第2話
リュティス・ドラグノヴァ。
サンゴール王国が滅亡に至る、その最後の時代に存在した王弟の名である。
サンゴールが隣国アリステアの血を引くアミアカルバを女王に戴いた後は、彼がサンゴール純血を継ぐ唯一の王族となった。
しかしながら彼は子を持つ事無くこの世を去ったため、ここに正式にサンゴール王家の純血は絶えたということになる。
彼はサンゴール史において、非常に二面性を伴う人物として記録されている。
古代の魔具とされる【魔眼】の所有者として自国の民にも恐れられており、この事実を非常に忌み嫌っていたが、サンゴール後期にはその力を以て【エデン天災】に晒された自国を守るために戦場に立ち、【次元の狭間】から襲来する数多の魔物たちを屠り、死に際には国を守った英雄と讃えられた。
彼の父であるメルドラン王は愛することと憎むことに生涯を費やしたが、第二王子リュティスは愛されることと憎まれることの人生だったと言えるだろう。
公の記録によると、第二王子リュティス・ドラグノヴァはその人生において何度か暗殺の危機にもあったと記されている。
そのいずれも反逆者は彼自身の手で討ち取られており、そのことが内外に冷厳の魔術師と彼が恐れられる理由の、一端になったのだろうと推測される。
994年、冬。
この年、サンゴールの公文書に第二王子リュティス暗殺未遂の記録が正式に残っている。
いつものようにそれは未遂で終わった些細な争いであったのだが、ある意味では変哲の無いこの騒動が、これがサンゴール史において、この謎めく人格で知られる第二王子に対して行われた最後の暗殺未遂の記録となる。
第二王子リュティスの命が狙われる理由は彼の兄、【光の王】グインエルが健在の頃から、公には兄は異能の弟と距離を取りたがり、弟は病弱であるがゆえに魔術を使えない兄王子を見下し、王位継承を巡ってこの兄弟の間に激しい対立があり、兄王子の死後も彼の支持派がこの闘争の流れを繋いだのだとされている。
王妃アミアカルバが王位についた後は彼女と対立関係にあり、王位から遠ざけられて育つ王女ミルグレンの存在があるにも関わらず、いつまで経っても黄金の玉座が自分の手中に入らないことをこの第二王子自身がどのように考えていたか、彼自身の言葉として伝え残すものは何も無い。
歴代の王子の中でもこの人物は、一際寡黙で気難しい性格をしていたと思われる。
この994年に起きた第二王子暗殺未遂の後、サンゴール王国の王位は安定期に入る。
同時にサンゴール王国の外では数年後に迫る暗黒時代到来に向けて少しずつ、しかし確実に異変が現われるようになっていた。
国外の状勢が不安定になる中で、誰もが王位継承権を巡って、今まで通り暢気な縄張り争いを繰り返している場合ではないと本能的に感じ取ったのかもしれない。
994年から【エデン天災】が派生する1000年まで、サンゴール史には第二王子の正式な記録は何も残っていない。彼はこの六年間、慣例以外の公の場に姿を現わすことは滅多に無かった。
サンゴールの王位は女王アミアカルバが完全に掌握し、長きに渡って勢力争いを続けていたサンゴール騎士団、サンゴール大神殿両勢力も女王の下に忠誠を誓う動きを見せており、
【沈黙の王子】と揶揄された第二王子リュティスだが、女王の威信が確固たるものになるこの時期、主立った対立行動に出ていないため、察するに女王とは協調関係にあったのだと思われる。
第二王子リュティス・ドラグノヴァ。
その魔性の瞳を亡き母妃は忌み嫌い、生涯自分の側に寄らせることは無かった。
世間は王子よりも美しき薄幸の王妃に同情的で、長兄であるグインエルのことは宝玉のように大切にしたこの王妃を、人々は愛の無い女性とは見なかったのだろう。
逆に度々【
だが【エデン天災】では女王の命により王国軍を率いてアルミライユ地方へ遠征を行った第二王子の最後に、サンゴールの歴史書は『英雄王メルドランの血の証』という賞賛を贈っている。
自国民にさえ畏怖された【魔眼】の術師。
彼が邪悪なるものだったのかそうではなかったのか。
記された真実が少ないだけに、それは後世の歴史家の中でも評価が分かれる所である。
――さて、994年、冬。
この年サンゴール史に刻まれた事件といえば、その第二王子リュティス暗殺未遂のただ一つであった。
だが、その裏でサンゴール王家には公の記録には残されない重大な出来事が起こっていた。
それがサダルメリク・オーシェの失踪である。
サンゴール史にはこの出来事のことは一切載っていない。
いや、それどころかこの出来事だけではなく、この時からサンゴールからはサダルメリク・オーシェの名は一切封じられ、口にすることを禁じられたのである。
それは暗黙の了解であった。
女王の養子格。
若き宮廷魔術師。
華々しい地位と名誉を一度は手にした彼の失踪は、不気味な沈黙に塗り固められたのである。
その最大の庇護者でもあったはずの女王アミアカルバさえ以後、公にこの名を出さなかったことから、邪推が邪推を呼び、一時は彼を王位継承争いに担ぎ出そうとしていた勢力でさえ、その名を出すことを逆に躊躇うようになったのである。
女王さえ沈黙した。
それは何かサダルメリク・オーシェの方に何らかの信じ難い不手際があったのだろうと多くの人が考えたのだ。
今やその名を口に出せば、女王の逆鱗に触れる可能性すらあることに人々は気づき、己の保身の為に彼らは沈黙の道を選んだ。
これがメリクの名が公の記録から消えた理由である。
彼がサンゴール王国に存在したおよそ十二年の間、彼と関わったりその存在を身近に認識していた者達は、その多くが一度は運命の女神に愛され幸運を手にしながら名を地に堕とした彼をよほどの愚か者かと詰り――それ以外の者は余計な災いを避ける為に一切の沈黙を守った。
こうしてサンゴール王国においてサダルメリク・オーシェは完全に名声を失い 『サンゴール王家の最も軽薄な血』としばらくの間、侮蔑と嘲笑を込めて囁かれることになったのである。
……なお、第二王子暗殺未遂とサダルメリク・オーシェのサンゴール出奔の時期が奇しくも近く重なったことに対しては、因果関係を見出すことは困難である。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます