第39話 悪役聖女と王の覚醒

 王宮へと駆けつけた私を迎えたのは、張り詰めた、しかし、どこか期待をはらんだような、奇妙な空気だった。

 国王陛下の寝室周辺は、極秘裏に集められた重臣と近衛騎士たちによって、厳重に固められている。その物々しい雰囲気の中、アルフォンス殿下が、私を手招きした。


「リディア……!」


 彼の顔は、興奮でわずかに紅潮している。


「今朝、父上が、数年ぶりに『すっきりと目覚めた』と仰せになったのだ。そして、身体が軽い、と……!」


 その言葉に、私は、固く握りしめていた拳の力が、ふっと抜けるのを感じた。

 成功したのだ。私達の、あまりにも危険な賭けは。国王陛下の衰弱は、やはり、自然な老化などではない。ヒロインと「アルカナの天秤」によって仕組まれた、呪いの薬によるものだったのだ。


 殿下に導かれ、私は、国王陛下の寝室へと通された。

 ベッドの上で半身を起こした陛下は、まだその顔色に病の痕跡を残してはいるものの、その瞳には、私が謁見の間で見た時とは比べ物にならないほど、力強い光が戻っていた。それは、王者の光だった。


 陛下は、人払いをするよう命じると、部屋に残った私と殿下を、まっすぐに見据えた。


「……一体、何をした?」


 その問いに、殿下は、覚悟を決めた顔で一歩前に出た。そして、これまでの経緯……もう一人の聖女への疑惑、私の聖女としての本当の力、そして、父を救うために、独断で薬をすり替えた作戦の全てを、正直に、そして詳細に、打ち明けた。


 全てを聞き終えた陛下は、しばらくの間、黙り込んでいた。


 やがて、その口から漏れたのは、静かだが、地殻の底から響くような、凄まじい怒りの声だった。


「……そうか。余は、毒を盛られておったのか。あの、慈愛の仮面を被った聖女と、長年信頼してきた我が腹心の手によって……!」


 その怒りは、当然だ。彼は、すぐさま侍医頭を拘束し、真実を吐かせるよう命じようとした。だが、私は、それを、静かに制した。


「お待ちくださいませ、陛下」


 私の言葉に、国王と王太子が、はっとしたように私を見る。


「今はまだ、動くべきではありません。下手に動けば、敵は、ただ尻尾を切って逃れるだけ。彼らは、我々が真実に気づいたことなど、露ほども思っていないはずですわ。その油断こそが、我々の最大の武器となります」


 私は、悪役聖女にふさわしい、不敵な笑みを浮かべた。


「ここは一つ、お芝居を打ちませんこと?」


 私は、反撃のための、大胆な作戦を提案した。国王陛下には、再び体調を崩したフリをしていただく。侍医頭には、私の作った浄化の薬の効果が一時的なもので、すぐに元の木阿弥になったように見せかけるのだ。そして、ヒロインと「アルカナの天秤」を完全に油断させ、彼らが次の行動を起こすのを、静かに待つのだ。


 私のあまりに大胆な提案に、殿下は息を呑んだ。だが、国王陛下は、玉座にふさわしい、獰猛な笑みを浮かべた。


「……面白い。実に、面白いではないか。聖女よ、そなたのその筋書き、気に入ったぞ!」


 国王、王太子、そして、悪役聖女。

 この国の運命を賭けた、秘密の共闘関係が、確かに結ばれた瞬間だった。

 数日後、王宮には、「国王陛下、再びご体調を崩される」という、偽りの情報が、密やかに流された。

 その報せを聞いたヒロインが、侍医頭と密会し、満足げにほくそ笑んでいるのを、クロードが放った密偵が、確かに捉えていた。


『計画通りですわ。陛下が、完全にわたくしたちの掌の上で転がってくださるのは、もう間もなく。私達が、この国を手にする時も、近いですわね……』


 敵は、完全に、私達の罠にはまった。私は、その報告を聞きながら、静かに、そして、冷たく微笑んだ。


「さあ、始めましょうか」

「悪役聖女による、最高の断罪劇を」

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