自体が悪じゃない。どう使うか、誰のために使うか──それだけが、問われる」

 綾斗は黙ったまま、静かに風に揺れる庭の苔を見つめた。

 その眼差しに、迷いと同時に小さな覚悟が宿っていくのを、バロールは見逃さなかった。

「それに、君には見てくれる人がいるだろう。君を信じて、傍にいてくれる妹さんや仲間たちが」

「……はい」

 小さな声だったが、はっきりとした返事だった。

「おはようございます。朝食のご用意ができております」

 由良の落ち着いた声に、皆が順に布団から起き出す。

 俺とバロールは縁側から中に戻り朝食を食べに向かった。

 焼き鮭、白米、味噌汁、温かいだし巻き卵。

 昨晩とはまた違う、静かで丁寧な食卓。

「おはよう〜……」

 綾乃がぼんやりとしながらも、しっかりと箸を持つ。

「……ねぇ、お兄ちゃん。今日も泊まっちゃだめ……?」

「だめ。今日こそ帰るぞ」

「む〜〜〜ぅ……」

 周囲の笑い声とともに、朝のひとときが過ぎていく。

 巫覡区の空は澄み、朝の日差しが庭に差し込んでいた。

朝食を終えたあとも、名残惜しそうに綾乃が庭を眺めていた。

「……バロールさんち、また来たいなぁ……」

「またって、お前……」

「いいよ、いつでも遊びにおいで。マグも由良もきっと喜ぶから」

 バロールが笑って言うと、綾乃はぱっと顔を輝かせる。

「ほ、ほんとっ!? やった〜!」

 俺は少し肩をすくめつつ、座敷に置いていたカバンを手に取った。

「じゃ、そろそろ帰ろう。……みんな、準備できてる?」

「OKっスよ〜」

「ん。行こうか」

 そうして一同は、バロールたちに見送られながら巫覡区をあとにした。


 ゆるやかに傾き始めた朝の光が、路地の石畳をきらきらと照らしている。

 帰りの道すがら、綾乃は俺の横でにこにこと歩いていた。

「……なに、そんなに楽しかったか?」

「んふふ〜。お風呂もごはんも、お布団も気持ちよかったし……お兄ちゃんと一緒にお泊まりできたのが、いちばん嬉しかったよ」

 俺はほんの少しだけ顔をそらし、咳払いをしてごまかした。

「そ、そうかよ……」

 ほどなくして自宅へと戻る。

 荷物を片付けていると、ポケットの中のスマホが震えた。

《着信:千速ちはや先生》

「……ん? 先生?」

 少し意外に思いつつも、通話ボタンを押す。

『──もしもし、綾斗くん?』

「あ、はい。おはようございます。どうかされましたか?」

『急なことで申し訳ないんだけど、今ちょっとだけ、学校に来てもらえるかしら。君に、少し話したいことがあって』

「学校に……?」

『うん。あまり時間は取らせないから。できれば午前中に来てくれると助かるわ』

「わかりました。支度して、すぐ向かいます」

『ありがとう。職員室で待ってるわね』

 通話が切れる。

 なんだろう、急に。先生の声が少し……硬かった気がする。

 「お兄ちゃん? 誰から?」

 綾乃が顔を覗き込んでくる。

「千速先生。ちょっと学校に呼び出された」

「えっ、怒られるの?」

「いや、たぶん違う。ちょっと話があるってだけだし……。お前は先に休んでろよ。昼には戻ると思うから」

「う、うん……。気をつけてね?」

 玄関で靴を履きながら、なんとなく胸の奥がざわついていた。

 昨日までの穏やかな時間が、ほんの少しだけ遠ざかっていく。

 玄関の扉を閉めると、静かな夏の空が広がっていた。

 蝉の声が高く響いている。

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