第1章 泥だらけのエスケーパー(part 9)

 「ハルカ、俺は一服するから、君もここに座れよ」

 俺は道端の低い土手に腰を下ろすと、袋の中から紙巻煙草が入った箱を取り出した。

 東アジア陸軍防衛隊にいた頃までの俺は煙草を吸っていたのだが、米国の部隊に移ってからは全く吸わなく成っていた。

 「 ジュンイチは煙草を吸うの?」

 「フィズムに移る前まではな」

 「フィズムって?」

 「新国際連盟の下部組織、国際軍事戦略機構の事さ」

 俺はそう言ってしまってから、ハルカには余り軍隊の事は語らずに置こうと思った。

 きっと、興味が無いだろうから。

 

 「ああ、『Federation International Strategy of Military』の事ね」

 「えっ?」

 「わたしが所属していた研究所と関係が有ったから」

 ハルカは何かの研究者だったのか?

 これからも一緒に生活する以上、お互いの事を全く語らないと言うのも不自然な話だ。

 俺はハルカに、それが何の研究所なのかを尋ねるべきかを考えた。

 そして気が付いたら、俺は何気に一本の紙巻煙草を咥えていた。

 それに火を点ける為にライターを探したが、袋の中にはライターは無かった。

 「あの極楽鳥は気が利いているかと思ったが、やっぱりボケワシだったな。ライターを付属させていないとは」

 「ねぇ、ジュンイチ、一寸、わたしの方を見て!」

 その言葉で、俺は何気無くハルカの方に顔を向けた。

 「おっ!!!」


 俺は驚いて、思わず咥えていた煙草を地面に落としそうに成った。

 ハルカが右手の指をパチンと鳴らすと、俺が咥えていた煙草に火が点いたからだ。

 「き、君はエスプピープル?・・・若しかして」

 ハルカは、にっこりと笑った。

 「じゃあ、君が所属していたのはサリ?」

 「そう、Special Abilities Research Institute、即ち特殊能力研究所、略称がサリね」

 「う~ん、これは一体、どう言う事だ?」

 「わたしの推測だけど、この世界で放置されたわたし達の場所が近かったのは偶然では無いと思うの」

 「何者かが、事前に俺達の仕事上の関係性を把握した上で、近距離で解放したと言うのか?」

 「だから現段階では、それはわたしの単なる推測にしか過ぎないわ」

 俺はハルカから点けて貰った煙草をくゆららせながら、暫く、考え込んだ。


 「ジュンイチ、考えても今じゃ結論が出ないわ。それにこれから当ても無い旅が始まるんだから、焦ったって仕方が無いよ」

 「そうだな。それより昼飯にしようぜ!俺は重労働で腹が減っているんだ」

 「はいはい、お疲れ様でした。お詫びにランチはわたしが準備するから、その間、そこでこれでも飲んでて」

 ハルカはそう言うと、俺に真鍮製のスキットルを手渡した。

 「ウィスキー?」  

 ハルカが又、にっこりと笑った。

 「これは有り難いな」

 俺はスキットルから、ウィスキーを一口、喉に流し込んだ。

 「ん?この味は?」


 俺はウィスキーは、祖国日本のジャパニーズウィスキーをこよなく愛している。

 スコッチを全く飲まない訳では無かったが、このウィスキーは粗削りで、ジャパニーズとスコッチのどちらの味でも無かった。

 ウィスキーに限らずアルコール飲料業界は、かつては低価格の商品が数多く購入されていたが、ジェファーソン博士のフードメーカーが普及してからは、それらは全く売れなく成った。

 貧困層や庶民層の一部は、日々の疲れや憂さを晴らす為に、低価格のアルコール商品を盛んに買っていたのだが、彼らは酔えればそれで良い人達だ。

 従って、味は劣ってもほぼ無料で手に入るフードメーカー産のアルコールを飲む様に成ってしまった。

 その結果、世界にアルコール依存症患者が急増して、WHPO(World Health Promotion Organization)、即ち、世界保健促進機構はフードメーカーにるアルコール製造を禁止した。

 その結果、新たに販売されるフードメーカーは、アルコールの製造が出来ない仕様に成ったが、その時は既に数億台のフードメーカーが、ジェファーソン財団の手で貧困層を中心に無償で提供されていたのだ。


 とは言え、新国際連盟の主導に依って、各国が法整備に取り組んだ結果、フードメーカーでアルコールを密造した者に対して、懲役刑まで有る犯罪に指定出来た事で、心理的にその密造に対する抑制が働いた。

 その結果、世界のアルコール依存症患者数も高止まりした。

 皮肉な事に、ネオエデンで生き残った人々が、最初は生き残れた事だけに感謝していたのだが、人間の欲望は限りが無くて、彼らは日々の憂さを晴らす為に行政府に対してフードメーカーでアルコールを毎日、配給する様にと要求書を 突き付けたのだ。

 何より、ネオエデンに議会を設置すべしと言う声が高まる事を恐れている行政府は、市民の要求を飲んだ。

 その前までは、ネオエデンに備蓄されているアルコール類を月の始めと15日、それから記念日に少しだけ配給していたのだが、行政府はそれを中止して、20歳以上の希望する市民に対しては毎日、一定量のアルコールを配給する事にした。

 勿論、配給されるアルコール類は市民間の物々交換の対象に成るから、その配給を希望しない者などいなかったのだが。

 何れにしても、現在のネオエデンで飲めるアルコールはフードメーカー産しか無いのだ。

 

 ハルカはランチの準備が一段落したらしく、ぼーっとしている俺の側にやって来た。

 「どうしたの?ジュンイチはウィスキーが嫌いなの?」

 ハルカから話し掛けられて、俺はしっかりと現実に戻った。

 「勿論、嫌いじゃ無いさ。ウィスキーはハルカと同じ位好きだよ」

 「えっ?」

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