第3話 宿屋の一夜は嵐の予感

森を抜け、大介と玉藻が辿り着いたのは、小さな宿場町だった。石畳の道には、どこか埃っぽい匂いが漂っている。夕暮れ時、宿屋の灯りがぽつりぽつりと点り始める。


「人間、こんな汚いところ、泊まるんか?」


玉藻は鼻をひくつかせ、眉をひそめた。都会のスーパー帰りから魔王城、そして森の野宿と来た玉藻にとって、町の宿屋は、また違う異質な場所らしい。


「いやいや、魔王城は流石に物騒でしょ。疲れたし、たまにはちゃんとしたベッドで寝るのも悪くない」


大介はそう言って、宿屋の扉を開けた。木製の扉がギィと音を立てる。中には、丸々と太った宿の主人がカウンターに座っていた。


「いらっしゃい! おや、坊主と娘さんかい? 一部屋でいいのかい?」


宿の主人は、大介と玉藻を胡散臭そうに交互に見た。その視線が、ロリ姿の玉藻に向けられると、少し興味深そうな視線を送った。大介はそれを敏感に察知したが、気付かないふりをして明るく答えた。


「はい、一部屋でお願いします。安くて、美味しい飯が食えるところがいいんですけど」


「へっへっへ、そりゃあいい。ウチは安さと飯が自慢でね。若いもんはいいねえ、可愛い娘さんと旅なんてよ」


主人の言葉に、大介は内心で「いやいや、若いもんって歳でもないし、娘さんじゃなくて元魔王だし」とツッコミを入れる。玉藻は顔を赤くし、宿の主人を睨みつける。彼女の耳の先端が、微かにぴくぴくと震えている。


「フン! くだらん。とっとと部屋を案内せい!」


宿の主人はニヤニヤしながら鍵を渡し、二人は案内された部屋へと向かった。部屋は想像以上に狭く、ベッドが一つだけ置かれていた。


「え、マジか……ベッド一つか」


大介が思わず呟くと、玉藻はギョッとしたように目を見開いた。


「な、なんなんこれ! ワシがこんな狭いとこで、しかもこんな汚いベッドで寝なあかんのか!?」


玉藻はベッドを指差し、不満げに言った。潔癖症なのか、元魔王としてのプライドが許さないのか。


「いやいや, 仕方ないでしょ。節約旅だし。二人で寝るしか……って、あ、いや、床に敷物でも敷くか」


大介は慌てて言い直したが、玉藻の顔はすでに真っ赤だ。彼女の耳の先端が、微かにぴくぴくと震えている。


「ふ、フン! 別に、アンタと寝るのが嫌とか、そんなんちゃうし! ただ、魔王様たるワシが、こんな狭苦しい場所で寝られるか言うてんねん!」


そう言いながらも、玉藻の視線は、チラリと大介とベッドの間を往復している。その様子に、大介は内心で苦笑した。このツンデレ魔王、意外と可愛いところがある。


結局、大介は床に持参したシートと寝袋を敷き、玉藻はしぶしぶベッドに横になった。部屋の窓からは、街の喧騒が微かに聞こえてくる。普段のキャンプの静けさとは違う、都会のざわめきが、大介の疲れた心に染みた。


「あかん……。今日は疲れたわ」


玉藻が隣のベッドで寝返りを打つ音がする。疲れているはずなのに、なかなか寝付けない。大介は、この異世界での出来事を反芻していた。ブラック会社での疲弊、やる気のない女神、拍子抜けするほどあっさりテイムされたロリ魔王。どれもこれも、数日前までは想像もつかなかったことばかりだ。


夜が更け、街の喧騒も静まり返った頃、大介は微かな気配で目を覚ました。玉藻が寝返りを打った拍子に、大介の寝袋のすぐ隣に密着している。


「うおっ!?」


大介は思わず息をのんだ。玉藻の柔らかな髪が、わずかに彼の頬を掠める。ひんやりとした夜の空気の中、彼女の体温がじんわりと伝わってくる。微かな甘い香りが、大介の鼻腔をくすぐり、彼の心臓は、まるで初めて恋を知った少年のように、トクン、と大きく跳ねた。彼は、玉藻を起こさないよう、ゆっくりと身をずらそうとした。その時、玉藻の寝息が、ふわりと大介の耳元をくすぐった。


「ふっ…」


玉藻の身体から、微かな声が漏れる。そして、大介の心臓が跳ねるたびに、玉藻の身体から発せられる魔力が、じわり、じわりと増していくのを感じた。変身ゲージが満タンに近づいている。


(な、なんか、体が、むずむずする……? まさか、この人間、ワシに……ときめいたんか?)


玉藻は寝ぼけ眼のまま、微かに身じろぎ、大介にさらに顔を埋めるようにした。その頬が、熱を持っているような気がした。


その時だった。


「じわっ…!」


玉藻は突如、まばゆい光に包まれた。大介は思わず目を細める。光が収まった時、そこにいたのは、先ほどの幼女ではない。銀色の髪を夜闇に溶かすように長く伸ばし、妖艶な瞳で大介を見つめる、大人の女性の姿だった。落ち着いてきたことで、口調も自然と変わっていった。


「え、な、なになにこれ!? どないなってんの!?」


玉藻自身も何が起きたか分からず、動揺を隠せない。


「よ、呼ばれて飛び出て……って、なんでアタシがこんなこと言うてんねん!?」


思わずツッコミを入れたものの、大人の玉藻はすぐに真剣な表情に戻る。


「私の力は、この姿の時にこそ真価を発揮する」


大人の玉藻はそう言って、周囲の木々に向けて指を軽く振った。すると、大介の視界が、一瞬、虹色の光に包まれた。それは、宿屋の部屋の中に咲き誇る、幻想的な花々の幻景だった。枯れかけていた木々がみるみるうちに新緑を芽吹き、花々が咲き乱れるような、超自然的な光景が目の前に広がっているように見えた。


大介はその圧倒的な力に驚愕する。


(玉藻、すげえな。……って、え、どうしたら元に戻るんだ?)


大介は一瞬、言葉を失ったが――すぐに内心で冷静にツッコミを入れる。


「おお、すごいな玉藻。これで荷物運びも楽になるな!」


彼の言葉に、大人の玉藻はため息をついた。


「……はぁ、この人間、何も分かってへんな!」


大人の玉藻は、内心で呆れつつも、どこかもどかしさを感じていた。この姿であれば、国王への復讐も、新たな魔王城の建立も、より具体的に計画できるだろう。だが、同時に、大介の鈍感な対応に、やきもきする自分がいた。


(……ワシの力、こんなもんやったか? いや、まだ何か、抑えられているような……)


彼女はそう考えながら、再び森の奥へと視線を向けた。


——魔王の力が、今、新たな形で目覚めようとしていた。


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【魔王のわるだくみノート】


フン! 人間め、宿屋とかいう狭い場所で、ワシの隣で寝るとはな。まあ、ワシの美しさから目が離せへんのも無理ないけど。変身ゲージがムズムズしたのは、この人間のせいな気がするんやけど、アホな人間は気づいてへんし、まあええか。これでワシの真の姿が戻ってきたら、たっぷりこき使ったるからな! ワシのわるだくみは、始まったばかりやで。


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次回予告


フンッ! 人間め、ワシの真の姿にビビってたな! 当然やろ! この玉藻様が、いつまでもロリの姿でいると思ったんか? まあ、あんたの料理が、ワシの力を引き出すきっかけになったのは認めてやる。感謝しいや! 次は、しょーもない村長と、ポン助のしょーもない料理バトルやで! ワシの人間、まさか負けへんやろうな!


次回 第4話 美食の誘惑と変身の片鱗

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